鈴木大介さんって、ルポライターさん。2016年作のこの本も読んでた『脳が壊れた』。なぜか私の書いた感想文の投稿は、1万アクセスを超えている。なんでだろ…誰か紹介してくれたのかな。
普通、本のレビューは、私のブログの中でもアクセス悪くて(笑)、4桁行く事なんて滅多にないくらいなのだが…。
何はともあれ今度の作品も面白い。ただちょっと取材が浅いかな。できれば、他の「ネット右翼になった(ように見える)父、母、兄弟姉妹」を持つ多くの人に取材してほしかったかも。
とはいえ、この本で、最後に鈴木さんが導き出したお父様に対する結論を考えると、むやみに広げるよりも、やはりこのくらいの取材で良かったのかなとは思う。うん、十分良い本でした。
とても面白くって、スイスイ読めちゃうのは『脳が壊れた』と同じ。この本もあっという間に読める。
私も、読みながら考えた。私の両親は良くも悪くもネットをやっていない。やらなくって正解かもしれない。とはいえ私からしたら自分の近況報告するのも面倒だから、このブログくらい読んでおいてくれよとも思うのだが。
一方で近くに住む妹夫婦と姪や甥はネットへのアクセスはあるようなのに、まったく無視。私のブログなんて見向きもしない。興味がないんだな(爆)
唯一、母方の叔母だけが私のブログを読んでいてくれるようで、会うと(滅多に会わないが)ちょっとした励ましの声をかけてくれたりするので、それはとても嬉しい。
確かに昔から母方の親戚はずっと私の味方だった。ずっとずっと子供の頃から。おじちゃんは亡くなる時まで。そして今でも元気にしている、おばちゃんには感謝。ありがとう、おばちゃん。
…ということはさておき(笑)、なるほど親がヘイト・スラングを口にするのを聞くのは、確かにショックな話だ。
テレビの報道番組にツッコミを入れ、極右的な動画サイトへの履歴がパソコンに残るなど、お父さんがネット右翼になったとショックを受ける著者。
昔は、父はなんにでも興味があり、反骨精神で人の言いなりになることを嫌っていたのに。それが、保守? それが極右?
家ではともかく、外では割と外面よく親切に弱い立場の人を応援し、面倒見が良いと思われていた父だったのに? それが隣国の悪口をいい、女性蔑視の言葉を平気で口にしている?
そんな息子の疑問は解決することなく、お父さんは亡くなり、疑問をかかえた息子だけが一人たちつくす。そんな状況から物語はスタートする。
確かに著者の鈴木さんにとっては辛いよね。なにせ鈴木さんは『最貧困女子』(すみません、これは未読)など、本当に弱いものに寄り添うルポルタージュを一生懸命書いてきて、社会から、高い評価も受けている立場の人だから。そんな自分の父が、なぜネット右翼に??
加えて血が繋がっているというのは、こういうことなのかも。自分の中にも、そんな要素があるのではないかとビビるわな…。
ちなみに著者がお父さんの言動がおかしくなったと感じたのは東日本大震災からだという。確かにあの大震災は、多くの人の価値観を変えた。
いや、変えたんじゃないな。いままで中途半端にしか見えていなかったものが、あらわになっただけなのかも。
私も、あの頃、本来の価値観があわらになった人たちの姿をいくつか自分の周りでも目撃している。仕事を放りだして家族を連れて東京から逃げていってしまった人、急に変なことを言い出した人…
とはいえ、私は比較的平和だった。私の周りのほぼすべての人が反原発であり、リベラルな考えの人たちで、保守的な考え方の人は、ほとんど皆無に等しかった。(と、私は感じている)
まぁ、ワールドミュージックが好きな人って、極めてそういう傾向あるし、加えて自分の仲間や友人は、大人になってから知り合った仕事仲間が多いから、そうなるのは当たり前。
これもエコーチェンバーの一種かもしれない。
とはいえ、友達を選べるというのは最高だよな…。フリーランスだとなおさらだ。本当に仕事仲間も選べる。それがどんなに素晴らしいことか。
