久しぶりに編み物しながら映画『Almost Famous あの頃ペニー・レインと』を見た。いや〜、よく書けてる映画だよなぁ。
たとえば、名門ローリングストーンに記事を書くことになった主人公にナイスなアドバイスを送るおじさん音楽ジャーナリストとか。主人公がスティルウォーターの彼に質問するシーンで「すごいな、顔がプロフェッショナルになった」とか。
…などなど細かいところにいちいち共感してしまう。わかるわ…。仕事仲間っていい。それでも友達モードとプロモードとあるんだ、仕事仲間には。
バックステージのバタバタや、音楽ジャーナリズムのいい加減さとか、それでもみんな必死で生きてるところとか。夢と現実を行き来するツアー稼業の虚しさとか。
そして、久しぶりにこの映画を見て、私はツアーバスの楽しさを思い出した。この「Tiny Dancer」のシーン、大好き。
パンデミックのこういう時期だから後ろ向きで思い出を掘り出して懐かしがっても、まぁ許されるかな。というわけで、今日は海外に自分のバンドを見に行った時の話を書いてみたいと思う。
あのバックステージに入れる特権。I'm with the bandっていう、あぁいう感覚、大好きだった。まぁ、他から見れば私はなぜかヨーロッパのバンドにくっついている謎の東洋人なんだけどさ(笑)。
ツアーバスから降りて、I'm with the band…とか言ってバンドにくっついて楽屋に行く感じ。
公演の主催者が気がきく人だと私にもパスをくれたりするのだが、バンドが忙しかったり、バタバタしたりするとなかなかそうもいかない。
これってほんとに微妙でバンドに「ステージの写真を客席から撮ってくれ」とデジカメ(当時)や、携帯を渡される時とかも、アメリカとかセキュリティが厳しいところは本当に厳しいので、いくらバンドに頼まれたと説明しても警備員に理解されず、追っかけまわされたり(笑)
ルナサのツアーではマーチャンタイズを担当したこともあった。オックスフォード、そしてシアトルで。
キリアンからお釣りの袋を渡され、バタバタと店にCDを並べた。「演奏は何時からスタートなの?」と聞くとバンドは「5分前」とか言う。
そんなふうに初期のルナサのツアーは本当にバタバタだった。当然CDを売るスタッフなど同行していない。運がよければ会場がフロア担当の子の回してくれるのだが、それは稀で、だいたいはバンドがバタバタと休憩中も自分たちで売ったりしていた。
シアトルのその日はちょうどレコ発ライブで、CDは売れに売れた。20ドル札を足で段ボールに蹴り入れながら、私は一人で売りに売った。たぶん2,000ドル以上売ったと思う。なんといっても普通のバイトと違って、私ならバンドについて何を聞かれても答えられる。
ちょうど会場の後方に売り場があったので(トラクタータバーンという会場。マーティン・ヘイズがライヴ盤を録った会場)、私は販売テーブルに座ってコンサートを聞いていたが、お客さんが演奏中に「この曲はどのCDに入ってる?」とか聞きにくる。そうすると旧譜もよく売れた。
それにしても映画を見て思い出したのは、再び書くけど、移動中の楽しさだ。一つのコンサートに行くだけじゃなく、2、3ヶ所同行できるとなれば、移動もなるべくバンドと一緒にしたい。だが、移動の車両が私が合流できるほど大きいものとは限らない。
マネージャーのいるバンドは、私に協力的でバンドが泊まるホテルや移動車の状況など詳しく私にこっそり教えてくれる。ここにもしょっちゅう書いていることだが、私はいつもバンドは突然訪ねていくのがかっこいいと思っていたから、メンバーには黙っておく。驚かすためだ。
だから内部にスパイが必要なのだ。
それにバンドに会いに行くのはツアー中がいい。普段の生活は邪魔したくないし(ツアー中より、普段の生活の方が忙しいというパターンはよくあった)、
