昨晩、ブルース・スプリングスティーンの映画を観た。ファンのブルースに対する思いを語った映像を編集した映画で、普通のドキュメンタリーとはちょっと趣が異なっている。
どうやらファンのコメントは公募したものらしく、自分のパソコンで撮影したものや、友達が撮影したものなど、いくつかは映画のスタッフらしき人が取材に行ったようなものもあったが、ほとんどがディレクションもなにもない手作り映像。ただしそれを効果的に編集する編集の手腕は素晴らしい。出てくるファンのコメント一つ一つが笑いを誘い、ホントに幸せな気持ちになるのであった。
「失恋しちゃった」って看板をかかげてコンサートに行ったファンをステージにあげてなぐさめるブルース。それを大興奮で語るファン。すごい決意をしてコンサートチケットを買ったら、最後列でがっかりしていたんだけど、なぜかそこにスタッフを名乗る人物があらわれVIPチケットをもらっちゃた、みたいなカップル。そういうエピソードが本人たちの口から興奮気味に語られると、こちらも思わずワクワクさせられる。いやー、そうね、音楽ビジネスッて、こういうのが大事なのよね、夢があるビジネスなのよね、と改めて思い出させられたりした。
その中に出て来たファンのコメントで心に残ったものを2つ。自分用のメモに。
トラックの運転手をやっているという女の子が語った「自分が大切な人間に思えてくる」みたいなコメント。あと誰か忘れたけどコンサートを見に行くとブルースが「自分一人のために歌ってくれているような気がする」と発言していた女性の発言が印象的だった。この2つのキーワードは、今後自分の仕事のヒントにもなるかな…と私もすごく考えた。なるほどね。
というか、実際、映画観ている間に10回くらい、自分の仕事を思い出し、そのたびにボスに背中を強く押されたように感じた。いいよ、ボス! そうだよね、この仕事してたら、音楽を信じなくてどうする? お客さんを信じなくてどうする?
本編もなかなか面白いなーと思ってみてたら、エンドロールが流れた後はハイドパークでのボスのライブ公演で、サー・マッカトニーも出て来たり。それが30分くらいかな…。で、またそれで終わりかと思ったら(このライブ映像で終わると、本編/ファン映像集の印象が薄れちゃうな、と心の中で不満に思ったのだが)、最後の最後にドキュメンタリーとしての、ちゃんとしたオチもあり。見応えも充分あったし、ホントに素晴らしいと思った。
しかしこういう大きな公演ってどんな気分なのかなぁと、私はどっちかというとそういうことを考えていた。ブルースの足下にモニターが4つもあることや、あんなに動くのにイヤモニじゃないのかしら、とか、歌詞が流れるモニターまであることとか、ホーンセクションまでも全員が前に出て来て、すごいなぁ、ワイヤレスマイクを湯水のように使って…とか。ウチはヴァルティナとアラマーイルマン・ヴァサラットを同じステージにあげるだけで倒産しそうだったよ、とか(二組ともワイヤレスが多い)。そんなところばかりに目が行ってしまう。特にフロントのでかいスピーカーの位置より前にメインのヴォーカルマイクが出ることをPAの人は嫌うんだけど、こういう演出(主役がぐっとお客の近くへ行き歌うシーンがある)じゃ、そんな事言ってられんよなぁ…、とか。いやいや自分の小さい規模の仕事と比べちゃ駄目よ…。私もそのレベルまで自分を引き上げちゃうのがずうずうしいよね(笑)。なんたってウチのエンジニアのKさんも最高だけど、向こうは世界で一番上手いエンジニアの人がやってんだろうからなぁ、などなど…
とにかくこういうメジャーなものって、見ててクラクラする。音、ライト、ミュージシャンの人数、スタッフの人数、とにかく圧倒的だ。でもそういうのを見ると妙にさめちゃう自分もいる。先日来日したラウーのメンバーが言っていたが、最近ラウーは大きなステージをやるようになって5,000人とか1万人とか、そういう人数の前で演奏するようになったのだけど、「大きなステージであればあるほど、頭がしっかり冴えて自分の演奏のコントロールを保たないと駄目なんだ」みたいなことを言っていた。もっと言えば自分を自由に解放し爆発できる小さめの場所の方が好きだとも。それは非情〜〜に理解できる。
