いやー すごい本でした。なかなかの内容なので、これは音楽業界、メディア業界に生きている人なら読んだ方がいい。よく調査されているルポルタージュ。中原さん、知らない著者だけど、誠意を持ってそれぞれの関係者にあたっているのがよくわかる。
ちょっと取材の対応が優し過ぎやしないか、と思わないでもなかった。でも、まぁ、でもそうだよね。自分がこの件を実際に取材するとなったら、慎重にならざるを得ない。やわすぎる、と言われても、このくらいの取材が実際本人達を目の前にすれば、限度なのかもしれない。
まずは小山田圭吾さん。私はフリッパーズギターもよく知らないし、コーネリアスもよく知らないので、何ともいえない。ただ言えることは、彼らが出てきた時の音楽雑誌の盛り上がりはよく覚えているということだ。やたら彼らのことを持ち上げていたロック(と呼ばれる)雑誌たち。
実際にラジオ局なんか回っている私に比べれば、ロック雑誌というのはかっこいいメディアなようにも見えた。
当時すでに私は音楽業界の片隅にいたので、こういうものがレコード会社の広告のもとに作られるのも知っていたが、実際にこの本に詳細なエピソードを説明されると、当時、本当に状況を理解していたとはとても言い難いなとちょっと反省もした。
ロッキン・オン・ジャパンの山崎さんは、レーベルのスタッフやマネジメントにはまったく興味をしめさず、直球でアーティストと人間関係を結んでしまうのだそうだ。レコ社の担当者が「挨拶したことがあるかないか程度」と言ってしまうのも、すごい。どんだけ人のことを見下していたのかも、よくわかる。
でも広告費を出すのはレコ社でしょう?とも思う。(とはいえ、アーティストからあの媒体に出稿せよと言われたらレコ社も言うことを聞くだろうことも、簡単に想像できる。なんだかんだ言ってアーティストの発言は大きい)
そしてそのアーティストと必要以上に親密になり、カコってしまったり、アーティストにレーベルやマネジメントの悪口を吹き込む人がいるだろうことも、なんとなく想像がつく。(そのくらいアーティストというのは不安定な存在なのだ)
そしてこの本を読み進めていったら、さらに登場したのが中川敬さん!で、びっくり。でも確かに当時、ニューエスト・モデルも似たような感じで、音楽雑誌でフィーチャーされてたっけなぁ!!(と、懐かしく思い出す)
当時私もキングレコード(しかし私は洋楽部)にいたので、社内に貼ってあるポスターの中の中川さんの姿を「なんだか濃い人たちだなぁ」とぼんやり眺めていたのだが…
社内でどんな感じだったかも、まったくわからないけれど、その後、別のレコード会社へ移籍していったわけだから、キングレコードではハッピーではなかったんだろうなぁ、と勝手に想像する。ニューエストやメスカリンを担当していたディレクターさんも、同じく会社をやめて別のメーカーへと転職していった。
それはそうと、中川さん、この本の中でもまったくぶれてないのがすごい。当時も今も発言やスタンスがしっかりしていて、かっこいい。小山田さんにもこのくらいの気概があったなら、この炎上は避けられたんじゃないかなとも想像する。
いや。いやいや。いや違う。炎上がある・ないは、まったくもってコントロール不可だということだ。私だって、こんなにブログに書いたりSNSで発言したりしていて、いつかきっと炎上に巻き込まれる未来が待っているのだろう。というか、おそらく私が気づかないところで、悪口や批判を受けているのはわかる。発信すれば発信するほど、批判は受ける。そういう世の中だから。
ただまぁ、若い頃からこの商売しているから、そういうことに慣れてはいるけれどね。
それに、もう長くこの商売やっているから、それだけで、ある程度コアのお客さんには信頼してもらえてるのかなとも思う。そこを失わなければ、いいのかな、とも思う。
いや、でも信頼を築くのは何年もかかり、失うのは一瞬だ…とかいう説もあるからなぁ。
そのくらい、炎上やお客から(そしてお客でもない人から)の不満は、どこから飛んでくるかわからない。飛んでくる時は、想像の斜め上くらいから飛んでくる、ということだ。
そんな世の中だから、今からSNSや発信を始める人は相当勇気がないとできないだろうなと想像する。無名ミュージシャンたち、これからの未来がある人たち。そういう人たちは怖くてサイバー空間で宣伝なんかできないかもしれない。そして、万が一炎上しても事務所もクライアントもレコード会社も誰も守ってくれない。先日のコロンブス騒動の時にも、本当にそれを思った。誰もアーティストの味方してくれてないじゃん…
