いやー 政府と働くってこういうことなのね、と。先日読んだ『南海トラフ地震の真実』もそうだったけど、本当に頭に来た。
いったい日本の政治家は、官僚は何をやっているのか。こいつらに日本を任せていたら、私たちはマジで殺されてしまう。
この本を読むといかに日本のコロナ対策が場当たり出来だったか理解できる。政治家や官僚は先生方に責任を押し付け、判断を押し付け、そして必要なくなったら、ポイだ、ポイ。
まぁ、でもどうなんだろう、世間ってそういうもんなんだよね…というのは私レベルの人間の仕事でもある。任せたつもりなのに、全然やってくれない関係者。イベントなんて、その最たる例で、やってもらえたら超ラッキー。やってもらえなければ「こいつとはもう仕事しない」と決意して、その場はニコニコやりすごす。
イベントのいいところは、とにかく「終わる」こと。これにつきる。結局はそんな中で自分の仕事をまっとうしていくしかないのだが。
尾身先生と他の先生たちの仕事も同じような感じだ。まずは強靭な精神力が必要となる。
この本は、実は結構読みにくかった。時系列が飛んだりするし、これは編集というか構成の問題かな… 正直読みやすい本とは言えないと思う。とはいえ、詳細にわたってよくレポートされてる。こんなふうに頑張っていた尾身先生や西浦先生のことを思うと、本当に心が痛い。
そして実は、日本が尾身先生という奇跡の存在、言ってみれば神風を生み出したことも、本当にいろんな偶然が重なっていることがわかる。でもこういう国の危機であるという重要事項を「偶然」に甘えて片付けていいのか。もっと日頃から備えて、誰が担当しても大丈夫なように、準備を盤石なものにしておくのが政治家や官僚の仕事だろうと思うわけだが、それには期待できそうもない。
でも実際に起こったことに目をむければ… 日本には尾身先生がいた。またもや神風が吹いたのだと思う。
原発も神風が防いでくれた。こんなに重要なことを神風に頼っているから、日本はいつまでも学ばない。勝手な意見ばっかり言ってて、実行しない。失敗の経験も成功の経験もないから、ただただノホホンと生きてる私たち。
政府は結局専門家たちに責任を取らせ、自分たちは矢面に立たずという態度をつらぬいてきた。専門家たちは積極的に会見を続けたが、「積極的に会見をしたことによって、専門家がすべて決めているのではないかという印象を国民に与えた」ことはいなめない。
とはいえ、尾身先生の会見のモードがある日変わったのを視聴者も気づいたと思う。尾身先生は、はっきりと発言しない政治家たちを横目に、ある日「国難だからこそ、専門家は半歩前に」ということで、ご自身の対応姿勢のギアをあげた瞬間がある。
「果たしてそれが半歩だったのか、一歩以上だったのか、今でも悩む」と尾身さんは語っている。
この本に言われて気づいてみれば、菅総理(当時)はとにかく一貫して「経済優先」だった。それを思うと、なるほどすべてがスムーズに理解できるような気がした。緊急事態宣言解除の3日間の前倒しやオリンピックの強行。(でもこういうのも、首相がせめてちゃんと自分の言葉で語ってくれれば理解した国民もいたと思うんだよね。それがまったくなかったもんね)
尾身さんに「普通なら”ない”」とまで言わせたオリンピックの開催。
会議では、尾身先生は、西浦さんや他の専門家に強い言葉で一喝することもあったという。でも一喝された方は「だから一番信頼できる上司なんです」と語る。リーダーシップだよなぁ。リーダーシップ。
そしてそういった尾身先生や他の先生の功績を「おつかれ様でした」と称えることもなく、フェイドアウトさせてしまった日本という国。
他の国は、みんな頑張った専門家に何か賞を贈ったり、その功績を讃えたりしているのに、この日本の様はどうだ。まったく呆れる。
そもそも「専門家会議」の法的な立ち位置も確認されることなく、場当たり的にクルーズ船対応から始まった日本のコロナ対策。専門家会議が行ったことを必ずしも実行する必要はなく、相談もせず一斉休校を決めたり水際対策(片腹痛いわ…)を決めたり。アベノマスクとか…