だからこそ、そんな状況において、5万人とか、そういう観衆にたいしてすら「自分一人のために歌ってくれている」と一人一人に信じさせてしまう、圧倒的なブルースのパフォーマンスは、やはりものすごいと思う。
歌詞がいいのかな…。私は正直ブルースの曲はおそらく5曲くらいしか知らないし、その一つ一つの歌詞を詳しく読んだわけじゃないけど、歌詞にみんな共感しちゃうんだろう。そしてもちろん圧倒的なパフォーマンスは当然として。
それを世界一すごい制作チームが、すごい力で支えている。もっと言うならこの映画だって世界一頭のいい人が、頭のいいシナリオを書いて興行してんだよ。当然だよな、とか(笑)こういうでかいチームのスタッフになる、ってどんな気持ちだろう、とか。先日のジャーニーの映画まではいかないけど、いろいろいろいろ考える。
例えば! この映画、良い映画だけに、なんでこんな1回だけの上映なんだろ、しかも渋谷や新宿みたいな都心はないし…とちょっと不満に思っていたが、帰宅してあれこれホームページを見たりして、やっと理解した。そうか、全世界でこの映画をたった一日だけ見せることに意味があるのか、と。確かに普通に興行してたら、単なる興行成績だけで結果は判断されてしまう。加えてアーティストは世界1のブルースだ。失敗とか「動員数はロック映画としては二番目でした」は許されない。たった1日、全世界で上映することで、聴衆の一体感をあおるのだ。なるほど。これは非常にうまく出来ている。実際横浜(港北)の会場と満員だった。でもTwitterで検索したら地方では20名くらいで見た会場もあったらしい。でもその一体感たるや、もう絶対的なもんだ。そりゃーそうだ、みんな私なんぞよりうんと頭のよい一流のエンタテイメント業界のプロが考えてんだから…と、またそんなことが頭の中をよぎる。
しかしこういうビックな感じってホントにどうなんだろう。うまく想像できない。例えば私にとってビックなアーティストって誰だろ。目の前に出てくるだけで興奮するアーティスト…。ポール・ブレイディをのぞいて…と考えると、やっぱりヴァン・モリソンになるわけなのだが、過去3、4回みているヴァンのライブはどれもいまいち(笑)。とてもじゃないけど私のために歌ってくれているとはまったく思わせてくれなかった(笑)彼は自分の気分で演奏し、自分でも「俺はエンタテナーじゃない。骨の髄までアーティストなんだ」みたいな発言もしている。
すべてはファンのため…ファンのためねぇ…うーむ。まぁ、例えばウチの公演実績の中でもヴェーセンの先日の3つの違うユニークな場所での公演とか、マーティン&デニスの「ケルト×和」の公演なんかは、あれらはあきらかにお客さんのための演出だ。いろいろ評価してくれる人はいるけど、実のところアーティストは自分がベストと思う環境の中で自分のやりたいように演奏するのが一番やりやすいに決まっている。だからヴェーセンのギター、ローゲルが新聞の取材で「こういった変わった場所でやると演奏にも影響が出ますか?」と質問されて「いや、僕らは普段の僕らで演奏するだけさ。場所がユニークなのはどちらかというとお客さんのためのものだ」と答えていたのは非常に的を得ている、と思った。さすがあいつは頭がいい。私の意図をよく分っている。
あと一緒にいった音楽ライターのAさんの意見も面白かった。最近、このブログにも何度も書いているが畔柳ユキさんとか和田静香さんとか、ロック系、洋楽メインストリーム系の皆さんと付き合っていると、意外な意見が出ていてホントにホントに勉強になる。Aさんによると、ファンって、あぁいう風に特別扱いされるのが自分じゃなくても全然いいんだって。ああやってブルースがステージにファンを載せてくれました。でも、それは自分じゃなくてもいいんだって。自分が載せてもらっているように思うんだって。うむ、なるほど。Aさんが昨晩FBに感想を書いていて「かれらは、わたし」という彼女の言葉が印象に残る。うん、いいね。