そうやって才能のある人たちが炎上が怖いからと発信しないというのは、本当にもったいないし、逆に発信できるやつは、発信しているだけで才能なくても恩恵を受けたりするし(私もその一人)、一方で発言しないことが一番賢い態度だとする世の中の風潮も相当に嫌なもんだなと思う。
それにしても… すべては、なぁなぁにしてしてきてしまった彼とマネジメントの功罪とも言えなくもない。でも、なんだろう、私から見たら「ワキが甘すぎる」とも思う。
でもこれだけ詳細に状況を書かれると、仕方なかったのだと同情せざるを得ないし、こういう落とし穴は、誰にでもあるのではないかと思わずにはいられない。いや、これは著者さんの描く技術のたまものか。
そもそもいじめ行為は、小山田さんがたまたま現場にいたとか、そういうレベルであって(だからといっていじめを無視していいかというと、それも違うのであるが)、決してそういった行為を先導して行っていたわけではない、ということだ。また被害者とされる人も、しっかり友人同志だったと認めているという事実もある。
それに、事務所の社長だというスリー・ディーの岡さんって、私、知ってるなぁ。さだかではないけれど、なんだか名前をぼんやり覚えている。名刺もどっかにあった記憶がある。周りの評判も全然悪くない人だよ。
それにこの本を読むと、岡さんも、マネージャーの高橋さんも、すごく誠意を持ってベストを尽くそうと頑張っていたし、この本の取材にも真摯に協力している。特にマネージャーの高橋さんの、その時々の行動は、なかなか素晴らしかったのではないかと思う。私が同じ状況に置かれたとしたら、ここまで頑張れないように思うし…
それを思うとマネジメントにも同情を覚える。そして五輪の仕事を引き受けてしまった(プロデューサーに同情してしまったようだ)状況も十分理解できる。小山田さんが本来ならば、五輪に反対だったというのも、なんだかグッと来た。それなのに、それなのに、なんで?
そもそも五輪の仕事で、自分の名前を出すことすることすら、最初は了承していなかったらしい。というのも、自分の仲間の多くがオリンピックに反対していたから。しかしそれについては、あくまで口頭での約束で、なんら契約書があったわけではない。
だからみんなと一緒の連盟で名前を出すと言われた時、小山田さんもマネジメントもそれを止めることができず、しぶしぶ了承した。…とまぁ、こんなことを続いていたわけだ。
しかも納品は完了していたのに、契約書すらも、まだだったらしい。(ただこれは発注元がある程度レギュラーで発注しているクライアントやプロデューサーであれば、よくあることのようにも思える、でもこうして文章にしてみると常軌をいっした音楽業界の慣習だよね、それって)
ところが、名前が発表されてみれば、その中で一番「一般的知名度」が高かった小山田さんが注目されることとなってしまう。ただでさえ荒波の中で揺れていた小舟のようなオリンピック。そこで不運にも多くの不満の矢が小山田さんに向けられた、ということなのかもしれない。
でもやっぱり、ここだ。ここで毅然とした態度を取らないとダメだったと思うんだけど、じゃあ、これが私だったら、毅然とした態度を取れただろうか…と思うわけだ。
そんなふうに十分小山田さんと彼のチームにマックスで同情しつつ読み進めると、その次もまだある。
第2章での、あの「いじめ記事を持ち出した炎上」からの5日間は読んでいても、本当に心が痛かった。でもこれをあの時、現在進行形の状態であかすことはできなかっただろう。それも今だから話せることだ。本当に辛い。小山田さん、よかった。生き延びてくれて。いや、これ一歩間違えれば、誰かが死ぬこともあったかもしれない。
炎上とそれを取り巻くダメージは、私の想像以上にひどく及んでいて本当につらかった。ここまで来ると一章での同情がさらに加速する。殺害予告とか、本当に冗談じゃないと思う。(そしてそれを対応するべく集まった仲間とか、ちょっと涙出た)
そこから第3章、五輪を降りたところ。確かにこのオリンピックはいろいろありすぎた。エンブレムのことや、渡辺直美ちゃんのこと、あとナチ騒ぎ。あのゲームの音楽の作曲者は、それでも見逃してもらえたんだっけ?? もうよくわからないが、大変なオリンピックではあったわけだ。
なんかいろんなことを思った。「誰も悪くはないのに、悲しいことはいつもある」(by 中島みゆき)じゃないけれど。
しかしやはりこれを読んでもまったくもって信じられないのは、この後に及んでのロッキン・オンの態度だ。ここだけは、やはり今でもまったく同情できないと思った。「自分たちも大変なんです」と言うばかり。それはそうだろう。そうだろう、でもだからといって、アーティストを見捨てていいんだろうか。