専門家会議は目障りであると同時に、政府にとっては都合のよい存在だったとも言える。その後、専門家会議に感染症だけではなく経済や社会の専門家が入ったあとも、尾身先生は常にトップを任され、感染症の専門家たちもそのまま留任した。つまり、あのチームは政府にとって利用価値が高かったのだ、と著者はいう。
そして観光族による「GO TO」の強行。「感染状況を分析してから判断してください、議論させてください」という西浦先生の申し入れが聞き入れられることは一才なかったそうだ。
2度目の緊急事態宣言にいたる流れもすごい。結局、あれは小池百合子という劇場型政治家に利用されたとも言える。
(「安倍晋三回顧録」にあった「小池さんは驚くほど実務ができない」を思い出す)
小池vs菅… 小池百合子が頭がいいのは、まるで自分が救世主のように振る舞ったことだ。そして世間の風は小池に味方した。そしてバカをみたのは尾身先生たち専門家なのである。
対策を苦心して練り上げ、でも自らはステージ判断の意見を言わないよう、ギリギリまでルールを守ってきたのに、最後は首相と、都知事の対立で、実際の対応はズルズルと遅れ、感染が広がり、対策が遅れた。
専門家は地方と国の協調や先手の対策を頑張って考えてきたのに! こんなバカなことで!
ただそれでも菅さんは口下手な自分をわかっていて尾身さんを会見に同行させていた。(それがどうなのかという判断は別として、あの時、ベストな方法はあれだっただろう。口下手な菅さんがオロオロしゃべれば、国民はますます不安になる。
そしてああ見えて、菅さんは尾身さんに会見が終わると必ず直接労いの言葉を送っていたという。
菅さんはあぁ見えて、意志のはっきりしたリーダーだったと尾身さんは評価している。ワクチン接種の1日100万回がなんとかうまくいったのは彼の功績だとも言う。なるほどあの時は「やればできるじゃん」と私も思ったのだった。
でもあの時、多くの人が言葉、リーダーの言葉を欲していた。それが菅さんにはなかったんだよね。これは決定的だった。政治家=言葉なのだ。結局は。
そして一方の「一応、紙をみないでも話せる」岸田総理!!!!! なんと専門家会議の解散にあたってはたったの15分の会議で終わったのだという。その時にお花とか何かせめてプレゼントはあったんだろうか。っていうか、尾身先生には勲章とか、なんとか、そういう賞を贈ってあげてほしいわ。
まったく政治家って、官僚って、どういう存在なんだろうと呆れる。すべて一緒だ。「南海トラフ」も「原発」も何もかも!
そして思った。感染症はまだきっとやってくる。っていうか、コロナだって終わったわけじゃない。また近いうちに次の巨大な感染症がやってくるだろう。そんな時、私たちはどうするべきなのか。このままでは、こんなことでは私たち国民は彼らに殺されてしまう。いったいどうしたらいいんだろう。
でも西浦先生は言う。「それぞれの局面でギリギリなことはありながらも、いろんな奇跡が組み合わさった」そう、結局のところ「奇跡」なのだ。そこに頼っているから、私たちにはいつまでたっても自信つかない。自分で乗り越えたという確信がまるでない。でも日本はOECDの中でもソフトランディングできた国の一つではある。
しかし世界では、いろんな専門家がカタリン・カリコさんのノーベル生理学賞・医学賞が送られたことを筆頭に、いろんな専門家が勲章が送られたりしている。
政権は都合のよいように尾身先生たちを利用し、一方で官僚やメディアは「すべては尾身さんのスタンドプレー」という印象で動いた。でも尾身先生自身は「この仕事は長くやってれば、そういう批判はよくある」と動じなかったそうだ。かっこいい。
尾身先生は語る「日本は危機に対しての意思決定の文化が確立してない」と。
そのくせ超重要事項を国会で練らず閣議決定とやらで決めてしまう。
はぁ… なんかなぁ。なんかなぁ。
とか、書いてたら、尾身先生自身が書いた本も発見。こっちも読まなくちゃ。早速注文。