と、まぁ、なんかまとまりませんが、なんというか…I am thinking loudって感じでしょうか。ま、結局のところ私は常に自分のアーティストと自分の小さな小さなMUSIC PLANT村のことしか考えてないんですよ。どうしたらお客さんにもっと公演に来てもらえるのか、そんなことばっかり常に考えている。どうしたら最高の音楽が届けられるか、それだけをいつも考えている。
いずれにしても自分のやっていることが本当にベストなやり方なのか、それは常に検証しないといけない。金銭的、外部の力とかから自由なのはもちろんのこと、過去の自分の成功体験に捕われていないか、周りの評価(しかもどちらかというと高い方の評価の方が怖い)に捕われていないか。自由に企画を考えるのは本当に難しい。でもそういうところからしか本当に良い企画は浮かんでこない。
つくづくそんな自分は「音楽ファン」じゃないなって思うことが最近とても多い。っていうか、もう認めよう。私は音楽ファンではないね。寂しくもあるけど、それが自分の道なんだから仕方ない。いつだったか大好きなポール・ヤングが来日して私はほぼ最前列で見てた事があった。キングレコードに勤務して音楽ビジネスに係るようになって数ヶ月たったころだったと記憶している。ポールを見るのは初めてじゃないし、公演自体は悪くなかったと思うが、私はコンサートはつまらいと思った。だってポール・ヤングとかいって自分に全然関係ないんだもん(爆)。それってちょっと寂しいよね。
でも何度もこのブログで書いているように音楽はミュージシャンの中で生まれるものではない。音楽は常にリスナーの中で生まれるものなんだ。音楽の力を信じて。お客さんの力を信じて。
ま、いいや。ボスに背中押されたことだし、とにかく仕事しよ…(笑)
PS
とか書いてたら、この曲を地元の駅で歌っているストリートミュージシャン発見。そうだ、この感じ? この感じなのか、ボスはっっ?! ちょっと分かったような気がした。この曲歌われると自分のために歌ってくれてるような気がする。違うか?! 路地裏の少年/浜田省吾
どうやらファンのコメントは公募したものらしく、自分のパソコンで撮影したものや、友達が撮影したものなど、いくつかは映画のスタッフらしき人が取材に行ったようなものもあったが、ほとんどがディレクションもなにもない手作り映像。ただしそれを効果的に編集する編集の手腕は素晴らしい。出てくるファンのコメント一つ一つが笑いを誘い、ホントに幸せな気持ちになるのであった。
「失恋しちゃった」って看板をかかげてコンサートに行ったファンをステージにあげてなぐさめるブルース。それを大興奮で語るファン。すごい決意をしてコンサートチケットを買ったら、最後列でがっかりしていたんだけど、なぜかそこにスタッフを名乗る人物があらわれVIPチケットをもらっちゃた、みたいなカップル。そういうエピソードが本人たちの口から興奮気味に語られると、こちらも思わずワクワクさせられる。いやー、そうね、音楽ビジネスッて、こういうのが大事なのよね、夢があるビジネスなのよね、と改めて思い出させられたりした。
その中に出て来たファンのコメントで心に残ったものを2つ。自分用のメモに。
トラックの運転手をやっているという女の子が語った「自分が大切な人間に思えてくる」みたいなコメント。あと誰か忘れたけどコンサートを見に行くとブルースが「自分一人のために歌ってくれているような気がする」と発言していた女性の発言が印象的だった。この2つのキーワードは、今後自分の仕事のヒントにもなるかな…と私もすごく考えた。なるほどね。
というか、実際、映画観ている間に10回くらい、自分の仕事を思い出し、そのたびにボスに背中を強く押されたように感じた。いいよ、ボス! そうだよね、この仕事してたら、音楽を信じなくてどうする? お客さんを信じなくてどうする?
