映画『世界で一番美しい少年』を見ました。なるほど〜


スウェーデン映画『世界で一番美しい少年』を見ました。すばらしい。

というか、素晴らしくお金と手間がかかっている贅沢なドキュメンタリーだった。ここのところ私が見てきたドキュメンタリーは、妙に低予算っぽく簡単に作られているものが多かったので、まずはそう思った。

そういうチープなドキュメンタリーと違い、このドキュメンタリーはビョルンとともに、かつての思い出の東京(ちゃんと当時泊まったという帝国ホテルに再び泊まっている)や、ベニスに古い知り合いたちを訪ねたり、権利関係も複雑であろう他の映画のシーンや「ベルサイユの薔薇」のアニメ、音楽もふんだんに挿入されている。

撮影にも5年を費やしたそうだ。

そんな手間とお金がかかっているドキュメンタリーとお見受けしました。さすが映画へのサポートもしっかりしている北欧の作品。

いや、揶揄するのはやめておきましょう。これはすごく良いドキュメンタリーです。本人も含め、家族の人たちもこの映画の制作にすごく協力していることが見て取れる。

でも当時はともかく、現在はこんなに素敵な家族たちに恵まれていても、なかなか彼は自分の人生の答えを見出せないでいる… そんなところだろうか。

特に娘さんが素晴らしい。お父さんのことを距離を置きながらも、しっかりと見つめている。

彼女の子供時代も、おそらく決して幸せでなかったのだろうし、愛情不足の親子関係は負の連鎖を招くと言われることもあるけれど、そんな心配は彼女のところで断ち切られているように感じられた。

ヴィスコンティ監督はとっくに亡くなっているが、当時の関係者、特に日本における関係者がたくさん登場する。日本でのシーンや映し出される雑誌の記事やテレビ番組のスティルなど充実している。日本でのコーディネートさん、頑張ったねぇ…

その彼らは嬉々として当時の話をするんだけど、ビョルンのファンでビョルンに影響されてオスカルを生み出したという池田理代子先生はともかく、ビョルンに日本の歌を歌わせ、CMに起用したソニーのプロデューサーやマネジメントの男性など、広告関係の人たち。

正直、彼らはどうなのよ、これ…とわたしなんぞは思ってしまった。

それにしてもアーティストって本当に傷つきやすい存在だ。彼らは素晴らしい才能を得たがために何か大事なものを失っている。ましてや当時のビョルンは、まだ保護者を必要としている子供。

そういえば先日、友人の音楽業界で働く旦那さんから「実はこういうケースがあるんですけど、こういう時、のっちさんなら自分のアーティストに対してどう説明しますか」的な質問を受け、私はちょっと嬉しく思った。

ウチはミュージシャンを大事にする事務所だと人から見られているのだろうか。だとしたら、めっちゃ光栄でな話である。

…というのはさておき、いや、本当にアーティストと接する時は、手をぬけない。そういうことを当時の日本の人たちは考えられなかったのだろうか。子供であるがゆえに、彼は周りの大人に従うしかなかった。誰も彼の内側がボロボロになっているのを気づかなかった。

いや、そもそも日本の芸能界時代が、アーティストは使い捨てという事だったのだろうか。なんといっても70年代だったのだし、ビョルンの関係者だけを責めるわけにはいかない。日本の芸能事務所、そして広告関連はこんな感じだったのだろう。

ヴィスコンティ監督が記者会見で言っていたとおり、ビョルンの美しさはオーディションの時が群を抜いている。あそこが美しさのピークで、そのあとはすべて下降線だったのだろうか。

映画がクランクアップしたら監督はビョルンに興味を失い、監督の注意が解けたビョルンを監督に忖度して遠慮していたお取り巻きたちは(ほとんどが同性愛者の男性だったという)、急にビョルンをそういう視線で見るようになっていったという。

何も知らないままゲイバーに連れて行かれ、どんなひどいことが行われていたのかは想像を絶する。

そうやって消費される彼の美貌。しかし彼の内側が同じ人間、しかもまだ子供だということに誰も気づいていない。

ヴィスコンティ監督がイコール彼の人生をむちゃくちゃにした…とは私は断言できないと思う。ビョルンはそもそも生まれ・育ちからして非常に不安定な状況だった。

母親はボヘミアンな性格の芸術家肌な女性で、彼と妹を祖母に預けて自分は失踪。その果てに死体となって発見されている。彼と妹は、なんと同じ年に生まれているが、父親は違う。(彼は1月生まれ、妹は12月生まれだそうだ)

