國友公司『ルポ 路上生活』を読みました


おもしろそう!と勢いで買ってしまった。今、この状況下の東京で将来に不安を持つ人が読みたくなる本だと思う。自分もいつか路上生活者になるんだろうか。私もそんな気持ちに引っ張られこの本をポチってしまった。

ちょっと前に話題になった「ルポ西成」と同じ著者。92年生まれ。若い。でも面白い経歴。こちらが著者のHTML名刺

文章はテンポがよく、とっても読みやすい。先日まで読んでいた戦時中のフィクションに比べてなんと読みやすいことか。とにかくぐいぐい読めちゃう。

ただ残念なのは、正直、やはり取材の深みが足りないようにも思うんだよね。著者はいわゆる潜入取材で、身分をあかしていないから取材もしにくかったんだろうことは想像できるのだけど…。

加えて路上生活の方たちもなかなか心を開かないということもあって、都庁、上野、荒川土手でも一部の人のことしか紹介できていないのがちょっと残念。

とはいえ、この本を読んでいろいろ知らないことも知れて良かったと思う。遠い国で起こっている戦争のことは想像もつかないが、同じ都内に暮らしていても路上生活なんていったいどんなものなのか… 私たちにはとんと想像がつかない。

でも妙に憧れる気持ちもあるんだよね。なんか、こう自由がある…というか。自由の究極の姿というか。

この本を読むまで考えもしなかったことだけど、私が東京に出てきたばかりの時は、公園で人が寝ていたり、ものすごいボロをきてボロボロになった浮浪者のような人を街で見かけることも多かった。

でも今や東京でもいかにも「浮浪者」みたいなボロをまとったすごい匂いの人たちというのは見なくなったように思う。それだけ福祉みたいなものが充実してきたのだろうか、それか警察組織とかが彼らを強制退去させてしまうんだろうか。

もしくは私がそういう人たちが暮らすエリアには行けていないということなのか? 新宿渋谷の裏通りなどに行ったらまた違うのだろうか。

私は北区と足立区の境界線みたいなエリアに住んでいるのだけれど、このへんは路上生活者はほぼ皆無だけれど、なんというか、この近所のスラム化というか、ボロ化がひどい。

崩れそうな家屋や、シャッターがしまった店が本当に多い。そしてその中に、都心よりは安く建築できるからだろう、新しく建て替えられた家もちらほらと見られる。そういう変なエリアなのだ、ここは。

いわゆる「近所のお店屋さん」というまともなところがほとんどなく商店街など、本当に荒んでいる。時々突発的に新しいマンションが建ったりしているが、都心から来た人から見たらびっくりしてしまう。

ここいらは住んでいる人は多いが、本当に貧しい…といったエリアなのだ。

それでも…この街にホームレスはいない。というか、子供も多い地域だし、なにせ悪評高い足立区だから治安に対する意識は逆にものすごく高くて、誰か怪しげな人が街に現れれば、私も登録している足立区治安メールみたいなものが速攻で流れる他、警察も出動するんだろう。

うーん。

でも、この本を読んで例えば自分がまったくお金がなくなり、頼る人がまったくいなくなりボロボロになったとしても、それでも東京で生きていくのは可能だよなぁということをぼんやりと想像した。そして、それでちょっと安心してしまった安直な自分がいる。

本当に私って自分しか見えてない。小さいよなぁ。

この本を読むかぎり、おそらく日本にいる限り、生活保護の申請をし、おそらく緊急保護センター的なところにかけこみ、そんなふうにして命をつないでいくことはできそうである。それに東京にいるかぎりおそらく食べるのに困ることはないわ…本当に食べ物の量、すごい。

そんなふうに路上生活の実態は驚きの連続だった。例えば冬の寒さはなんとかなるが、夏の暑さの方がが辛い、冷えた冷たい水が飲みたい…というのは、著者だけではなく他の路上生活者もなげいているということ。

(配給の人はただの水ではなく氷を冷やしたお水を差し入れるのがいいんじゃないだろうか。氷を用意したりすることは、すごく大変なんだろうか)

配給の炊き出し情報。ホームページなどにのっている情報はまるであてにならない。現地情報が一番重要。(これ…問題だよね。配給の情報なんて命をつなぐものなのだから、正しい情報を載せてあげてほしい)配給は宗教団体やボランティアが運営していることが多い。