なぜなら仕事仲間こそ、同じ価値観をシェアしてなければ一緒に仕事なんかできないからだ。だから震災直後、自分はむしろ周りの友人との友情は深まったように感じていた。
そういう状況だった私にとっても、しかし、あの震災は本当に周りで生きている人間の種類を明確に分けた。
私の友人・知人には右傾化する人こそいなかったが、逆にスピリチュアル系、急進的なナチュラル系に走ってしまう人は、少なくなかったようにも思う。
確かにこんな世の中で正気を保つことはとても難しい。彼ら・彼女らの気持ちもわかる。
あの時、思ったものだ。いや、人の考え方なんてそれぞれだし、移住する人は移住していい。都内に止まる人は止まっていい。みんな自分の価値観で決めていい。いけないのは、自分で判断し、行動を決めているであろう他人をむやみに非難することだ、と。
だから人非難することは絶対にやらないようにしてきたつもりだが、心の中では、あの時の対応に違和感を持った友人・知人が何人もいる。そういう人たちとは、やはり自然と疎遠になった。
例えば、とある飲食店(飲み屋系)を営む友人が「ご飯を食べたい」という被災した(らしい)人の入店を断ったんですよ、と話していたが、そこにはとても強い違和感を覚えた。
「それは飲食店としてありなんだろうか。困っている人にご飯食べさせないで、それは違うんじゃないか」と思っていたら、そこはやはりその人はしばらくして店を閉めた。もともとその職業に向かなかったんではないかと思う。
また一方で、科学的な情報弱者対して、妙に上からマウントしてくる態度のツイートを繰り返している男性もいた。攻撃とまではいかないものの、いかにもバカにしたような態度を取る友人を見ていると、なんだか私も心が痛かった。
でもそれも、普段のその人の普段の言動を思えば、納得できることだ。その人とも自然と距離ができた。
その人は、確かに普段からマウントが多い人だった。いわゆるマウントしないと自分の立ち位置が取れない人。おじさんに多いよね。
特にSNS、特にツイッターは人間の本性が明らかになる。良く言われていることだが、リアルではいい人なのに、なぜ?みたいな態度の人は本当に多い。そんな場合はリアルの方を疑った方がいい、ということ。いや、ほんとだよね。本当にそうだわ。
本当に震災もパンデミックも人間の種類を分けたわな…
あぁいう事件や震災が、物事の価値観、どうしてその職業を選んだのか、自分はどういう意図で社会に存在しているのか、いろんな人の目の前に回答を迫ったのだと思う。パンデミックも同様だ。
話がそれた。
著者はそんな風に、父が右傾化したと思い、言ってみれば、それが著者にちょっとしたパニックを起こし、結果著者はお父さんと直接話をすることも避け、お母さんの負担を減らすという名目のもと、お父さんを月に一度病院に送り届けたりするものの、会話がまったくなくない状態になってしまったのだという。
あの年代の人の、年齢からくる固定化された価値観。弱い人に対する「俺だって辛かったんだ、でも頑張って乗り越えたんだ」という自負。それは、素晴らしいことなのに、そこから一気に自己責任論へとまっしぐら。
著者はそんなお父さんの右傾化、言動を思い出し、それを箇条書きにし、その手の本を数冊読み、その中のどこに自分の父親があてはまるのか検証することで、なんとか納得できる結論を導きだしていく。
近くにいた姉やその娘、母にも話を聞き、そして意外な、ネット右翼とは違う父親の全体像も見えてくることになる。
それにしても… いろいろだよなぁ、と思う。
友達がいきなり右傾化したり、何かの大きな事件があって言動が変わってしまった時、「どうしたらいいんだろう」と悩む人は多いかもしれない。そりゃあ、避けられる存在の人であるのであれば、ただただ黙って距離を取る。それが一番安全な方法だし、正しい結論だ。
だが、それが避けられない会社の仲間だったり、心から思っている親友だったり、家族だったりした場合、この本のやり方はその人の助けになれるかもしれない。
その原因は意外と単純に「寂しい」「誰かと会話したい」というだけのことかもしれないわけだから。