ジャンル分けの問題 #日向敏文 #toshifumihinata

スタジオからの帰り道。「ドライフラワー用」と安く売っていたのを救出! 550円


先日Twitterで検索してたら、こんなツイートが見つかった。ツイ主さんに掲載を確認したらOKとのことですので、ヘントナー大佐さん、ありがとうございます。ご紹介させていただきます。


しかし、このCD持ってられた方は、大事にこのCD聞かれてたんでしょうね。ヘントナーさん同様、私もぐっと来たよ。

それにしてもこの昔のインタビュー記事読んで悲しいのは、日向敏文さんこの頃から「ニューエイジではない」と一所懸命言っているのに、いまだに「ニュー・エイジ」とか「ヒーリング・ミュージック」とか言われちゃうこと(笑)

ジャンル分けって難しい…

アイルランド音楽にもそういう壁があった。たとえば某外資系CDショップにおけるクラナド。彼らは伝統音楽とされ、ワールドのコーナーに入れられた。

でも音を聞いたら、それこそ「ロック/ポップス」だし、まぁ「ヒーリング、ニューエイジ」も可能だったし、「プログレ」だってよかったよね。

この音楽のどこがワールド? まぁ、ゲール語で歌ってるからか??

一方のチーフタンズは「ロック」に分類されていた。ローリング・ストーンズやスティングが参加していたから。…って、へ??? だって、こういう音楽ですよ。

これがリスナーに対して親切な分類じゃないのであれば、いったいなんなんだろう。本当に悩ましいよね。

でも、それでもCD屋の店頭で、CDを棚に入れる店員、そしてCDを探すお客さんにとって必要だったのだろう。

ちなみに日向さんのCDは、レコード屋に行くと「J-POP」と分類されることが多い。なんか泣けるけど「ひだまりの詩」や「東京ラブストーリー」のヒットがある限り、確かにそっちに入った方がわかりやすいのか…。

おそらく地球上の全アーティストがこういうジャンル分けに悩む中、新譜のプロモーションということで、日向さんのインタビューに立ち会っているのだけれど、

ちょっと前のインタビューで、すごく日向さんがいいことを言っていたので、またその媒体で、その発言は採用されなかったので、それをご紹介します。(あくまで文責:野崎、でお願いいたします)


「今はクラシックの作曲家にとっても、コンテンポラリークラシカル、ネオクラシカルといったジャンルが認識され、作曲家として表現できる場所が広がった」

「以前は(クラシックの新しい曲を書く人は)現代音楽とか、新ウィーン楽派とか、はたまたコンセプト重視だったりして面倒くさかったけど、今は例えば伝統音楽もあったり、いろんなものがクロスオーヴァーしていてとても楽しいと思う」


「今は曲を書く者にとっては、本当に楽しい時代。僕らにも居場所が見つかった」


「たとえば(82年生まれの作曲家・ヴァイオリン奏者の)キャロライン・ショウとか、いいポップ的なフックを持っている。ストリーミングが始まってそういうものが出やすい。提供しやすい。リスナーも自分な好きなものを選びやすい」


「表現の場として配信はすごくおもしろい。インストをやる人間としては格好の場所が出来た」


ラッパーとか、クラシック音楽へのアクセスがまったくない子たち。そういう子たちは、しきりに新しいおもしろいものを探している。彼らにとっては、クラシックも一種の民族音楽みたいなものなのかも」


「ベートヴェンみたいな曲だ!とかいって自由にリアクションしてくれる。それがおもしろい。彼らの中には音楽の垣根がまったくない」 (日向敏文・談) 


そう! たぶんジャンル分けとか言っているのは、今のうちだけ。これからはインターネットの向こうは無限の音楽の渦。もう棚=ジャンル分けは消え去り、すべてがただの「音楽」になります。すべてがただの「音楽」に。


なんか未来だ!


…と思う一方で、その海のような空間を泳いでいくリスナーのための丁寧なキュレーションやガイド、そしてプロモーションも必要かもな…と思ったりする。


音楽業界、まだ生き残りたいなら、そういうアーティストやリスナーの皆さんの役にたつにはどうしたらいいのか。それを考えないといけない。それは私たちスタッフの課題でもある。


  

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CDのアートワークも素敵ですから、CDもぜひ!