木﨑賢治『プロデュースの基本』を読みました

 


はい、めちゃくちゃ読みやすかったです。この本。まぁ、いわゆる著者がお話をしてプロのライターが書く(編集協力)という形を取っているからなんだけど、それにしても読みやすい。すいすい読めちゃった。数時間で読了。そしてあれこれ勉強になるよ。とてもよかったです。

私も偉そうだけど、自分の肩書を聞かれると「プロデューサー」と答えている。でも木崎さんの言うプロデューサーとはだいぶちがうと思う。私は、何かを自分のリスク(予算とも言う・笑)で制作する人はプロデューサーと呼んでいいと思っているんだけど、木崎さんの場合は、もっとアーティストの作品制作の部分に踏み込んだ、さらにクリエイティブな部分、アーティストに近い部分を担うプロデューサーだ。渡辺音楽出版の制作として(今はご自分の会社で)スタジオでディレクションしたりアーティストの制作を手伝ったりしている。

それにしてもアーティストのアーティスティックな部分にこれだけ入っていけるというのは、とても羨ましいと思う。私はとてもじゃないけどメロディがどうとか、サウンドがどうとか、歌詞がどうとか、ミュージシャンに言うことはとてもできない。(というか、そこに言及する時は褒める時以外はありえない)

残念ながら私には音楽の素養はないので出来上がってきたものに自分が好きか嫌いかしか言えないし、一緒に働くミュージシャンの選択は人一倍厳しくいるつもりだけど、いったん自分が一緒にやると決めたら、もう音楽的なことにはほとんど口を出さないようにしている。ミュージシャンの方が音楽的な才能は明らかにあるし、「だったらお前がやってみろ」と言われるようなことには基本的には口を出さない(笑)。

一方でアーティストを海外から招聘している、ということでは「プロモーター」っていう肩書はを検討した時期もあったけど、でも私は現在活躍されている大手のプロモーターさんとは違ってほぼ無名のアーティストとやっているということもあるし、加えて自分のアーティストたちを比較的長期的に日本の市場で独自に育てているという自負もある。

一方で「マネージャー」というのともちがうと思っている。そもそもアーティストから雇われている場合はマネージャーでもいいだろうが、私の場合はあくまで対等だ。もちろんミュージシャンにマネジメントの才能を買われてギャラを支払ってもらった上で対等な関係が築ける人は素晴らしいと思うが、私にはその才能はない。私の場合は、どっちがどっちにお金を払うかもらうかでだいぶ立場が変わってしまう。だからマネージャーとはやっぱり呼ばれたくない。またたくさんのアーティストのリストをかかえて、その中から第3者にリスクをプレゼンしていく形を取るようなエージェントというのとはあきらかに違う。まぁ、でも現場ではそんな細かい事は言っておられず、うちのアーティストの中にも私のことを「オレの日本のマネージャー」「うちのエージェント」みたいに紹介するアーティストもいる。まぁ、その辺はおおらかに受け止めている。

いずれにしても、フリーでやってる場合、肩書には本当に苦労するよね。初めてに会う人に対して分かりやすくなくてはいけないし、ちゃんと自分の仕事や業績をあらわす呼び方にしなくてはいけないからハッタリはもっての他。そして、一番大事なことはそれに自分が納得してないといけない。自分の仕事のどの部分が他人にプロフェッショナリズムを誇れるのか。私が尊敬する探検家さんたち、ジャーナリストの人たち、フリーのライター、DJさんたち…ほぼ全ての皆さんが肩書には苦労されているのはよく見てとれる。だから私がファンでいる5、6年の間でも自分の肩書を変える人は多い。

だいぶ話がそれた。いずれにしても「プロデュース」だ。まずはこの本も、いわゆる音楽業界が華やかだった時代に黄金期を満喫したオヤジの自慢話の本かもと思いつつ、そんな嫌味なところは全然なく、音楽業界に限らずとても話題になっているようだったので一応買って読んでみた。結果いろいろ勉強になった…というところ。