本編もなかなか面白いなーと思ってみてたら、エンドロールが流れた後はハイドパークでのボスのライブ公演で、サー・マッカトニーも出て来たり。それが30分くらいかな…。で、またそれで終わりかと思ったら(このライブ映像で終わると、本編/ファン映像集の印象が薄れちゃうな、と心の中で不満に思ったのだが)、最後の最後にドキュメンタリーとしての、ちゃんとしたオチもあり。見応えも充分あったし、ホントに素晴らしいと思った。
しかしこういう大きな公演ってどんな気分なのかなぁと、私はどっちかというとそういうことを考えていた。ブルースの足下にモニターが4つもあることや、あんなに動くのにイヤモニじゃないのかしら、とか、歌詞が流れるモニターまであることとか、ホーンセクションまでも全員が前に出て来て、すごいなぁ、ワイヤレスマイクを湯水のように使って…とか。ウチはヴァルティナとアラマーイルマン・ヴァサラットを同じステージにあげるだけで倒産しそうだったよ、とか(二組ともワイヤレスが多い)。そんなところばかりに目が行ってしまう。特にフロントのでかいスピーカーの位置より前にメインのヴォーカルマイクが出ることをPAの人は嫌うんだけど、こういう演出(主役がぐっとお客の近くへ行き歌うシーンがある)じゃ、そんな事言ってられんよなぁ…、とか。いやいや自分の小さい規模の仕事と比べちゃ駄目よ…。私もそのレベルまで自分を引き上げちゃうのがずうずうしいよね(笑)。なんたってウチのエンジニアのKさんも最高だけど、向こうは世界で一番上手いエンジニアの人がやってんだろうからなぁ、などなど…
とにかくこういうメジャーなものって、見ててクラクラする。音、ライト、ミュージシャンの人数、スタッフの人数、とにかく圧倒的だ。でもそういうのを見ると妙にさめちゃう自分もいる。先日来日したラウーのメンバーが言っていたが、最近ラウーは大きなステージをやるようになって5,000人とか1万人とか、そういう人数の前で演奏するようになったのだけど、「大きなステージであればあるほど、頭がしっかり冴えて自分の演奏のコントロールを保たないと駄目なんだ」みたいなことを言っていた。もっと言えば自分を自由に解放し爆発できる小さめの場所の方が好きだとも。それは非情〜〜に理解できる。
だからこそ、そんな状況において、5万人とか、そういう観衆にたいしてすら「自分一人のために歌ってくれている」と一人一人に信じさせてしまう、圧倒的なブルースのパフォーマンスは、やはりものすごいと思う。
歌詞がいいのかな…。私は正直ブルースの曲はおそらく5曲くらいしか知らないし、その一つ一つの歌詞を詳しく読んだわけじゃないけど、歌詞にみんな共感しちゃうんだろう。そしてもちろん圧倒的なパフォーマンスは当然として。
それを世界一すごい制作チームが、すごい力で支えている。もっと言うならこの映画だって世界一頭のいい人が、頭のいいシナリオを書いて興行してんだよ。当然だよな、とか(笑)こういうでかいチームのスタッフになる、ってどんな気持ちだろう、とか。先日のジャーニーの映画まではいかないけど、いろいろいろいろ考える。
例えば! この映画、良い映画だけに、なんでこんな1回だけの上映なんだろ、しかも渋谷や新宿みたいな都心はないし…とちょっと不満に思っていたが、帰宅してあれこれホームページを見たりして、やっと理解した。そうか、全世界でこの映画をたった一日だけ見せることに意味があるのか、と。確かに普通に興行してたら、単なる興行成績だけで結果は判断されてしまう。加えてアーティストは世界1のブルースだ。失敗とか「動員数はロック映画としては二番目でした」は許されない。たった1日、全世界で上映することで、聴衆の一体感をあおるのだ。なるほど。これは非常にうまく出来ている。実際横浜(港北)の会場と満員だった。でもTwitterで検索したら地方では20名くらいで見た会場もあったらしい。でもその一体感たるや、もう絶対的なもんだ。そりゃーそうだ、みんな私なんぞよりうんと頭のよい一流のエンタテイメント業界のプロが考えてんだから…と、またそんなことが頭の中をよぎる。