かといって私が行くと前もって伝えれば、ディナーがどうしたとか家に招いてくれたり手を焼いてもらえることは想像できるので、具体的なツアーが近々にあり、打ち合わせが必要な時以外は、彼らの普段の生活をわずらわせたくなかった。
みんな家ではいい家庭人だからね。
たとえばポール・ブレイディは、バンドのツアーともなれば2階建ての立派なツアーバスだけど(しかも後部にメインアクト用の立派なベットまである。もちろんポール用)、アメリカのツアーはマネージャー兼エンジニアのジョンとポールのたった二人ということが多かった。
ジョンはホテルのブッキングもしているのだけど、彼の選ぶホテルはすごく素敵で、値段もバカみたいに高いところはニューヨーク以外はなく、だいたいは小さいサイズ、でもとてもコージーな可愛いゲストハウスであることが多かった。(ニューヨークだけはさすがにバカ高く、ジョンに業界レートを摘要してもらった)
そういや某田舎のホテルにポール達と連泊していた時、お部屋の掃除に日本人のメイドさんが来て、彼女は久々に日本語がしゃべれる!と喜び、私は部屋のソファで彼女のベットメイキングを見ながら、二人でしばらくしゃべっていたっけ。
あれも8部屋くらいしかない、でもとっても可愛い素敵なホテルだった。
普通の乗用車である移動車をジョンが運転し、ポールはだいたい助手席に座り、私はゆっくり後ろの席で足を伸ばしながら、ポールが歌う鼻歌を聴いていた。すごく贅沢。
一度ポールが道中ウクレレを買って、ずっとウクレレを弾きながら歌っててすごく綺麗な森の中をドライブしたことがあったっけ。あれ良かったなぁ。
アメリカの東の上の方で、もう場所の名前すら忘れちゃったが、すごく楽しかった。楽器屋でポールがブズーキやらギターやら試し弾きする時にWelcome Hereに入っているバルカンの曲を弾いたらお店の人がポールに「アンディ・アーヴァインですね」と言ったのが笑えた。
私は思わず「こちらはポール・ブレイディですよ」と言おうと思ったけど、ポールも笑って面白そうにしているので、黙っていた。なんか幸せなモーメントだった。
メアリー・ブラック。メアリーも大きなツアーバスでツアーすることが多かった。だからジョインすることは簡単で、バックステージも華やかで、ケータリングも豪華で、私もずいぶん良い思いをさせてもらった。
彼女の英国ツアーで、ホットミールのケータリングというのを初めて体験した時は「これがロックンロールの世界か」と妙に感激したもんだ。そういや『Almost Famous』にもホットミールのケータリング、でてくるよね。
メアリーはとにかくバンドからスタッフから、ものすごく面倒見がすごくいい。成功する女性シンガーというのは、こういうもんなんだなとつくづく思ったっけ。
ヴェーセンは、アメリカ・ツアーだと彼らのアメリカのレコード会社であるロブ・サイモンズ(元ライコ・ディスク)がドライバーを担当することが多かった。
ロブは私の驚かし作戦もよく知っていたので「空港でレンターカーを借りる瞬間までは車種はわからないけど、たぶんお前一人くらいは乗れるよ」と言って、よく私を車に乗せてくれた。
ほんと一人増えただけで車が動かないことも加味し、自分一人で公共の交通機関で移動する方法ももちろん調べておく。アメリカはこの点、地元の誰かの協力を得ないとなかなか難しかった。
ロブとバンド三人と私とで車に乗っていると「この車が事故って全員死んだら世界からヴェーセン組は完全に消失しちゃうよね」なんて冗談を言ったものだ。それでもロブか私が一人でも生き残れば追悼CDなんてのも出せるのだが(笑)
一方でヨーロッパの場合はレンタカーでメンバー自ら運転するので、私もだいたいは載せてもらえることが多かった。もちろん私は最悪乗れない場合を想定し、次の町まで自分で公共の交通機関で行く方法などは十分インターネットで事前に調べたりしていたものだ。
