スタジオからの帰り道。「ドライフラワー用」と安く売っていたのを救出! 550円 |
先日Twitterで検索してたら、こんなツイートが見つかった。ツイ主さんに掲載を確認したらOKとのことですので、ヘントナー大佐さん、ありがとうございます。ご紹介させていただきます。
中古で買った日向敏文のCD、以前の持ち主が挟んだであろう雑誌の切り抜きがそのまま入っていてちょっとグッときた pic.twitter.com/jCgJWQHh9a
— ヘントナー大佐 (v.o.c) (@hentonacyoyu) April 21, 2022
しかし、このCD持ってられた方は、大事にこのCD聞かれてたんでしょうね。ヘントナーさん同様、私もぐっと来たよ。
それにしてもこの昔のインタビュー記事読んで悲しいのは、日向敏文さんこの頃から「ニューエイジではない」と一所懸命言っているのに、いまだに「ニュー・エイジ」とか「ヒーリング・ミュージック」とか言われちゃうこと(笑)
ジャンル分けって難しい…
アイルランド音楽にもそういう壁があった。たとえば某外資系CDショップにおけるクラナド。彼らは伝統音楽とされ、ワールドのコーナーに入れられた。
でも音を聞いたら、それこそ「ロック/ポップス」だし、まぁ「ヒーリング、ニューエイジ」も可能だったし、「プログレ」だってよかったよね。
この音楽のどこがワールド? まぁ、ゲール語で歌ってるからか??
一方のチーフタンズは「ロック」に分類されていた。ローリング・ストーンズやスティングが参加していたから。…って、へ??? だって、こういう音楽ですよ。
これがリスナーに対して親切な分類じゃないのであれば、いったいなんなんだろう。本当に悩ましいよね。
でも、それでもCD屋の店頭で、CDを棚に入れる店員、そしてCDを探すお客さんにとって必要だったのだろう。
ちなみに日向さんのCDは、レコード屋に行くと「J-POP」と分類されることが多い。なんか泣けるけど「ひだまりの詩」や「東京ラブストーリー」のヒットがある限り、確かにそっちに入った方がわかりやすいのか…。
おそらく地球上の全アーティストがこういうジャンル分けに悩む中、新譜のプロモーションということで、日向さんのインタビューに立ち会っているのだけれど、
ちょっと前のインタビューで、すごく日向さんがいいことを言っていたので、またその媒体で、その発言は採用されなかったので、それをご紹介します。(あくまで文責:野崎、でお願いいたします)
「今はクラシックの作曲家にとっても、コンテンポラリークラシカル、ネオクラシカルといったジャンルが認識され、作曲家として表現できる場所が広がった」
「以前は(クラシックの新しい曲を書く人は)現代音楽とか、新ウィーン楽派とか、はたまたコンセプト重視だったりして面倒くさかったけど、今は例えば伝統音楽もあったり、いろんなものがクロスオーヴァーしていてとても楽しいと思う」
「今は曲を書く者にとっては、本当に楽しい時代。僕らにも居場所が見つかった」
「たとえば(82年生まれの作曲家・ヴァイオリン奏者の)キャロライン・ショウとか、いいポップ的なフックを持っている。ストリーミングが始まってそういうものが出やすい。提供しやすい。リスナーも自分な好きなものを選びやすい」
「表現の場として配信はすごくおもしろい。インストをやる人間としては格好の場所が出来た」
「ラッパーとか、クラシック音楽へのアクセスがまったくない子たち。そういう子たちは、しきりに新しいおもしろいものを探している。彼らにとっては、クラシックも一種の民族音楽みたいなものなのかも」
「ベートヴェンみたいな曲だ!とかいって自由にリアクションしてくれる。それがおもしろい。彼らの中には音楽の垣根がまったくない」 (日向敏文・談)
そう! たぶんジャンル分けとか言っているのは、今のうちだけ。これからはインターネットの向こうは無限の音楽の渦。もう棚=ジャンル分けは消え去り、すべてがただの「音楽」になります。すべてがただの「音楽」に。
なんか未来だ!
…と思う一方で、その海のような空間を泳いでいくリスナーのための丁寧なキュレーションやガイド、そしてプロモーションも必要かもな…と思ったりする。
音楽業界、まだ生き残りたいなら、そういうアーティストやリスナーの皆さんの役にたつにはどうしたらいいのか。それを考えないといけない。それは私たちスタッフの課題でもある。