どうやらビョルンの妹の父親ははっきりわかっているようなのだが、ビョルン本人の父親はいまだに不明なのだそう。お母さんのみが知る…といったところなのか。お母さんは父親の名前をついに墓場まで持っていったわけだ。

子供の彼らを預かった祖母は彼を使ってお金や名声を得ることにしか興味がなく、自分自身も映画の端役に抜擢されて浮かれていたという。

でも自分の人生に起こった数々の不幸を克服できるチャンスが、彼にはなかったのだろうか。やっと立ち直ったかのように見えた彼は幸せな結婚をするが第二子を突然死で失い、それは自分のせいだと自分を責めることしかできない。

今住んでいる廃墟のような狭いアパートは恋人が掃除をしてくれるまで、まるでゴミ溜め。恋人との関係も不安定だ。白髪の長髪の彼はか細く、66歳だというが、80歳にも見える。

最近の映画『ミッドサマー』でも謎の老人の役としてちょこっと登場するビョルン。当然『ベニスに死す』の頃の美貌はまるで感じられないが、妙にシャープな視線が不思議な存在感を醸し出していた。

思わず映画を見て帰宅して、配信で再度『ミッドサマー』のあの衝撃的な谷間へ落ちるシーンをあらためて確認してみる。

すごいよな…これ。でも撮影現場で、特撮用に制作された自分の頭部を嬉しそうにスマホで撮影するビョルンは、間違いなく楽しそうだった。そう、彼は間違いなく生きている。

本当はミュージシャンになりたかったというが、果たして彼がミュージシャンになったとして、最高の人生が彼に待ち受けているようにも思えない。

しかしヴィスコンティねぇ… ヴィスコンティというと、中学の時の若い女の先生のことをふと思い出した。

歳が自分たちとそれほど変わらない彼女にわたしたちは友達のように失礼な態度で接していた。先生はヴィスコンティの大ファンで「出てくる男性女性、みんな完璧に美しいの」とうっとりと『山猫』だか『神々の黄昏』だかの説明を、私たちに延々としてくれた。

しかしその先生も当時20代だったわけで、大昔に私がこの映画を見ても訳がわからなかったように、彼女も映画の内容を十分に理解して、私たちに話してくれたとはとても思えない。単なる田舎教師で、ただただ西洋文化に憧れて… そういうことだったのだろうと想像はつく。

それでも彼女は私の試験用紙の隅っこにヴィスコンティの映画に出てくる美しい俳優さんの似顔絵をマンガチックに描き、それにキャプションをつけてくるくらい、この世界にはまっていた。

こういう「西洋の世界」は、当時のあのくらいの年齢の女性たちの憧れの的だったのだろうか。ビョルンも日本の広告業界の人たちも、彼女たちに夢を与えたのかもしれないが、果たしてそれは誰か(=本人)の犠牲の上にしか、なりたたないものだったんだろうか?

もしかしたら人類すべての幸せの分量は決まっていて、誰かを幸せにすれば本人は不幸せになるのだろうか? いや、そんなことでは決してない。少なくとも私は、そんな芸能界みたいな嫌な世界には生きていない。

帰宅して配信で久しぶりに『ベニスに死す』を見たのだけど、今、見てみれば、ただただ老いの寂しさが滲みるという映画でもない。こんなに人を好きになれるんだから、この作曲家は間違いなく年老いてなんかいない。

そして明らかにこの映画はハッピーエンドだし、ヴィスコンティの美意識に溢れている。

話をビョルンのドキュメンタリーに戻そう。母親が残したという最後のメッセージ「持てるものはすべて手放した でも私は死なない」が妙に染みる。このセリフは何度もナレーションで出てくる。

そう、パンフレットに書かれていた芝山幹郎さんのコメントの通り、彼は首の皮一枚でこの世につながれている。本当に彼に穏やかなサバイバルを…と、そう願わずにはおれない。良いドキュメンタリー映画でした。

…とはいえ、再び書くがヴィスコンティはすごいな。いや、マーラーの5番がすごいのか? せっかくこのドキュメンタリー見たのに、家で見た『ベニスに死す』に持っていかれちゃった感が。大人になってからみると、本当にいろいろ考えさせられる映画だ。


こちらのインタビューも興味深いので是非。 上映情報はこちらの公式ページをご覧ください。

普段、マーラーとか絶対に聞かないんだけどなー、カラヤンでも聞くか〜。いいなぁ、やっぱ。