2020年9月11日金曜日

「バンドにエイド」がんばれと言うな、というけれど…


(c) Yuki Kuroyanagi

浅草の公演でサウンドチェック中のバンド。仁王立ちのスタクラ。客席を組み立てる私。

まったくスタクラなんで死んじゃったんだろうなー 不謹慎だけど時々先に亡くなった友人たちが羨ましくなる。生きているのは、本当に辛い。でも残念ながら自ら死ぬわけにはいかないので、なんとかお迎えが早く来るのを待ちながら、楽しいことを考えて自分の気をまぎらわし進むだけだ。角幡さんの言葉がしみる。これ大好きな一行。

「生きるということは不快に耐えてやり過ごす
時間の連なりに他ならない」
角幡唯介『アグルーカの行方』より

それにしてもSNSをやっていない友達たちは、今ごろどうしているのだろうと思う。今や人付き合いはほぼすべてネット上。いや、SNSは嫌いだ、やりたくない、スマホも持ちたくないという人については、今まで私もその人の生き方を尊重し、余計なことを言わないできた。

でもどんな人も取りこぼさない多様性のある社会をつくらねば…みたいなことを考えるにつけ、この時代に情報やネット上に存在がないというのは、とても不利なことだと思うし、もうそういう人たちを助けることはできないんじゃないかとも思う。正直、絶望の境地だ。

そもそも自由とは、責任とは…と思う。もしかすると政府のアプリ、あれをダウンロードしてない人はこの国に住むための義務を果たしていないということではないのか。海外から帰ってくること1つとっても厚生労働省のLINEのメッセージを受け取れるか受け取れないかで、大きく差が出てきてしまう。もちろん監視社会は絶対にいやだけど。一方で監視社会が嫌だというわりには自粛警察が大好きなのだから日本人は矛盾している。難しいね。

例えばOLやってる友人は自分のオフィス内でクラウドファンディングに参加したことがある人は一人もいないという。うわー、そうなのか!? 逆に私の周りにはクラウドファンディングに参加したことがまったくない人はほぼいないんじゃないかな。同じ東京に住んでいて、住んでる世界というかレイヤーというか次元がまるで違う。そしてこういう違いは、どんどんどんどん広がってしまう。

ただ私も入院して学んだことだが、自分の住んでいる世界は特殊だなのだ。それを私も自覚しないといけない。そして自分の住んでいない世界の方が分母が膨大なんだって。それをわかってないから、うちはヒットを作れないのだ。分かっちゃーいるんだ、分かっちゃー(笑)

ただ自分で情報にアクセスしないデカい分母の人たちよりも、自分で情報を探してきてくれる小さい分母の人たちを効率よく集める方針でいかないと、ウチみたいな小さな事務所はなりたっていかない。というのも、自分で探さない人たちは大きなメディアに大量に載らないと何事にも気づかないからだ。そうして大きな分母の人たちは、巨大メディアやお金もちのスポンサーにひっぱられていく。

クラウドファンディングひとつとっても、その参加の仕方というそれこそ懇切丁寧なブログを書く必要があるかもしれないとも思わなくもない。でもそういう人たちに参加を呼びかけるには、それこそすべてにおいて手厚い手取り足取りのケアが必要になる。が、でも書くべきなんだろうな。書くべき。

その人たちには、私にはまったく見えない巨大なハードルが山のように見えているんだろう。またテクノロジーの問題ばかりではなく、気持ちの問題もあるんだろう。知らない未来の方がやってくることの方が、最悪とも思える既知の現状が続くことより怖いという保守バイアス。

そういったわたしには見えないハードルを怖がって、何もできずに佇んでいる人は、悲しいかな、どんどん置いていかれていく。fbだって、Twitterだって、最初のころはもっとシンプルだし簡単だった。そこで小さな失敗やいろんなことを体験しながら、あれこれ習得していったから、バカな私でもついていけたのだが、今、ゼロからSNSを使う人は本当に大変だと思う。

手取り足取りSNSやクラウドファンディングのやり方を教えたとして…  いったいどうなるんだろう。また次のハードルが来た時、その人はやはり誰かが手取り足取り教えてくれるのを待つしかないんだろうか。

いや、みんながみんな好きなペースで生きているのだから良いだろうと、私も昔は余計なおせっかいはやめておいた。でもそんなふうにしていたら、こんな時代になってしまい、情報を持っていない人たちはどんどん取り残されていってしまう現状が生まれている。彼らを助けないと、良い社会は生まれないと思うのだけど…、それってなんか上から目線なのか?

