映画を試写で見てたいそう気に入ったので、原作本もポチっちゃいました。いろいろ物語の背景や事の詳細も知りたかったしね… 映画の感想はここに書いた。
映画めっちゃ良かったんですよ。なんというかジュディ・ディンチがめっちゃ可愛いアイリッシュのおばちゃんで、とっても素敵で、ジャーナリストとの彼とのやり取りも楽しくて。原作本、まずはペーパーバックをゲット。そしてこの日本語版が出るのを待って日本語版もポチり…
で、ペーパーバックの方を広げる前に、こっちが届いたので、こっちから先に読み始めたわけ。
普通映画と原作本だとほぼ100%本の方が勝つんだけど、これは…もしかすると映画のほうが勝ったかもしれない。とにかく映画を見てから同じ内容を期待して読むと、かなり期待はずれになること間違いなし。
というか、それだけあの映画の制作陣,特に脚本家が素晴らしかった、ということか。この本をああいう映画にしてしまう、脚本の力に感動した。
まず物語の構成がまるで違う。第1部で母親が子供を手放すまでが描かれるが、第2部から最後まではマイケル(アンソニー)の物語になるのだ。母親が出てくるのは最後の50ページほど。つまり、これは完全に(自分は捨てられたと思っていた)子供のほうの物語なのだ。
で、映画の制作陣は、この最後の50ページにこの物語のキモがある、と思ったのだろう。すごい着眼点だと思う。
映画を知らないで読んだとしたら、これはこれで素晴らしい本だったと思う。アメリカの典型的カソリック系コンサバ家庭の様子。そして共和党の中心部で働くようになったマイケルの葛藤。仲間を裏切る行為だとしりつつも、マイノリティを排除しようとする政権の中枢で働くときの気持ちの繊細な動きなど、本当に素晴らしく描かれている。レーガン政権下、アメリカのAIDS対策は非常に遅れたといういことを暴露しつつもレーガン自身はゲイの俳優仲間も多く普通に良い人だった、とか。「体面上いろいろ発言しても実行に移しはしないから安心しないさい」という先輩のアドバイスが、ぐっとくる。それが政治というものなのか? またマイケルの「自分は捨てられた」という意識が逆に帰属性をもとめて出世コースへと進んで行ったのではないのか…といったことまで丁寧に描かれている。うん、政権の中枢なんて、実際はこの程度のもんなのかもしれないとも思う。みんなそれぞれ個人的な良心はある。が、それを政治のために包み隠して進んでいるのだ。(まぁ、そういうことが原因で世界のあちこちで戦争になったりするわけだけど)
アイルランドのカソリック教会の閉鎖性ももちろん描かれているし、アメリカのカソリック・コミュニティとの絶妙な寄付金集め事業(要は人身売買)の様子も。
とはいえ、大人になってからのマイケル個人の生前の生活をここまで赤裸々に書いてしまっていいのだろうか…。相当なプライベートな私生活までかなり詳細に書かれており、スキャンダラスな面もあいまって、とにかく読んでいる間は辞めることが出来ないくらい面白かった。だからこの本、お風呂とかで読んでたら文庫本がグチャグチャになっちゃった。これじゃあBOOK OFFも引き取ってくれないかもしれない…トホホ。
文庫本なのに1,000円もするホントに長い本だったが、最後息子と母親が別の意味で出会える下りは圧巻だ。マイケルの必死な気持ちと母親との出会いを願う、その思いを思うにつけ、胸が締めつけられそうになる。いや、ホントにすごい。すごい話だ。
と、まぁ、いや、何というか、いい本でしたよ、結局。だが、この映画とのタイアップであろう、この表紙はちょっとナイよな…と思った。これじゃあ本だけ読む人を完全に無視しているとしか思えない。本だって素晴らしいんだからさぁ… オリジナルのペーパーバックにあるみたいに子供の古い写真にしておけば良かったのに。
またペーパーバックにはたくさん載ってたマイケルの子供のころの写真や、シスターや修道院の写真なども掲載すべきだった。(あ、また「べきだった」とか言っちゃったw 言わないように気をつけているのに…)もっとも映画館で売ることを前提にしているのからこうなっちゃうんだよね。本屋はあてにしてない、って事なのか。
そんなわけで映画が気に入った人にとっては、これはまったく別の息子の側からの物語として…ということを充分覚悟した上で読むのであれば、良いかもしれない。映画の内容をそのまま期待し、映画に出てたちょっとヌケた感じのジャーナリストさんが、母の感動物語を面白くも真剣に書いているに違いない、などと期待して読むと肩すかしをくらうので要注意。
