絶対に見逃したくないというわけで、すごい忙しいけど見てきました。見ないわけにはいかないでしょう。イシグロ作品で、かつ大好きな広瀬すず主演ですから。結論から言うとものすごく良かった。イシグロ映画の中で、一番好きかもしれない。
原作は30年前。1982年に出た本。私はおそらく1985年以降に読んだ。84年に初めて行ったイングランドが本当に好きになった私は、大の英国マイ・ブームに突入した。そしてカズオ・イシグロという日本名の英国作家に強く惹かれたのだった。
まだ彼の初のブッカー賞『日の名残り』は出ておらず、『浮き世の画家』までしか出てなかった記憶がある。
あとこの本、最初は『女たちの遠い夏』みたいなタイトルで訳されていた時期もあったと思う。でも『遠い山並み〜』の邦題の方がピッタリくるよね。
なにせ若いころの『マイ・ブーム』だから入れ込み方が激しい(笑)。この、ある意味。難解な物語を若い自分が理解していたとはとても思えないのだが、読めもしないのに英語版まで買って(当時洋書は日本で買うとびっくりするほど高かった)一人でひたすら盛り上がったのだった。
イシグロが特集されたSWITCHとか買ったのも初めてだったんじゃないかな。そのSWITCHは、いまだに私のトイレの本棚に鎮座している。
当時の私なんて普段から本なんて読んじゃあいない。ただ英国マイ・ブームで、「点」でイシグロに触れたまでだ。でも今回映画を見て、本当にあれこれ懐かしく思い出した。
イシグロ作品定番の「信頼できない語り手」じゃないけど、自分の若い時の記憶だから、私もすごくいびつに、自分に都合の良いように覚えているかもしれない。でも映画を見ながら、驚くほど登場人物の名前を覚えている自分にびっくりした。
登場人物の中心の二人はもちろん、「ニキ」とか「緒方さん」とか、脇役の人の名前まで覚えていた。そして原作の素晴らしさを改めて思った。そして改めて、今、もう一度原作を読んでみたくなった。
映画の話になかなか入らなくてすみません。でも当時のこの本に対する私の理解は、簡単に言えば「母性を捨てた女の人の話」ということだった。
だからこんなにミステリー仕立てなのもびっくりしたし、映画における最後の解釈は「えっ、そうくるか!」「そうだったっけ?」と正直びっくりした。こんなオチだったっけ?と。
でも確かに映像でこの本を表現するとなると、こうなるのかもしれない。
原作本よりもミステリー色が強めな気がしたし、加えて監督がエンディングに独自の解釈を加えていると思う。原作はこんなオチの印象ではなかった。っていうか、原作ではオチはそんなに強調されていないのだ。そんなことよりも、もやもや終わっていくのだ。
そして、それこそが。それこそがこの本の素晴らしいところなのだと強く思った。
映画の話に戻ると、とにかく長崎時代の画面がとても綺麗で、なんというかフォーカスが浅いって言うんだっけ?? 色味がすごく綺麗で、日常の生活や、鮮やかながらも全然どぎつくない発色は、本当に素敵だった。
印象的なのは襖の柄がウイリアム・モリスっぽいこと。あれはちょっと素敵だった。…と思ったら、ほんとにウィリアム・モリスだった。下の動画参照。
あれはイシグロの頭の中の長崎でもある、と監督。なるほど!!
ニキが聞く長崎の話ともシンクロするし、なるほどユニークな視点だ。というか、ユニークというよりあれこそがイシグロが表現する「信頼できない語り手」なのだ。
あと数々のお茶器も。貧しそうな暮らしをしている佐知子ですら、素敵なティーセットを使っていた。そしてニキと悦子のお茶のシーンも良かった。
監督は、以前ポーランド映画祭でお姿を見たこともある石川慶監督。すごいねー。いや、実際ポーランドは映画大国なんですよ。
また原作を読んだ時には感じられなかったけれど、今、多少大人になってみてみると、この物語はかなり強いフェミニズム文学ととらえることもできるなとも思った。
あと原作よりも映画の方では、より強く原爆の存在が強調されている。これは終戦80年ということも加味されているのだろう。それに伴い価値観の転換(校長先生だった緒方にそこは象徴されている)も、原作よりも強く出ていると思った。
それにしても、原作だけ読んでいた時には、「自分の人生のために母性を捨てる」…という解釈でずっとこの本を捉えてきたんだけど、映画をみて、なんだかそれだけではない、ということをたくさん感じた。
なんだろう、あの原作を読んだ人、それぞれが感じたに違いない、あの話に対する気持ちとか? それが集約されたのがあの映画なのかもな、と。
あの本の大ファンであるという監督と、大ファンである私と、お互い読書感想文を確認しあってる、みたいな?
