ジョン・スミス、再来日… うれしすぎる 6

2010年の年末に書いたブログが良いので再掲します。
しかしいいよねぇー、こうやって強く願っていれば、自分で来日させなくても
こうやって棚ぼたで来日決まっちゃうわけだから…偉いぞ、2010年の私。

ジョン・スミス。2010年の私の最高の収穫。ますます出世しろよーっっ。そして私の老後は頼んだ!

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経理合宿に入る前に(今のところ12/29〜1/2を予定)、そろそろ今年1年を総括して何か書かないとなーと思いつつ,今年の最大の収穫は実はジョン・スミスだったと思うので、そのことについて書いてみようと思う。アルバム・オブ・ザ・イヤーは間違いなくジョンの「Map or Direction」。そして曲は「僕は友人たちに見取られながら死ぬのかと思った」という幽霊の歌「Invisible Boy」。ウチの他のアーティストを応援してくださっている皆さんごめんなさい。でも今年1年振り返ると、ジョンは本当にめっけもんだったと思う。こんなウルトラヒットは滅多にあるもんじゃないよ、ホント。

ここにも書いたのだけど、ジョンを見つけたのはまったくの偶然だった。CDにめっちゃホレこんだのはいいけど、まさかここまで自分でもジョンにのめり込むとは予想してなかった。やっぱり私はなんだかんだいって、本来こういう音楽が好きなのだ。結局コンテンポラリー系のものすごく良いものがリリースできれば、実はインストものよりも気持ちはそっちに入る。だからおそらく来年の1位のライヴは絶対にグレン・ティルブルックなのだ。それはもうなんとなく分っているのだ。ま、それはまた置いておいて……。

もちろん普段自分がかかわっている伝統音楽は、いつもすごいと思っているし、大尊敬している。特に今年は長年の夢であったJPPを招聘するという夢がかない、その素晴らしさに本当に心を打たれたのだった。JPPと一緒に過ごして、伝統とは……伝統音楽とは何か始めて分ったような気がしたよ。JPPに比べたら、今まで私がかかわってきたものは、ルナサやヴェーセンはもちろん、チーフタンズやアルタンにいたるまで、伝統とはまるでかけ離れたものだと思ったよ。もちろん本来はすべてを含めて「伝統音楽」なのだけれど。ま、それはまた後で書くとして…。

それにしても、ジョンは素晴らしかった。悩めるジョンは、むき出しの熱い鉄の塊みたいな奴だった。クールに見えながら、ラティーナのCD評でおおしまさんが書いてくれたように、実は内側はマグマのように熱い。この世界でやっていくことの辛さや大変さ、それをすべてをまだ30にならない若者は抱え込み、非常に悩んでいるようにも思えた。7月の暑い東京。ジョンと二人で、レコード会社一人アーティスト一人のプロモーション活動。お互い逃げ場がない状況で、時々喧嘩しそうにもなったよ。

そのジョンを紹介してくれたブーと先日やっと大阪でゆっくり話すことが出来た。ジョンのことを報告したかったからブーと話せて良かった。思えば1対1ツアーは、いつも濃い。これからやる1月のグレンも、また、ものすごく濃いだろう。ブーの時も本当に濃いけど、ブーはいいんだ。私たちは本物の親友だから。ブーの場合は超例外で、他の1対1ツアーって、良く知らないなのにいきなり結婚しちゃったような状況だから、本当に異様な間柄なのだ。それでも年上で経験値の高いグレンとのツアーはまだ楽だ。ジョンとの1週間(そして京都も含めると10日間)は、本当に辛かった。

ジョンは、ものすごく才能にあふれた人だと思う。家は子供のころから貧しかった。お父さんは牧師ということになっているが、もともとは音楽ビジネス(クラシックの方面?)の仕事をロンドンでしていて、それが立ち行かなくなりデヴォンに引っ越してきたのだという。デヴォンとはいえど牧師だけで食べていけるわけでなく、確かタクシーの運転手もしていたと言っていた。でも音楽が本当に好きな人で、そのおかげで例えばレッド・ツェッペリン、ボブ・ディラン…そのヘンの重要アーティストの一通りのレコードは、家にすべて揃っていたらしい。ジョンもバイトをしながら家計を助けていたが、早くこのイヤな街を飛び出そうと頑張って勉強した。やっと大学に通うことになってリバプールに引っ越してからは、ずっとリバプール在住で、心はいつもリバプールにあるみたいだった。東京にいる時も、話を聞いていると、付き合っているロンドン在住の彼女よりも、リバプールでハウスシェアしている仲間の方が気持ち的に近いというか、この時期の男の子にありがちな傾向だよなと思ったほどだ。デヴォンの話は、あまり出なかった。

