極地探検家を目指す野崎は、今日はこんなイベントに行ってきました。座・高円寺で行われた「ドキュメンタリー・フェスティバル」にて、ドキュメンタリーの父、フラハティの「極北のナヌーク」。
アイルランド、ケルト・ファンには「マン・オブ・アラン」のフラハティだと言えば、おなじみでしょう。
この映画、正直いってもう何度見たか分からない。こうやってYou Tubeではじめて見て、そのあと、都内某所の某イベントでも見た。1922年の作品だから権利関係がおそらくフリーになっていて、上映しやすいのかもしれない。とにかく20年代のカナダのイヌイットの様子を撮ったもの。すごいよね。
大きなスクリーンで見るのは始めてで、すべてが圧巻。カヤックからぞろぞろと家族が出て来るシーン(5:30くらい)、そして白人の毛皮商と接触するシーン(10:45ごろ)特に蓄音機の裏側をのぞいてみる(13:00くらい)ところなどとっても可愛いイヌイットのナヌーク一家。「やらせ」と言われているけど、圧巻のセイウチ猟(22分くらい)、イグルー造り(40分ごろ)、アザラシ猟(57分ごろ)などもとってもユーモラス。アザラシのさばき方はこんな感じね…(1:02ごろ)
上映の後はトークショウがあって、私のお目当てはどちらかというとこちら。探検家の角幡唯介さん。いや〜 とても良かった。あれこれメモを取ったのだけど、それについてはまたいずれタイミングをみて、わたしが探検家になる日に報告するとして…
質問が会場からいくつか出て,どれも良かったのだが、これが良かった。
「このドキュメンタリーを見ていて思ったんですが、彼らの生きる目的って、いったい何なんでしょうか。そういった価値観的な意味で、生きる目的とはなんだろう、と。僕なんか普通に日本で生活してて、登山したいとか、海外行きたいとかあるけど、この人たちはとにかく目の前の食べものを確保することに必死です。生きること、それが目的になってる。生きることの目的ってのは…あのー、どうなんでしょう、質問がまとまってなくてすみません、上手く言えないんですけどー」
これ、質問すごくいいよね。私はこの映画をみた普通の人は、まずそれを考えると思うんだ。ナヌークのはじけるような笑顔。子供たちの楽しそうな様子。ものすごい過酷な生活。いったいこんな極北の草木1本生えない場所で、彼らが生きている意味ってあるんだろうか?
「質問の意味、わかりますよ」と角幡さん。「僕も彼らの内面までは分かりかねる部分もあるんですけど、見ていて感じるのは… 大島さん(シオラパルク在住の40年以上前にイヌイットになってしまった日本人)世代のイヌイットなんかだと、まずは生きる目的っていう意識そのものがなかったんじゃないかな、と思いますね」
「例えば将来のために視点をおいて、今,将来のためにこうする……みたいな僕らがもっているような感覚というのは、彼らにはないと思うんですよ。時間観念も違うだろうし… 一方、今を生きる僕らは、生きる目的について悩んで生きているわけですよね。でも、そういう悩みは彼らにはなかったと思うんです。大変だけど、きっと楽しいだろうなと想像します。きっとすごく純粋な人生だったんじゃないかなと思うわけです」
「でも今は完全に100%猟師の生活している人ってのは少ない。グリーンランドの北部のかなり文化が残っていると言われている地域でも難しくなってきている。例えばボイラー技師とか、米軍基地の消防士みたいな定期的なアルバイトをやりつつ猟師をやっているという兼業猟師に近い人が多いわけです。消費文明も入って来ている。そうすると自分たちが生きる目的は……と悩んで自殺率が上がったり、アルコールや薬に走ったりするような問題が多く発生するんですよね」
すみません、これメモったんで、私の聞き間違いや解釈が違っているかもしれません。でも、この質問もすごくいいし、角幡さんの回答もいいでしょ?
ますます都会に住む人間が、なぜ極地に響くかが分かる! そして、それこそが私の行く場所だ!!と強く思ったのでした。めっちゃ響くなぁ、もう!(笑)
ところでこの「極北のナヌーク」本来無声映画なんだけど、今回上映されたものは、なんか…ヘンなニューエイジみたいな音楽が入ってた(笑) それがちょっと違和感あった。なんでこのヴァージョンの上映にしたんだろう。過去にみたものは、上で紹介したYou Tubeみたいなクラシックっぽい音楽が入ってたりしてたけど。本来の無声映画で音なしでシーンとして見たら、すごく良かったかもしれない。
しかし無声映画でないのなら、これで見たかったな! カナダのイヌイット・シンガー、タニア・タガクによる「極北のナヌーク」かっこいい!!
タガクの名前,日本語でググったら出て来た… っっていうか、クロノス・カルテットはいつもオレの前を行くな!!(爆)さすが!