以下、心に残ったところを自分用にメモ。

「自分の感性を信じられる強さとはいったい何なんでしょう? ものを作る人間はみんなどこかゆらぎがあっていつも不安でしょうがないはずなんです」

「うまくいかない人はみんな、自分の感性を疑いながらやるからなんだと思います」

「ストーリーにお金をかける、ストーリーにお金を払う」(ここで木崎さんはディズニーランドを例にあげています。わたしはディズニーはどちらかというとアンチなんだけど、この部分はいろいろ勉強になりました)

(歳をとると)「もう感性が新しいものを必要としていないんですね。まっさらな青春時代に聴いた音楽がいちばんの衝撃で、あとはその思い出とともに生きるというのも、真っ当な生き方なのかもしれない。だけど僕はやっぱりそれに抵抗して、無理やりでも新しいものを求めていきたいですね」

「ルーティンワークは楽だけど、ものづくりの敵」

あと木崎さんのお話でアーティストとコミュニケートする時の注意事項は私もこころがけていることがたくさんあって、いちいちうなづくし勉強になった。例えば「必ず肯定すること」とか「しっかり褒めることを忘れない」とか。欠点を指摘していてはいけない。「欠点があるから売れないんじゃなくて、いいところがあるから売れるんです」

曲はともかく歌詞がうまく書けるようになるには時間がかかる。積み上げてきたものがないと難しい、という話も妙に納得。

クリエイティブな人は威張らない。クリエイティブな人はどんな相手でも平等に扱う。逆にそういうクリエイティブな人を使う側の仕事をしている人にすごくある傾向は名前がある人には媚びた態度をとり、あまり実績のない人にはいばったりする。(これ、あるよー あるあるだよー)

「正論では人は動かない」=これ誰だっけ。「正論は人を幸せにしない」って誰かが言ってたんだよな。それと同じことなんだけど、人を動かそうとしたら正論をかざしても意味なし。

著者は渡辺出版にいたらしく、社長の逸話がたくさん出てくるのも面白い。

歌詞を先に書く(もしくは準備する) 後から歌詞を書くのは確かにレコーディングが難産系になるための最大要因かも、と思う。私も数は多くないがそういう現場に何度も遭遇した。シンガーソングライターの場合、歌詞がかけなくてスタジオでレコーディングが進行しているというのにウンウン唸っているケースが多すぎる。

「音楽業界の経験を最初にどこでやったかで、その後の音楽との関係性や自分の立ち位置が決まってしまう」これも響いた箇所だ。私も自分が最初にレコ社にいたことが大きくその後の自分のキャリアに反映されている。なんだかんだいっても、そして腐ってもレコ社というのは音楽業界の中心にあった。だからこれは正しかったと自分でも思っている。

ギャップがあるからかっこいい。

歌は丸くないと人の心に入っていかない。

「自分が作る音楽を100万人ぐらいの人はいいと思ってくれると信じています」ここが木崎さんのすごいところだよね。でも私も小さなTHE MUSIC PLANT村の村長だ。私の場合は200人。私が紹介する音楽は200人の人には受け入れられる土壌があると思う。そしてそこからどうやって広げていくか。これがこの仕事の面白さだ。

エド・シーラン、そしてビリー・アイリッシュ:アーティストは昔はメロディ、ちょっと前まではサウンド、そして今は世界観

まずはタイトルを。タイトルが決まれば全体がぶれずにやれる。

歌詞は文章でなくていい。

メロディが感情を運ぶ

うまくいっているときほど何も考えない。

褒める時は関節的に褒める。一方で批判は直接。

目標があればイヤなことも辛くはない:愚痴を言っててもダメ。未来を考える人にしか新しいものは作れない。

新しいものには必ず否定する人がいる。

自ら退路を断つ。

人は死ぬまでカッコつけまくって死んでいく。(加藤和彦さんの話)←この辺は男性プロデューサーならではかもとは思った。女性プロデューサーたちはもっと「カッコつけても意味ない」「カッコよりも実態が大事」と思うのではないだろうか。

何はともあれとても勉強になったし、自分が普段考えていることの整理にもなった。音楽業界に限らず何か作りあげる人にとってなら、あらゆる職業の参考になると思う。こちらの木崎さんのインタビュー記事も面白いので、ぜひ。