『アイリッシュ・ミュージック・セッション・ガイド』を読みました。



ほぉー こんな本があったんですね。アメリカ人が書いたアイルランド音楽「セッション」のためのガイド。ユーモアに溢れた楽しい文体で、あっという間に読めてしまう。

このイラストもいいけど、そもそも装丁がいいよね。もともとの原書もこんなとぼけた感じの可愛いフォントだったようだけど…(下の写真参照)

私の感想は…ホントにマーティン・ヘイズが冒頭で書いていることに尽きる。

「一緒に演っているミュージシャンに、どんなにあなたがセッションの邪魔になっているか、思うところを説明する、というデリケートな作業にあえて乗り出す必要は、これでもう無くなった。その代わりにこの本をプレゼントすればいい」

まったくおっしゃる通り。セッションとは何か。ジャムるのとは違うアイルランド音楽社交の場。その基本中の基本が書いてある、これは素晴らしい本だ。それはまた音楽家のあり方を説いている本でもある。

それにしても、こういう本が今や必要になったんだよね。今やっているポーランドの伝統音楽もそうなんだけど、今、伝統音楽を発見し、次につなぐのは「外部からこの音楽を自ら選んでやってきた、外の(主に都会の)人たち」だからだ。今や伝統音楽は、伝統的な生活の中から生まれてくるものではない。そもそも伝統的な生活という事自体が、この地球からは消滅しつつある。この音楽を活かすのは、この音楽を本当に心からかっこいいと思う、外部から来た人たちなのだ。そういう人たちによって伝統は支えられているのだ。それは音楽だけに限らず、おそらく工芸品やダンス、祭りや儀式などについても同じかもしれない。だから,こういう本みたいな存在が必要となってくるのだ。

それにしても是非この著者に書いておいてもらいたかったのは手拍子のこと。「アイルランド音楽を聴く時に手拍子は必要か」そのことを出来れば明確に書いておいて欲しかった。ま、でも同じことかな…。手拍子は観客のものと解釈するには充分な音量がありすぎる存在で、この著作に書かれている他の打楽器と同様な存在なのだ。なので「アイルランド音楽を聴く時に手拍子は必要なのか」という疑問を持つ人にも是非この本を購入して読んでほしい。とにかく、あっという間に読み終えてしまうし、値段も手ごろで、出版社の努力を感じる…と、思ったら、アルテス・パブリッシングさんだった(ってワザとらしいか…/爆)。毎度お世話になってます(笑)。

音楽は分かち合ってこそ音楽なのだ。「自分の演奏を聞いてもらいたい」だけのミュージシャンは人生の生き方から考え直した方がいいと思う…って言ったら厳しいかな。でもウチはそういうスタンスで音楽家を選んで来た。音楽は演奏家ではなくリスナーの側で生まれるものなのだ。音を出すことよりも、音を聴く事の方が大事なのだ。バンドだってそうだ。多くのバンドはバンド内でお互いの音が聞けてない。いつも書くことだが、ヴェーセン、アヌーナ… すぐれたバンドはいつも聞いてなんぼなのである。例えば人の話を聞かずに自分のことばかりしゃべっている人が誰の共感も得られないのと同じこと。昔、ウチに連絡してきたミュージシャンが「〜の前座をやらせてください。〜に僕らの音楽を聴いてほしいんです」と言っていたのだが、もちろん却下した。申し訳ないけれど、それはやっぱりなんか違うと思うんだ。音楽って何か、よく考えた方がいいよ。

ま、そんな事もこの本を読めば、きっと理解してもらえるのかな,と思ったりしている。是非。



PS.
「ではどんな心構えで演奏したらいいんだ」というプレイヤーの方からヤジが飛びそうなので、フォローしておくと、そういう人たちは『聞いてもらいたい」ではなく「自分を表現したい」という場所に気持ちを持っていくといいと思う。そしてラッキーにもそれを聞いてくれる人がいれば、それは音楽として初めて成り立つことになる。それを観てくれる人がいれば、それは映画や絵画として成り立つことになる。読む人がいれば、物語になる。せめてそういう気持ちで自分の活動に取り組まないと、表現者として煮詰まる時が必ず来てしまうと私なんぞは思ったりする。