さて極地探検かを目指して、オレも訓練しないと! では筋トレしてもう寝ます〜
アイルランド、ケルト・ファンには「マン・オブ・アラン」のフラハティだと言えば、おなじみでしょう。
この映画、正直いってもう何度見たか分からない。こうやってYou Tubeではじめて見て、そのあと、都内某所の某イベントでも見た。1922年の作品だから権利関係がおそらくフリーになっていて、上映しやすいのかもしれない。とにかく20年代のカナダのイヌイットの様子を撮ったもの。すごいよね。
大きなスクリーンで見るのは始めてで、すべてが圧巻。カヤックからぞろぞろと家族が出て来るシーン(5:30くらい)、そして白人の毛皮商と接触するシーン(10:45ごろ)特に蓄音機の裏側をのぞいてみる(13:00くらい)ところなどとっても可愛いイヌイットのナヌーク一家。「やらせ」と言われているけど、圧巻のセイウチ猟(22分くらい)、イグルー造り(40分ごろ)、アザラシ猟(57分ごろ)などもとってもユーモラス。アザラシのさばき方はこんな感じね…(1:02ごろ)
上映の後はトークショウがあって、私のお目当てはどちらかというとこちら。探検家の角幡唯介さん。いや〜 とても良かった。あれこれメモを取ったのだけど、それについてはまたいずれタイミングをみて、わたしが探検家になる日に報告するとして…
質問が会場からいくつか出て,どれも良かったのだが、これが良かった。
「このドキュメンタリーを見ていて思ったんですが、彼らの生きる目的って、いったい何なんでしょうか。そういった価値観的な意味で、生きる目的とはなんだろう、と。僕なんか普通に日本で生活してて、登山したいとか、海外行きたいとかあるけど、この人たちはとにかく目の前の食べものを確保することに必死です。生きること、それが目的になってる。生きることの目的ってのは…あのー、どうなんでしょう、質問がまとまってなくてすみません、上手く言えないんですけどー」
これ、質問すごくいいよね。私はこの映画をみた普通の人は、まずそれを考えると思うんだ。ナヌークのはじけるような笑顔。子供たちの楽しそうな様子。ものすごい過酷な生活。いったいこんな極北の草木1本生えない場所で、彼らが生きている意味ってあるんだろうか?
「質問の意味、わかりますよ」と角幡さん。「僕も彼らの内面までは分かりかねる部分もあるんですけど、見ていて感じるのは… 大島さん(シオラパルク在住の40年以上前にイヌイットになってしまった日本人)世代のイヌイットなんかだと、まずは生きる目的っていう意識そのものがなかったんじゃないかな、と思いますね」
「例えば将来のために視点をおいて、今,将来のためにこうする……みたいな僕らがもっているような感覚というのは、彼らにはないと思うんですよ。時間観念も違うだろうし… 一方、今を生きる僕らは、生きる目的について悩んで生きているわけですよね。でも、そういう悩みは彼らにはなかったと思うんです。大変だけど、きっと楽しいだろうなと想像します。きっとすごく純粋な人生だったんじゃないかなと思うわけです」
「でも今は完全に100%猟師の生活している人ってのは少ない。グリーンランドの北部のかなり文化が残っていると言われている地域でも難しくなってきている。例えばボイラー技師とか、米軍基地の消防士みたいな定期的なアルバイトをやりつつ猟師をやっているという兼業猟師に近い人が多いわけです。消費文明も入って来ている。そうすると自分たちが生きる目的は……と悩んで自殺率が上がったり、アルコールや薬に走ったりするような問題が多く発生するんですよね」
すみません、これメモったんで、私の聞き間違いや解釈が違っているかもしれません。でも、この質問もすごくいいし、角幡さんの回答もいいでしょ?
ますます都会に住む人間が、なぜ極地に響くかが分かる! そして、それこそが私の行く場所だ!!と強く思ったのでした。めっちゃ響くなぁ、もう!(笑)
ところでこの「極北のナヌーク」本来無声映画なんだけど、今回上映されたものは、なんか…ヘンなニューエイジみたいな音楽が入ってた(笑) それがちょっと違和感あった。なんでこのヴァージョンの上映にしたんだろう。過去にみたものは、上で紹介したYou Tubeみたいなクラシックっぽい音楽が入ってたりしてたけど。本来の無声映画で音なしでシーンとして見たら、すごく良かったかもしれない。
しかし無声映画でないのなら、これで見たかったな! カナダのイヌイット・シンガー、タニア・タガクによる「極北のナヌーク」かっこいい!!
タガクの名前,日本語でググったら出て来た… っっていうか、クロノス・カルテットはいつもオレの前を行くな!!(爆)さすが!
さて極地探検かを目指して、オレも訓練しないと! では筋トレしてもう寝ます〜