映画めっちゃ良かったんですよ。なんというかジュディ・ディンチがめっちゃ可愛いアイリッシュのおばちゃんで、とっても素敵で、ジャーナリストとの彼とのやり取りも楽しくて。原作本、まずはペーパーバックをゲット。そしてこの日本語版が出るのを待って日本語版もポチり…
で、ペーパーバックの方を広げる前に、こっちが届いたので、こっちから先に読み始めたわけ。
普通映画と原作本だとほぼ100%本の方が勝つんだけど、これは…もしかすると映画のほうが勝ったかもしれない。とにかく映画を見てから同じ内容を期待して読むと、かなり期待はずれになること間違いなし。
というか、それだけあの映画の制作陣,特に脚本家が素晴らしかった、ということか。この本をああいう映画にしてしまう、脚本の力に感動した。
まず物語の構成がまるで違う。第1部で母親が子供を手放すまでが描かれるが、第2部から最後まではマイケル(アンソニー)の物語になるのだ。母親が出てくるのは最後の50ページほど。つまり、これは完全に(自分は捨てられたと思っていた)子供のほうの物語なのだ。
で、映画の制作陣は、この最後の50ページにこの物語のキモがある、と思ったのだろう。すごい着眼点だと思う。
映画を知らないで読んだとしたら、これはこれで素晴らしい本だったと思う。アメリカの典型的カソリック系コンサバ家庭の様子。そして共和党の中心部で働くようになったマイケルの葛藤。仲間を裏切る行為だとしりつつも、マイノリティを排除しようとする政権の中枢で働くときの気持ちの繊細な動きなど、本当に素晴らしく描かれている。レーガン政権下、アメリカのAIDS対策は非常に遅れたといういことを暴露しつつもレーガン自身はゲイの俳優仲間も多く普通に良い人だった、とか。「体面上いろいろ発言しても実行に移しはしないから安心しないさい」という先輩のアドバイスが、ぐっとくる。それが政治というものなのか? またマイケルの「自分は捨てられた」という意識が逆に帰属性をもとめて出世コースへと進んで行ったのではないのか…といったことまで丁寧に描かれている。うん、政権の中枢なんて、実際はこの程度のもんなのかもしれないとも思う。みんなそれぞれ個人的な良心はある。が、それを政治のために包み隠して進んでいるのだ。(まぁ、そういうことが原因で世界のあちこちで戦争になったりするわけだけど)
アイルランドのカソリック教会の閉鎖性ももちろん描かれているし、アメリカのカソリック・コミュニティとの絶妙な寄付金集め事業(要は人身売買)の様子も。
とはいえ、大人になってからのマイケル個人の生前の生活をここまで赤裸々に書いてしまっていいのだろうか…。相当なプライベートな私生活までかなり詳細に書かれており、スキャンダラスな面もあいまって、とにかく読んでいる間は辞めることが出来ないくらい面白かった。だからこの本、お風呂とかで読んでたら文庫本がグチャグチャになっちゃった。これじゃあBOOK OFFも引き取ってくれないかもしれない…トホホ。
文庫本なのに1,000円もするホントに長い本だったが、最後息子と母親が別の意味で出会える下りは圧巻だ。マイケルの必死な気持ちと母親との出会いを願う、その思いを思うにつけ、胸が締めつけられそうになる。いや、ホントにすごい。すごい話だ。
と、まぁ、いや、何というか、いい本でしたよ、結局。だが、この映画とのタイアップであろう、この表紙はちょっとナイよな…と思った。これじゃあ本だけ読む人を完全に無視しているとしか思えない。本だって素晴らしいんだからさぁ… オリジナルのペーパーバックにあるみたいに子供の古い写真にしておけば良かったのに。
またペーパーバックにはたくさん載ってたマイケルの子供のころの写真や、シスターや修道院の写真なども掲載すべきだった。(あ、また「べきだった」とか言っちゃったw 言わないように気をつけているのに…)もっとも映画館で売ることを前提にしているのからこうなっちゃうんだよね。本屋はあてにしてない、って事なのか。
そんなわけで映画が気に入った人にとっては、これはまったく別の息子の側からの物語として…ということを充分覚悟した上で読むのであれば、良いかもしれない。映画の内容をそのまま期待し、映画に出てたちょっとヌケた感じのジャーナリストさんが、母の感動物語を面白くも真剣に書いているに違いない、などと期待して読むと肩すかしをくらうので要注意。
映画は最高に良いですよ。この予告編、今みてても泣ける、笑える…もう一度見に行こうかな。しかし映画はともかく本までこのタイトルというのは…ちょっと…なぁ…