さてさて映画好きのイシグロということで、この映画ではエグゼクティブ・プロデューサーとして名前がクレジットされているが、別に資金を提供したということでもないようだ。名誉エグゼクティブ・プロデューサー?(笑)映画化のためのお金はいいから、クリエイティブに口出したいよ、ということなのか? 色々深読みしたくなってしまう。
俳優陣では、三浦友和さんが、めちゃくちゃいい味だしてた。彼は本当に素晴らしい俳優さんだと思う。ものすごく良い歳の取り方をしたんだじゃないかな。彼が出てくる映画は、どれも素晴らしいし、その中に存在している彼の演技も、ものすごく良い。
出演俳優さんについては、広瀬さんの名前以外は見ないで映画を見始めたので、緒方さんが出てきたとき「おや」と思い、あぁ三浦さんかと妙に納得した。いやー、本当に素晴らしい。
あとこれは、すごく感じたのだけれど、吉田羊さんの演じる歳とった悦子の英語が、とてもナチュラルで本当に素晴らしい。(パンフレットでピーター・バラカンさんも高評価)
もちろんネイティブのそれ、というわけではないのだが、原作通り、後から習得したタイプの英語で、しかしめちゃくちゃナチュラル。いやー すごいな、俳優さんたちの完成度。
あと、やっぱりねー 広瀬すずがいいんですよ。彼女は『海街ダイアリー』ですっかりファンになったけど、いやー、すごいわ、本当に。緒方さんを洗濯物の間から見つけた時の表情とか、女の私から見ても絶品。
私がちゃんと名前を覚えている俳優さんって本当に少ないんだけど、彼女は本当に素晴らしいと思う。
あとカメラね。撮影監督は、監督のポーランド時代からの友人らしく、これがなんとも素晴らしい。日本人はこう撮らないだろう、というのも言えるんだけど、こういうの多様性のパワーっていうと安直だけど、絶対に違うバックグラウンドの人が集まったチームの方がいいんだよね。(あと助成金も複数の国から引き出せるという制作上のメリットもあるし)
結論を言っちゃうと、イシグロの映画化作品において、これは最高傑作かもしれない。『日の名残り』も相当好きだけど、あれは圧倒的にアンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソンの二人の俳優パワーによるものだ(あと英国フリークを満足させてやまないマーチャント&アイヴォリーの世界というのも重要)。
そうそう、イシグロの長編の映画はこれが3作目だと言っている記事をよく見かけるけど、私はこれは4作目だと思うんだけど違うかな。『日の名残り』『私を離さないで』そして本作、そして、なんだっけ、Unconsoled『充されざる者』も映画化されてなかったっけ?
でもなんか映画の方はタイトルが違ってるとかなんとかそういう話じゃなかったっけ? なんか私も調べきれずよくわからないんだけど。詳しい人、教えて。
いずれにしても『日の名残り』は、俳優パワーだったけど、こっちは、もっとチームワークの賜物で、そのチームワークの中心に、俳優でも監督でもなく、エグゼプロデューサーでもなく、より作品=原作(イシグロの信頼できない語り手、記憶ということ)の存在が強く存在しているのだと思う。
イシグロの評価がかなり定まってきた今だからこそ、できた映画ということなのかも。
しかし!!! 言っちゃうけど、世の中の大多数を占める『国宝』とか見に行っちゃうみなさん、ディズニーランドに行くみなさん。万博に行く皆さん。私は、そこに行く時間があるんだったら、圧倒的にこっちを選びますね。
『国宝』は物語ドリブンの新聞連載というのが私の評価(原作読んでないからフェアじゃないよね、すみません)。でも、こっちは違う。これこそ人間という曖昧な存在を力強く描いた、すごい作品なのだよ、と。映画も同様である。
そして、野崎さんフィクション嫌いじゃなかったっけ、という人がいるとしたら先に言っておくが、優れたフィクションは、ノンフィクションよりも物事の真髄をつかむのだ。
フィクションの方が物事のコアな部分により近づけるのだ。ノンフィクションなんて、起こったことを積み上げてみたところで、真実になんかなかなか近づけない。(これ、ちなみに私じゃなくて角幡唯介さんの言葉ね)
『私を離さないで』をSFだ、ファンタジーだなんだと言っている連中に言いたい。あれこそ人間の「生きる」ということを描いた最高の人間物語だ、ということを。
…と言いつつ、イシグロさん、すみません。『巨人』は一度読んだけど、なんとなく深く入り込めず感想文書いてないと思う。…と思ったら、ここに書いてた。『クララとお日様』まだ積読になってます。とほほ。
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