カズオ・イシグロ「忘れられた巨人」を読みました

読んだ。読みましたとも! イシグロ・ファンを自認する私ですから。しかしこんなに読むのが大変だった本は久しぶりである。ここのところ人間むき出しのグリーンランド系冒険ノン・フィクションばかり読んでいたせいか…

ファンタジーが苦手である。そもそも村上春樹が嫌いなのも突然人が死んだり、なぜか関係ない人がお母さんだったり(んなことあるわけねーだろ、と思ってしまう)、魔法でなんちゃら、呪いでなんちゃらってのがどうも理解できないからである。映画とかで見たら面白いのかもしれないが。

なので、この本を読むのはとても苦痛だった。それでも読むのはイシグロだからである。きっと何か素晴らしいことを発見できるに違いない、この本を読んで私は何かに目覚めるに違いない、と思うからである。

フィクションにそれをもとめるのは…と言う人もいる。でも明らかに「日の名残り」も「私を離さないで」も私に影響を与えたすごい本だと思う。あの本を読んだ自分と、あの本を読んでいない自分とは、まるで違う人間だとすら思う。

……ちょっと大げさかな。そんなわけで、この本については、ファンタジーかと理解した時点で、途中からはもう諦めて、あまり気にせずグイグイ読み進むことにした。なので細部が抜け落ちている可能性もあるし、もう一度、じっくり取り組んだら、新しい発見があるかも、とも思うが。何より好きなイシグロについて悪いことは書きたくないから。

だからすぐ感想は書かない方がいいかも、と思いつつ、やはり今の自分の気持ちを一応記録として残しておくために、やはりこのブログを書く。

そういえばあんなに大好きな「私を離さないで」でも1回目に読んだ時、始まりの10%くらいは好きじゃなかったのを思い出した。最初から最後まで大好きだったのは「日の名残り」くらいで、「遠い山の〜」はまだタイトルがこのタイトルじゃない頃から読んでいてすごく良いと思ったが、それほど強くは思い入れなかったし「浮き世の画家」は途中で飽きて挫折。「わたしたちが孤児だったころ」に関しては買ったが読んでいないし「充たされざる者」は買ってすらいない。その後「私を離さないで」に感激し、これについてはホントに何度も何度も読み返した。一方、短編集「夜想曲」はまずまず楽しめたが、イシグロはやっぱり長編だろ、と思った。

イシグロ10年ぶりの長編小説だという「忘れられた巨人」。老夫婦二人がある朝、ずっと会っていなかった息子の村へ息子を訪ねていこう、と決意することから物語がはじまる。途中で出会う戦士、少年、そしてアーサー王伝説。老人の薄れて行く記憶の中で「信頼できない語り手」手法は、イシグロの真骨頂だ。そしてどんどん読み進むにつれて、最後のほうでびっくりするような事実も明らかになる。

人々の記憶…というのも、またイシグロのいつものテーマだ。福岡先生との対談で、人間の細胞は入れ替わってしまうのだから、記憶はいったいどこにあるのだ、しかしながら実は人間を人間たらしてめているのは記憶ではないか…と福岡先生は分析する。人間は何度も思い出すことによって記憶を「ペット」する。何度も可愛がることによって記憶は自分の中で記憶として確固たるものになっていく。(最近の私の記憶がまったくもって薄くてしょうがないのは、目の前のことに夢中になりすぎて過去のことを思い出す機会が少ないからだ、と、この対談を読んで発見した)

「私を離さないで」が大好きなのは、お話うんぬんの面白さや展開やキャラクターの魅力なんかよりも、そこにイシグロの強いメッセージを私は発見することが出来て、それが私に響きまくったからだ。時々書いていることだけど音楽もそうだが、本が素晴らしいかどうかは、まったくもって受け手側の方で決定する。それは充分理解しているつもりだ。だから私が悪いのだ。この新作、ちまたで評判になりアマゾンでもこのブログを書いている時点で1位だという。ましてやブッカー賞作家のイシグロの感想をこんな風に言うのは勇気がいるが、私の中でこの本は残念ながら、いまいちである。老夫婦は素敵で可愛くて、魅力的だと思ったけれど…

期待が強すぎたのか。いずれにしても、もう一度読まないとダメだ、と思ったのは事実。…ってなわけで、もう一度最初から読んでみます。もうすでに読んだ方、野崎はこの本の素晴らしさが分からないバカな奴…と笑ってやってください。そして読んで感動した方、ぜひ感想を教えてください。

PS
この福岡先生とイシグロの対談は本当に素晴らしい。