スウェーデンの国内ツアーはメンバーそれぞれが車を運転して現地集合なんてことも多く、いつだったかウーロフがすごく素敵な森の中を運転するのに同乗したこともある。あれはどこだったのか。もう記憶が不確か。
ルナサ。初期のルナサのツアー、とくにアメリカツアーは本当に大変だった。ナビとかもなかった時代だ。地図を確認しながら1日何時間もドライブしていく。サウンドチェックは何時から?と聞けば、2時間前からだよ、と彼らは言う。CDも自分たちで売って本当に大変だった。
でも今思えば、とにかく笑いと大騒ぎが耐えない最高に楽しいツアーだったと思う。男子校の卒業旅行みたいだったし、コミットメンツみたいでもあった。トレヴァーが、新しいギアを買ったんだよとiPodの前のめっちゃ重いMP3プレイヤーを見せてくれたのをすごくよく覚えている。
当時、ヨーロッパ人はなぜか全員ブラックベリーという機器を持っていて、みんなそれで交信していた。ブラックベリーはなんで日本にないんだろうと不思議に思っていた。
狭いヴァンにぎゅうぎゅうに収まっていく彼らは、たとえばトレバーのベースが入り口を塞いで後部座席に後部ドアから乗れないということもあった。なので、彼らは運転席をまたいだりして、一人ずつ車の後部に乗り込むのだった。私もその後に続く。懐かしいなぁ、あれ!
アルタンのアメリカツアーバスも楽しかったなぁ。彼らはすごく立派なバスでツアーをしていた。同行したのは数日だったのだけど、ものすごい雪の日で、アメリカの東海岸だった。マレードは娘のニーアを連れていたっけ。
雪でニーアのために雪だるま作ろうとしたけど、さらさらすぎて全然形にならなかった。
あ、グレンのバンドもすごく素敵なツアーバスで旅してたなぁ。確かアトランタとナッシュビルに行ったんだった。
空いた時間で、Compass Recordsの事務所を訪ねたっけ。でも初めて行ったナッシュビルは好きになれなかった。「音楽の街」じゃなくて、「音楽ビジネスの街」っていう印象。あのツアーを最後にもうアメリカには行ってない…と思う。
また思い出したら書く。何週間もツアーすると大変だけど、数日合流するならツアーはとても楽しい。
それにしてもこういう生活をしていた人がいきなりそれができなくなるということの寂しさったらないだろうなと想像する。私なんぞはなんだかんだ言っても「家でボケボケしている時がさいこー!」っていうタイプだからいいけれど。
幸運なことにコロナ禍においても2020年のポーランド、2021年のギリシャ、オランダと海外へ行くことが出来た私は、本当にラッキーだった。でもそれらはすべて誰かが航空券を払ってくれた「お仕事出張」だ。
自分で自分のバンドたちの日程を調べ自分で自分の行きたいコンサートをつなげて日程を組み、自分のマイレージを使って自分の出張をすることは、それに比べて格段に楽しい。旅の意味もまったく違ってくる。
好きなバンドがいなければ、きっと私はこんなに旅をしなかっただろう。旅の楽しさを教えてくれたミュージシャンたち! 本当にありがとう。
またツアーできる日々が戻ってきますように。
こんなページも見つけた!(アメリカのバンドツアーバスの写真が載ってるw)
そしてあの映画から20年後の俳優達の今をレポートするUSA TODAYの記事。あの口うるさいお母さん役の女優さん、ノマドの彼女だった!! 今、気づいたという大馬鹿ものは私だ。
主演の彼も今、こんなにかっこいい俳優さんだというのが、本当に素敵。彼ってアイリッシュ系なのね💚 そうね、パトリックだものね。
'Almost Famous' 20th anniversary: Where are Billy Crudup, Kate Hudson, Patrick Fugit now? https://t.co/hmIctOM1v0 via @usatoday
— 野崎洋子 (@mplantyoko) January 30, 2022