そしてここでも中川さんのするどい分析が光る。すごいよー 中川さん、さすがだよ。
しかし、思うのは、ここでもしこの優しい著者さんの取材を山崎さんも受けていたのなら、山崎さんからも彼に同情できる言葉を聞けたかもしれない。=(イコール)つまり彼は世間に言い訳する最後のチャンスを逃してしまったのかもしれない。
それとも今からさらに10年後くらいに、ロッキンオンがなくなるようなことがあったら、これをネタに彼が本を書くとかあるんだろうか。
いったいロッキンオンは、何を怖がっているんだろう。これだけの騒動だ。そして時代の空気もある。それについては、多くのまともな判断力を持つ人々が、ある程度の理解をしめしてくれたであろう。
これだけちゃんと詳細に書く著者さんだったら、ロッキンオンのことも、さぞうまく書いてくれただろうに(嫌味ではありません)。
そして、この騒動の最中、小山田さんを90年代にチヤホヤしていた当時のライターや編集者は、いったいどうしていたのだろうか。
正直、私もこの件ちゃんと追いかけていたわけではないから、よくわからないが、私のアンテナでは、誰かが同情的な発言をしていたという話を聞いたことがない。いったいあれだけいたロック雑誌界隈の人々はどこへ行ってしまったんだろうか。
もう一つの雑誌『Quick Japan』という雑誌は、騒動のあと誠意を見せたようだけど、今、『ロッキン・オン』が巨大ビジネスとなり、こちらの雑誌が消えてしまったという事実も、なんだかひたすら怖い。
いずれにしても私にとっては『ロッキン・オン』には良いイメージはない。それは今でも継続している。でも彼らからしてみたら「余計なことを語らない賢いもの」という立ち位置をキープしたいということなんだろう。そうね、かっこいいロック雑誌だもんね。
でもそんな生き方をしていたら、死ぬ時に後悔マックスになっちゃうんじゃないの?などと、気の小さい私なんぞは思うのだけれど。そんなの本当のロックじゃないよね。
昔むかし、メアリー・ブラックが広告も打たないのに『ロッキン・オン』に載せてもらったことがあった。
別に当時メアリーが英米でヒットしていたわけではなく、それでもアイルランドでは間違いない大スターだし、それなりに日本国内で盛り上がっていたから、無視できなかったのかもしれない。
誰か女性ライターの人が、レビューを書いてくれたのだけど、その内容がひどかったのも覚えている。でも文章として読むのは楽しい文章だった。でも音楽のことについて何も触れておらず、酷い内容でもあった。今ならあんなレビューが売り上げに貢献するとは、とても思えないから、もう2度とあそこにサンプル資料を送るのはやめようと決意するだろう。
まぁ、でも当時はそんなもんかなとも思ったし、広告を打たないのに載るなんて、すごいな、と感激したのも事実。
今でも広告主体で読者のことを考えていない音楽メディアには、ちょっと思うところがある。でも実際、雑誌を支えているのは、読者の雑誌購読費ではなく、広告だということ。みんな同人誌じゃなくて、商業誌を作っているということ… それは噛み締めないといけない。お花畑に生きているのではないのならば。
でも、こういってはなんだけれど、この著者さんだったら、優しい気持ちで、山崎さんから良い言葉を引き出していたに違いないのに、と。それはもう一度書いておこう。自分を振り返るチャンスを『ロッキン・オン』は失った。それで何がジャーナリズムなんだろう。いや、ジャーナリズムなんて、ないのか、音楽業界に。
でもって、小山田さんは山崎さんを恨んでいないというのも、ちょっと… うーん、理解に苦しむ。いや、こういう人だから音楽が作れるのだろうが。また取材の依頼が、ロッキン・オンから来たら、小山田さんは受けるのだろうか。
ほんと考えるよなぁ。この本を書いてくれた著者さん、ありがとう。音楽系のライターさんでないことが、これまたある意味感慨深い。でも音楽ライターさんが書かなかったからよかったのかもしれない。
そして同時に音楽業界も自浄作用がないというか、これをまとめてしっかり検証する人がいないのは、本当にがっかりだと思う。っていうか、私が知らないだけで、誰かまとめてた? であれば、どこでそれが読めるのかぜひ知りたいと思う。私もわかったようなこと書いていて、アンテナめっちゃ低いからなぁ。
この本のアマゾンのリンクはこちら。
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