また著者によると配給や炊き出しに来るのは路上生活者ではなく、生活保護者たちが圧倒的に多いのだそうだ。

彼らは超安価な住宅に住み、得たお金をジャンブルやお金で消してしまい、その上で炊き出しに並ぶ…らしい。もちろん生活保護者全員がそういう生活をしているという誤解を与えてはいけないので、一概にはそうだとは言えないのはもちろんだが。

著者はそれについては、誰が悪いとか、行政のこういうシステムが悪いとかいうことまでは言及していない。が、「これ、どうにかならんものかね…」という呆れている気持ちは文章からびんびん伝わってくる。

私はここで攻撃すべきは、生活保護を受け取る人ではなく、パチンコの方だと思うが、私も詳しくは知らない世間知らずななので、こういう状況を知ったところで解決策がうまく見つからない。

人間はやはり人間的な生活を送るためには、衣食住が足りていることはもちろんだけど、きっとそれ以上に何か生きがいとか、生きる目的みたいなものが必要なんだなと改めて思う。

当然それを利用して悪い奴がボロ儲けということも防がないといけない。ある意味生きるパワーを失った人たちが死なないための、そのための何かをしっかり供給することも保護する側で考えないといけないのではないと思う。難しい。

勝間和代さんが紹介していたアメリカのえらい人の本に、やはり生活が乱れてしまうアルコール中毒だか麻薬中毒だかの生活保護を受けている人について、既存のシステムや施設に押し込むより個人的にスタッフでも誰でもその人にべったり付き添った方が、結果経済的にも効率的だというのを書いているエッセイがあって、なるほど…と、うなったのだが…

とはいえ行政のシステムだから、誰にでも平等に不公平なく等々の問題で、そういうわけにはいかないのが現状なんだよね…  うーん。

人間にとって生きるって、仕事って、いったいなんなんだろうと思う。私はベーシックインカムこそ、これからの未来にぴったりだと思うのだけど、そう単純に行かないものなんだろうか。

仕事がないというわけでは決してない。今や介護や飲食店や小売店での働き手不足は大きな問題となっているのだし…。

それこそ死ぬまで楽しくすごすための、仕事がしたくない人のための安価な暇つぶし娯楽はないものか…とも思った。角幡さんの言うとおり「生きるということは不快にたえてやりすごす時間のつらなりの他ならない」のだから。

いや、今や配信動画とか地味に時間をつぶす方法はいくらでもある。ネットやテレビが難しくても、それこそ図書館にこもっても楽しいんじゃないかとも思う。そこが問題なんじゃないよね、きっと。

でもおそらくそういう娯楽や暇つぶしはギャンブルやお酒や麻薬よりも「引き」が弱いんだろうね…  うーん、何かここはぜひ頭のいい人たちは考えてほしいよな、とも。

あとホームレスになったら、女性はもちろん男性でも一人でいたらやはりとても危険だということ。これはメモっておきたい。だからなるべく一人でいてはいけない、ということが重要。

そして避難所的な場所は環境がとても悪いことが多いし、加えていわゆる貧困ビジネスに巻き込まれる可能性はそこここにあるので、注意が必要とも。これもメモ。

あとびっくりしたのは、ホームレスといっても日中は路上で寝たりできないこともびっくりだった。つまり布団など路上における家財道具を持っていても、それをそこにずっと置いておけない、ということ。

昼間は撤去させられる。だから上野などではホームレスの人たちは荷物をどこかにくくりつけ、また夜になると自分が寝る位置に戻ったりしているそうだ。

著者によると常住できる場所は都内だと新宿くらいだそうだ。これは確かにかなり大変だと思う。

なんかそういう問題も、うちの近所の廃屋みたいな店舗を抱えている人たちに協力してもらい簡単な雨風ふせげる場所みたいなものを提供できないものかなぁとも思う。いや、違うな。それがいわゆる避難所やドヤみたいな場所ということになるのか。うーん。

あと著者が最後の方にレポートしている荒川土手のホームレスの方の生き方は本当にハードコアで痺れた。彼らは配給を受けず(配給している場所からは遠い)、空き缶などを集めてちょっとした事業を回している。

この空き缶事業で生きていくのは本当に大変そうで、早朝から稼働したり、近所の空き缶が集まる場所と交渉して独自のネットワークを自分で構築したり、集めた空き缶を効率的に輸送したりできないとなりたたないそうだ。