しかしこういうビックな感じってホントにどうなんだろう。うまく想像できない。例えば私にとってビックなアーティストって誰だろ。目の前に出てくるだけで興奮するアーティスト…。ポール・ブレイディをのぞいて…と考えると、やっぱりヴァン・モリソンになるわけなのだが、過去3、4回みているヴァンのライブはどれもいまいち(笑)。とてもじゃないけど私のために歌ってくれているとはまったく思わせてくれなかった(笑)彼は自分の気分で演奏し、自分でも「俺はエンタテナーじゃない。骨の髄までアーティストなんだ」みたいな発言もしている。
すべてはファンのため…ファンのためねぇ…うーむ。まぁ、例えばウチの公演実績の中でもヴェーセンの先日の3つの違うユニークな場所での公演とか、マーティン&デニスの「ケルト×和」の公演なんかは、あれらはあきらかにお客さんのための演出だ。いろいろ評価してくれる人はいるけど、実のところアーティストは自分がベストと思う環境の中で自分のやりたいように演奏するのが一番やりやすいに決まっている。だからヴェーセンのギター、ローゲルが新聞の取材で「こういった変わった場所でやると演奏にも影響が出ますか?」と質問されて「いや、僕らは普段の僕らで演奏するだけさ。場所がユニークなのはどちらかというとお客さんのためのものだ」と答えていたのは非常に的を得ている、と思った。さすがあいつは頭がいい。私の意図をよく分っている。
あと一緒にいった音楽ライターのAさんの意見も面白かった。最近、このブログにも何度も書いているが畔柳ユキさんとか和田静香さんとか、ロック系、洋楽メインストリーム系の皆さんと付き合っていると、意外な意見が出ていてホントにホントに勉強になる。Aさんによると、ファンって、あぁいう風に特別扱いされるのが自分じゃなくても全然いいんだって。ああやってブルースがステージにファンを載せてくれました。でも、それは自分じゃなくてもいいんだって。自分が載せてもらっているように思うんだって。うむ、なるほど。Aさんが昨晩FBに感想を書いていて「かれらは、わたし」という彼女の言葉が印象に残る。うん、いいね。
と、まぁ、なんかまとまりませんが、なんというか…I am thinking loudって感じでしょうか。ま、結局のところ私は常に自分のアーティストと自分の小さな小さなMUSIC PLANT村のことしか考えてないんですよ。どうしたらお客さんにもっと公演に来てもらえるのか、そんなことばっかり常に考えている。どうしたら最高の音楽が届けられるか、それだけをいつも考えている。
いずれにしても自分のやっていることが本当にベストなやり方なのか、それは常に検証しないといけない。金銭的、外部の力とかから自由なのはもちろんのこと、過去の自分の成功体験に捕われていないか、周りの評価(しかもどちらかというと高い方の評価の方が怖い)に捕われていないか。自由に企画を考えるのは本当に難しい。でもそういうところからしか本当に良い企画は浮かんでこない。
つくづくそんな自分は「音楽ファン」じゃないなって思うことが最近とても多い。っていうか、もう認めよう。私は音楽ファンではないね。寂しくもあるけど、それが自分の道なんだから仕方ない。いつだったか大好きなポール・ヤングが来日して私はほぼ最前列で見てた事があった。キングレコードに勤務して音楽ビジネスに係るようになって数ヶ月たったころだったと記憶している。ポールを見るのは初めてじゃないし、公演自体は悪くなかったと思うが、私はコンサートはつまらいと思った。だってポール・ヤングとかいって自分に全然関係ないんだもん(爆)。それってちょっと寂しいよね。
でも何度もこのブログで書いているように音楽はミュージシャンの中で生まれるものではない。音楽は常にリスナーの中で生まれるものなんだ。音楽の力を信じて。お客さんの力を信じて。
ま、いいや。ボスに背中押されたことだし、とにかく仕事しよ…(笑)
PS
とか書いてたら、この曲を地元の駅で歌っているストリートミュージシャン発見。そうだ、この感じ? この感じなのか、ボスはっっ?! ちょっと分かったような気がした。この曲歌われると自分のために歌ってくれてるような気がする。違うか?! 路地裏の少年/浜田省吾