最初はジョン・マーティンの事務所に所属し、そこでも相当気に入られていたのだろう。当時リリースしたライヴCDとDVDは、きちんと制作され、事務所がジョンの才能に期待していたのが分る。でもジョンいわく、そこには所属アーティストがあまりに多すぎて、思うようにブッキングをしてもらえなかった、と。そんなわけで、その事務所を離れ、今はデイヴィッド・グレイやダミアン・ライスが所属するアイルランド系のマネジメントオフィスに籍を置くようになった。そこに所属してからの活動を眺めると、デイヴィッド・グレイをはじめとして、かなり大物アーティストの前座としてツアーができるようになったので、希望がかなって本当に良かったと思う。まだまだ英国でもジョンのことを知っている人は少ない。でも、そうやって大勢の人の前で演奏することによって、そこからジョンを本当に応援する人が出てきてくれればいいな、と思う。

このリチャード・トンプソンのMelt Downでの演奏の映像をみていて思い出したのが、六本木ヒルズにあるTSUTAYAのスターバックスでのジョンのインストア・ライヴだ。周りはかなりザワザワと騒がしかった。でも雑踏の中で聞いたジョンの歌声は、本当に素晴らしかったよ。雑踏の中だからこそ心に沁みた。ジョンはあの時、私の心にだけ向かって歌ってくれているように感じた。(あそこで真剣に聞いてくれたお客さん全員がそうだったと思うけど)

とにかくインストア、ラジオ、どんな環境で演奏しても、環境が多少悪かったとしても、いつでもジョンの音楽に対する集中度は素晴らしかった。こういう雑踏の中での演奏って、そうなのよ。周りがうるさいのは別にどうでもいいの。その中でアーティストが音楽に集中できないと、ダメなんだよね。アーティストが集中してさえいれば、いくら雑踏の中でも、その音楽は打つべき人の心を打つ。こういう研ぎすまされた集中度は、歌とギター、たった一人のアーティストだからこそできるマジックかもしれない。バンドになると、また話が違ってくる。

ジョンは言っていた。「一番のギタリストになろうとか、一番のシンガーになろうとは思わない。ただ一生懸命練習して、ベストの自分になりたいんだ」と。真面目で、ホントにいい奴なんだよ、ジョンって。

ジョンのパフォーマンスで、もっとも心に残ったのは、東京ボブ・ディランの名店「ポルカドッツ」で約30人ほどのお客さんの前でウォームアップギグをやったとき。あの時、間違いなく池袋に音楽の神様が降りてきていた。あのライブがとにかく私は忘れられない。実は記録も取ってないので、今、それを聞き返すことが出来ないのが残念だが、それでもあの時の感動は今でも新鮮に思い出せるのだ。あの時のジョンの集中力は素晴らしかった。

お客さんは、それこそ水をうったように静かな中でじっくり聞いてくれたけれど、あそこにだってジョンのことを知っているお客さんが来てくれたわけではない。「無料だしマスターが薦めてくれるから、のぞくか」程度のお客さんだったと思う。それは翌々日のスターパインズアカフェでの公演でも一緒だ。でもあのとき、ジョンは本当に私の期待に答えて素晴らしい歌を聞かせてくれた。ギターも最高に最高にとぎすまされていた。

私の2010年はあの一夜に集約されていたと思う。今だにあの感動をうまく伝えることは出来ない。でもあの時のジョンの歌が忘れられない。忘れられないので、またなんとか2011年も呼ぼうと今,頑張って動いているところだ。期待していてください。



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ってなわけで、期待の再来日!!! 強く願えば何でもかなう??!のかな。それは分からないけどジョンが長く続いて行く素晴らしいミュージシャンだということは確かだよ。
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そしてジョー・ヘンリーとリサ・ハニンガンの情報はここだぜ。