プレイヤーの人たちは、やっぱり良いものを聴かないとダメだと思う

先日、とあるミュージシャンの人と話していて話題にあがった事を今日はブログに書く。それはやはり悪い音楽というのは良い音楽をダメにする…という事だ。

「悪貨は良貨を駆逐する」…じゃないけどね。そして悲しいかなジョブズも言ってたように、その違いが分かる人っていうのは、世の中にものすごく少なかったりする。

もちろん! 音楽に良いも悪いもないよ。表現活動なんだし、音楽は共感なんだから、リスナーがその音楽が好きだと言ったら、もちろんそれで良いわけで、そこになんの問題がある?という人もいるだろう。

でも明らかに悪い音楽ってのはある。悪い音楽の定義はいくつかあるが、まず「マーケットにこびた音楽」ってのはまず良くない。これは分かるよね。マーケティングのもとに広告代理店が作るみたいなツルッツルの音楽。名前はあげないけどさ(笑)

でもってもう1つ…やっぱり下手なのは、私は人に聴いてもらう以上、やはり問題だと思うんだよね。これが不思議なもので悪い音楽って耳慣れちゃうと、それはそれで「良し!」って事になったりもしちゃう。時々CM音楽とかで、わざとその効果を狙って、下手くそな器楽や、女優の音痴な歌など、下手な音楽が流れるのはその効果のためだ。妙に外れたその音はいったん慣れてしまうと、なかなか離れない。これはまずい。

いや、それでいいんだよ、という人はいいんですよ、それで。それで幸せなら私なんぞが何を言おうか… でもやっぱりkanみたいなバンドを聴いていると、それじゃいけんだろ…と思ったりする訳でして…

特に自分も演奏する。なんていうプレイヤーの皆さんは、このバンドは聴いておいた方がいいね。聴けば分かる。このバンドがいかにすごいか。もちろん楽器なんぞは下手なままで良しとする、さらにいって下手なままでも気付かない…というのは、本人がいいと言って、聴いてるお客がいいと言っても、私なんぞはやっぱり問題なんでねぇの?と思う。

例えば私は自分が楽器を弾いていたら上手くなりたい、と自然に思う。鉢を買って来たら、うまく花を咲かせたい。料理も作るんだったら美味しく作りたい…というのが自然な人間なので、こう思ってしまうわけだ。やっぱり下手なのは問題だよ、と。

でも実はプレイヤーの連中はお客として当てにはならない、というのは実はマーケティング上、よくある話。彼らは自分が楽器を買ったり弦を買ったりする事にお金を使うから、聴くことにはお金を使わない…というのが一般的な定説なのだ(業界内)。

だけど、私はあえて言おう。下手な演奏ばかり聴いていたら、きっとあなたは上手くなりませんよ、と。良いものと悪いものの違いが分からないようでは、上手くはなれない。

例えばどの演奏家でも自分に演奏におけるターミングポイントを聞かれれば、「あの時、観に行ったあれはすごかった」「あれを聴いて、すっかり人生が変わってしまった」「あのアルバムはすり切れるほどきいた」…と、自分より先の世代のすぐれたプレイヤーたちの名前をあげ、それを聴いた体験を熱心に語るだろう。

そして、そういう事が、一人一人の演奏家を練習にかりたててくれるのだ。それが、さらに良い、後に続くプレイヤーたちを育てるのだ。

しかし下手な人たちは、びっくりするほど練習しないよね。一方で例えばヴィクター・ウッテンやペッテリ・サリオラみたいに楽器がうまい人ほど、ものすごい練習を重ねている。下手なミュージシャンほど練習しないし、アンサンブルでも相手の音を聴いてないし、ましてや自分を刺激してくれる音楽に出合おうともしない。

いや、また戻って(笑)「下手なままでいいよ」という人がいるなら、いいんですよ、それで。でも、音楽でも何でもそうだけど、上手にできることで、実は人間は「神」に近づくことができる。そして「自由」を手にいれようとするんだよ。それが生きる意味だ。仕事でもなんでもそうだと思うけど。人間ってもともとは不自由な存在なのを、なんとか自由に向かって進んで行く。そうしてちっぽけなんだけど、自分が生きる意味=尊厳みたいなのを自分なりに築こうとする。そうしてこその音楽だと思うんだよね。演奏しているのであるならね。



というわけで、プレイヤーの人はカモン!! まずは上手いプレイヤーのすごい演奏を聴くことから始めましょう。kanの来日公演まで1ケ月とちょっと。公演の詳細&チケットの販売はこちらですよ。