すみません、ヘルマン・ヘッセとか言って、わたくすは『車輪の下』すら読んだことない大バカものでございます。
が、この本を読み始めたのは、「入院する」という私に、とある方がプレゼントとして送ってくれたから。まったく持ってありがたいことでございます。本当に…
まず、これははっきりと言っておきたいと思いますが、訳がめちゃくちゃ古い!! でもこの高橋先生のが、一番有名な翻訳だそうで…
そして読み始めましたが、この文体に慣れるまですごい時間がかかった。最近の訳で読めば、もっとすんなり入ってくるかもしれない。
なんというか日本語の向こうにドイツ語が透けて見えるようなそんな訳。(ちなみにドイツ語は大学時代第2外国語でしたが、今は見事に何も覚えてません)
なのでわからなくなると行ったり来たり… 妙に読み終わるまで時間がかかりました。
が、この古い文体には1/3も読めば、だいぶ慣れ、かつ途中から「このダミアンという存在はもしかしたら主人公の想像の産物では?」と気づいたあたりから、俄然面白くなった。そこからは、ぐいぐい、ぐいぐい読みました。
なんというか、真面目でヨーロッパで「良き」とされている価値観にとにかく囚われている主人公。「キリスト教」とも言えるのか?
それを解き放してくれる登場人物の数々。いろんな人との出会いのかで、主人公の皮が、どんむけていく。そして少しずつ「自分らしく」生きることを習得していく。
どんどん自分が自分になる感じは、角幡唯介さんの『狩りと漂泊』などにも書いてあったけど、中年男が圧倒的な肯定感を持って、自信を持って固有の自分になるのと、若い心細い少年が、まるで子鹿が歩き出すように、無垢な心で自分自身をさぐっていくのとでは、ヒリヒリ度がまるで違う。
こういう真面目な、デリケートな気持ちで生きる若者…っていうか、ヘッセ、すごいな。『車輪の下』とかもこういう感じなんでしょうか。
しかしながら、私は良くも悪くも子供の頃から自分らしく生きることにまるで問題を持たず(ある意味すごいよな)、何かあっても、それこそ幼少時から親にこっぴどくしかられても、自分の方が悪いなどとは絶対に思わない能天気な性格だったので、こういう悩みは持ったことがないぜよ。
良くも悪くも「大人はわかってくれない」と思ったとしても、「大人の方が間違っている、自分の方が正しい」という圧倒的な自己肯定感とともに57歳になってしまった私(笑)
それかこういう悩みを持ったことを覚えていない…のか? 子供のころ、思春期とか多感な頃、これを読んでいたら、私でも、この本にめっちゃ共感するんだろうか。
しかし、これは本当にパワフルな本である。主人公は最後は戦争に行き、再びそこでダミアンと出会う。が、それはおそらく彼の想像の産物だ。
最後、主人公は大怪我を負って死んでいくと解釈する人も多いようだが、いや、生還してこれは新しい人生の幕開けだという人もいるのだという。
私は正直「それはどっちでもいいんじゃない?」と思う。その結論は、どちらに転んだにしても、この本の凄さにはまったく関係ない。そのくらいパワフルな本だった。
こういう本、若い頃読んだら、マジで影響をビシバシ受けちゃいそうである。同時に57歳になって、この後はきっと自分はどこへも行けないなと感じつつある身にも、響いた名著であることは間違いない。
そうそう、訳者による最後の解説が非常にわかりやすく、昔自分が本を買うと解説から先に本を読んでいた時代を思い出した(笑)。この解説を読んだあと、本編を読んだら、また違う印象になるのかもしれない。もう一回読むかもしれない。
ちなみに同じ方から『シッタールタ』もいただいたので、こちらも近日中に読みたいと思う。
しかしすごいな、ヘルマン・ヘッセ。この感じがドイツなのか。ちょっと前に読んだ『ヴェニスに死す』のトーマス・マンを思い出したりもした。