マーティン・ヘイズの素晴らしさ



春のCDキャンペーンをやることになり、マーティン・ヘイズの音楽を「あまり普段は音楽を聴かないOLさん向けに」説明した文章を書いてくれと頼まれる。普段使っている「マーティンはアイリッシュ伝統音楽界のマイルス・デイヴィスだ」やNew York Timesの「スティーブ・ライヒの弦楽四重奏団や、マイルス・デイヴィスの《スケッチ・オブ・スペイン》を補完するケルトからの返答」なんつーのも分らないだろ。

ってなわけで考えたのが、こんな文章を考えた。どうかな〜。まだまだ固い。もう少しホンワカな感じで書かないと(笑)

マーティン・ヘイズはアイルランドの文化もっとも色濃く残るエリア、クレア地方の出身。お父さんは地元のダンス・バンド(ケイリーとか言ってはいけない)のリーダーで、おじさんたちもみんな演奏家だったので、マーティンは幼少の頃から自宅の台所で、親戚が冠婚葬祭の集まりのたびにセッションしている様子を見ながら大きくなった。子供ころを回想しマーティンは話す。「1969年、僕は月をみながら屋外のステージで父のバンドが演奏しているのを聞いていた。ちょうどニール・アームストロングが月面着陸した夜さ。誰かが生まれたとき、結婚式、お葬式、月面着陸……どんな時だろうとそこに音楽があった」

20代で単身アメリカに渡り、そこで相棒のデニス・カヒルと出会い、現在のスタイルを確立する。世界中をツアーで周り、受賞歴も多く、賞賛の声は止む事を知らない。その音楽は人間の深い感情や、非常に本能的な部分を浮き彫りにしてしまう、あまりにも危険な音楽だ。流麗な弓使いにより、一見すると、それは非常に美しい音楽に聴こえるかもしれない。が、そこには、人間の愛や憎しみ、喜びや悲しみ、すべての感情が凝縮されているのだ。日本へは4度目の来日となる。