でも、この映画が示している「こっち側の世界のバカさ」ってのは、こっち側で生きる私たちにはリアルなわけで、そこは共感マックスだし、そもそもこの映画。お話として、ものすごくよく書けているのは間違いないわけで。
最後のオチの爽快さなどは、前作を明らかに抜いている。見終わったあとの「いやー ええ話見たわ」という感じは、こちらの作品の方があるだろう。でも前作は、あの感じ(見た人ならわかるよね)、あの感じが良かったわけで。
ちょっとこれってジョン・カーニーの『ONCE』みたいな流れかも、と思った。私は『ONCE』は、奇跡の作品だと思っていて、あの奇跡はおそらく二度と作れないのではないかくらいに思っている。
低予算で、撮られている二人も「これは一つの作品には仕上がらないだろう」くらいに思っていた。それがあんな奇跡を生んだ。
『ONCE』に続くジョンの作品『はじまりのうた』は、私的にはがっかりだった。音楽業界で働く人にはリアルでしょう?と言われることもあったが、あんなのは全然リアルでもなんでもなく、ただ単に既存の権力者に「ざまーみろ」と文句を言いたいだけではないかと思ってしまう。(by 黒のざき)
その次の80年代のポップスをフィーチャーした『シング・ストリート』。あれも実際はヒットしたんだろうか。私的にははっきり言って全然イマイチだった。
ごめんよ、ジョン。ただあの映画で描かれている「兄弟愛」はよかった。あの映画で褒められるのはあの一点だけだ。
厳しいことを書いちゃった。でも、なんというか、ポップなものの方が売れると観客を舐めていたら、奇跡の作品は生まれない。いや、でも一方で私が「奇跡の作品」と呼ぶものの多くは、それほどヒットしないというのも分かっているつもりだ。実際、理解されるのも難しいと思う作品も多い。
今だから書けるけど、『ONCE』のプロモーションで東京にやってきたグレンとマルケタに日本の配給会社が六本木ヒルズのイベントで、Takamineから新しいギターをプレゼントさせたのも、私はどうかと思ったよ。
グレンのあの穴のあいたボロボロのギターは、お金がなくて新しいのを買えなくて、弾いているのではない。全然分かってないなこの人たち…と正直思った。ほんとにギター売ってるのかなと思ったよ。
でもあの時、「今日は素敵なサプライズがあるんですよ」と司会の人にうながされ「えっ、もしかしてジョンが来てるの?」と言ったグレンが可愛かった。
でも残念ながら、それはジョン監督ではなく、Takamineの社長だかなんだかえらい人が持ってきたギターだった。
ちなみにその配給会社に事前にプロモーションの相談を受け、「あの二人、特にグレンは真面目にフレイムズというバンドをやってきたのに、結局世界で受けるのはコミットメンツのアウトスパンであり、今回のこのGuyであり、あまりにも可哀想だ」
「彼が本当にやりたいのはフレイムズだと思う。フレイムズ呼んでやってください」と提案した私もバカだと思う。
でも私はそんな自分が好きだ。でも結局わかる人には、その方が「音楽愛」が伝わるに違いないと今でも思っている。でも、『ONCE』のプロモで、フレイムス呼んでどうするんだよね(笑)。
そんなのあるわけないじゃんね(爆)。若くてバカな私。当時は長いものにはとりあえず巻かれておこうか、なんて考える余裕もなかった。
今回のこの映画『お坊さまと鉄砲』も前の作品以上に多くの人や組織が関わり、いろいろ制限があったのだろうなという気もしている。
『山の教室』はそれこそ奇跡のような映画で、あのペムザムちゃんの圧倒的魅力と、ブータンという場所が持つ奇跡、そしてあぁいう終わりで終わらせたドルジ監督の決断力(的なもの?)が結晶した最高の作品だったわけだ。でもそれも関係者が少なかったからこそ可能だったのかも。『ONCE』がそうだったように。
一度奇跡の作品を作っちゃった監督は大変だよね。自分の未来はそれとの戦いになってしまうわけで。でも本作も、なかなか爽やかな作品でもあるし、まだまだ監督もこれからだと思う。次の作品も、私はおそらく間違いなく見にいくはずだ。
私は有楽町のヒューマントラストで見ました。こちらが公式サイト。