こんなに頑張る元気があるのだから、こういう人たちはちょっとしたきっかけで路上生活からは抜け出せそうにも思うが、いや、彼らはあえてその生活を選んでいる可能性もあるし、その辺はよくわからない。

一方で、著者いわく彼らは配給の情報などを知らなかったりするそうなので、まったくバランスが悪いよな…とも思った。

でもわかる。頑張る人でも独自のルーティンができちゃうと、そこからなかなか抜け出せないんだよね… これは路上生活してなくても、普通の生活でも同じことだ。

私がこのエリアに越して、早くも10年が越えたけれど、荒川土手のホームレスさんの家もだいぶ減った。ウチから一番近かったのはすごく立派なブルーシートを貼って、妙に快適そうな場所を確保している方だった。

あんなに丁寧に暮らせる人はきっと仕事をしてもめちゃくちゃきちんと仕事ができる人に違いないとも思った。

外に自転車までたてかけてあり、時々は洗濯物を外に干したりしていた。その人もいつからかいなくなってしまった。空き缶撤収のおじさんも、10年前はよく見たように記憶しているけれど、ここ最近まったく見ない。

一番最後に見たホームレスさんというか、ホームレスの方の家は、これまたとても素敵な川べりに丁寧に私の部屋などよりも整えられたものだった。(実はこっそり写真を撮ったので下に写真を貼っておく)

誰かいないかな…と思わずランニングの足を止めて近寄ってみたけれど、本当に私しかいなかったので、ちょっと怖くなって奥に行くのをやめてしまった。これも荒川土手の某xx橋の真下である。

加えて荒川土手の河っぺりは、基本的にはコンクリートで整備されているが、時々中洲みたいに砂がたまって、ちょっとしたビーチ状になっている場所がある。これがなかなか素敵で、ここで生活できるんじゃないかとちょっと思わせるところがある。

また環七が通る鹿浜橋の向こう側(足立区本土側)には立派な畑まで作っている方もいた。あれは本当に素敵だった。気候がいい時期はおそらく最高だと思う。橋の上から眺めるとよくわかるのだか、かなりの広さで、台所エリアがあったり、洗濯物を干すエリアがあったり快適そうだった。

でも2年くらい前に大きな台風があったから、あれ以降、もしかしたら流されてしまっているかもしれない。怖くていまだに確認に行けてない。

…と、とりとめなく書いたけど、まぁ、もう一度書くが、例え自分が最悪の経済状況に陥ったとしても、おそらくこの東京では食べることは継続でき、かつ環境は最悪でもなんとか生きていけそうではあるな…ということだった。

いや、著者も書いているが、過剰なほど保護されているといってもおかしくないほど東京はすごい場所だ。また本人の気力次第ではかなり文化的な生活も送れる。(ちなみに著者が最初に準備した二ヶ月7,000円は最後の方にはなぜか「増えて」いた・笑)

というか、どうなるかわからない未来を心配してこういう本を買ってること自体がだめだめなんだよな。今をおろそかにしたり、目一杯生きていないというのは、まさに本末転倒。

よし、この本も読んだし、将来への不安はいったん棚上げして、今を真剣に見つめようじゃないか(笑)

最後に著者さん。冒頭に内容が浅いとか書いちゃってごめんなさい。でも若いから、まだまだこれからなんだと思う。文章力が、とにかく素晴らしいです。すいすい読めたし、なんというかこのくらいポップな感じで行かないと、今、本はなかなか売れないのかもしれない。

國友さん、これからも頑張ってください。

最後に荒川土手の写真を。6、7年前に撮ったもの。路上生活といっても人の家の内部だからここに載せちゃうのもなんだけど以前からfb(友達限定)で載せていたもの。もう今はないだろうなと思い、載せちゃいます。


こういう場所もあるんです。素敵でしょ…


鯉のぼりも飾ってあるよ…


私の部屋よりもよっぽど整然としている。ちょっとうらやましい。



ここはまったく別のエリアだけど明らかに誰かがいた形跡が残る。


ここにテントを貼ったらよさそう。ちょっと羨ましい。


こんな場所もある。



こういう感じの場所もあるのよ。


こいつも近所のおばあちゃんたちの配給でマルマル太っている。