ではどうしたらいいいんだろう。

新しい経験は…  私は大人になってもどんどん体験した方がいいと思う。その方が楽しいし、おそらくこの先10年、20年は今までの進化以上に周りは急速に変わっていくだろう。今回コロナ禍で、その選択はもう自分の目の前に突きつけられ、誰もが結論を迫られているのだ。その時、自分は地球を回す側にいたいのか、人が回すのを見ているのか。でも、自分はただただ平和に暮らしたい。何も変わらないのがいい、責任は持ちたくないって思っている人は驚くほど多いのだ。これをよく覚えていかないといけない。

多くの社会学者や、自分の夢を叶えている人たちが、しつこいくらい言っていることだけど、今だに多くの人に伝わってないのは、この「行動しないことのリスク」だ。どんどん行動してどんどん痛い目にあってでも経験値を上げていかないと、どんどん弱っちくなってしまう。こんなツイートも見かけた。私達も今や赤ん坊と一緒だ。失敗して強くならないと生き残っていけない。

行動しない人は行動すると損をする、と思っているのだろうな、きっと。私だってすごく頑張って作ったバルトロメイ・ビットマンの来日公演がすっとんで、つらいことはつらいのだが、これ実際行動している人には分かってもらえると思うだろうけど、実はまったく後悔していない。すでに新しい日程で彼らのツアーを組み始めているし、コロナ禍でのタフなやりとりは、彼らと私との信頼関係を強固なものにした。TOKYO JAZZという結果も残せた。だから努力したのに無駄だったなんて絶対に思わない…んだけどね。

ふふふ、でも、そんなことも人から見たらバカに見えるんだろう。いいです、バカで。ゲバラみたいなもんだな。「バカと呼ぶなら答えよう、まさにその通りだ」と。

そしてこういうブログを読んでも変わらない人は変わらない。というか、変わらない人の方が多い。そしてこんなブログを書けば、野崎は偉そうに物を言うという悪い印象だけを残す。まぁ、いいんだ、そんなことは。でもちょっと自分の中であまりにも問題意識がふくらんじゃったので、今の気持ちをここに書いておくことにした。

今は10月のヤヌシュ・プルシノフスキの公演に向けて、とにかく頑張る。頑張っても報われない世界だということはわかっている。でもダメだったとしても誰の同情もいらないよ。いいんだ、だって、自分がやりたいことやってんだから。あとは、まぁ、人にとにかく迷惑をかけないように。それだけだ。

でも改めて思う。ツールを手にいれることは自分の得たい未来を手にすることだ。クラファンみたいなシステムは本当に素晴らしいと思う。先日勝間さんも言ってたが、今や「お金を使うこと」=「社会意識の表明」だ。

安いから、そこにあるから、可愛いからで購入するのではなく、お金を使うことでこの社会を回しているということを、もっと多くの人が自覚すべきではないのか。あ、また「べき」って言っちゃった。

一方でツールに振り回されてしまっては、まったく意味がない。You Tubeとかいって、本当に自分の表現活動を楽しんでいる人と、アクセスやチャンネル登録を意識しすぎの痛い人と大きく分かれる。この竹山さんの記事、とても共感した。芸能界も事務所独立がはやっているようだけれど、こればっかりは向き不向きがある。誰も彼もがYou Tubeをやればいいのではない。

で、自分はどーなの? 私にはブログというスタイルがとてもあっている。だからこんなに長く、毎日続けられている。5Gがくれば動画の世界が爆発的にヒットするだろうことは100%明らかだし、最近はGoogleさんもブロガーに冷たいので収益もあがらないど、自分が時代にはあわないのだから仕方ない。そして、偉そうなこと言ってる割に、私もクラウドという概念がうまく頭の中に取り込めず、今だにデスクトップの上はグッチャグチャ(笑)散らかり放題だ。まずはこれをなんとかしないと。

うん、未来のために頑張ろう! 私も今回クラウドファンディングという、新しいことに挑戦してみた。最初はおっかなびっくりだったけど、なんとかなったよ。一応自分ではもう人生最後のクラファンと思っているけど、もう一度やる機会があったとしても、もう怖くないよ。

あと2週間、私はこれを頑張ります!

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