いや〜、すごい本だった。極地文学の金字塔。名作と言われるゆえんがわかる。「世界最悪の旅」チェリー・ガラード作。
やっぱり探検は100年前が一番面白かったのかも、とも思った。これは各国がそれぞれ極点到達を争っていた時代の話。
その後、探検の歴史も変わった。植村直己さんが活躍していた70年代は「巨大広告代理店時代」。メディアが力を持っていた頃の時代の冒険。TVで特番が組まれれば,誰もがそれを見て本を買った。それによって探検の予算が捻出されていた。もっとも植村さんも帰国すると講演会やら何やら資金集めに走り回っていたようだが。今、高野秀行さんや角幡唯介さんは、執筆で予算を作り、そして探検に出る。そしてまさにここ数日中に北極に向おうとしている荻田泰永さんなどは、ここ数日の各企業提供物資の収集に忙しそうだ。
しかし、まぁ、こんな時代によくも極点に行ったものであることよ。当時の装備といえば、水分でパリパリになってしまい着衣に時間がおそろしくかかかる防寒服をふくめ、もうボロボロとしか言いようがない。ボロボロのボロ雑巾のようになって決死の旅を続ける。突風の中でテントが飛ばされ、小屋の天井が吹っ飛んだときは、もう終わったと思ったよ… しかし、そのことについて泣き言を言わない(書かない)ところが…すごすぎる。探検家、すごすぎるよ。
圧巻はやはり全員亡くなるスコット極地隊で、とにかく凄まじすぎる。1人はおそらく自然死と思われるのだが、ひどい衰弱ではあったものの亡くなる前日までソリをひいていたのだから驚きだ。これが隊の中でもっとも体格が良かった水兵のエヴァンス!! そしてもう1人は手足が凍傷によってきかなくなり、隊の負担になることを恐れて、ある朝ぷらっと外へ出たきりテントに戻ってこなかったオーツ。たぶんこれは自殺だ。そしてもうダメだと分かった頃、スコットは遺書を書くのだが、遺書は自分の感情よりも、隊員の家族に向けてねぎらいの言葉が並び、各隊員が最後まで本当に立派だった事が記されているのである… ううう、すさまじすぎるよ!! カッコよすぎるよ!! しかし、なんで…!! 1トン貯蔵地まで、ホントにあとたった20kmほどだったのに!!!!!!
そしてこの本の終わりごろ著者は、こんな時代はもう終わりだ、今後の極点到達は(特に戦争を越えて大きく発達した)飛行機によるものになっていくだろうと予言している。いや、だいじょうぶ、ガラードさん! あなたの100年後も犬ぞりとか無補給とか人力とか単独とか、馬鹿なことやってる探検家、今でもたくさんいますから!!!(笑)
それにしても、今からおよそ100年前の話である。極点の最初の到達をあらそって各国がしのぎを削った。そのさらに50年くらい前だと角幡唯介さんが書いている「アグルーカの行方」に出て来るフランクリン隊などの国家事業としての豪華北西航路発見のための旅がある。
それがこの本の時代になると、人類は極点に行こうという目的を持ち、しかしながら、微妙にアグルーカの時代とは主旨が変わってくる。スコットなども実際、充分な資金が得られず、船はとても極地にはたえられないような船であり、予算を集めるのにスポンサーまわりにも奔走したそうだ。
そして当時、各国の動きの中で、まぁ、英国隊のことごとく敗北していることよ。そしてノルウェー人のすごいことよ!!! ノルウェー人は人間としてのスペックが高い…のか。そういや私の知ってるノルウェー人もデカくて強くて頭が良くて勇気があって探検家にはぴったりの様子である。さすがヴァイキングの遺伝子がそうさせるのか。北極点をアメリカ人のピアリーに先に奪われ、こりゃいかんと思ったノルウェーのアムンセンは急遽南に方向を変え、南での極点到達を試みる。そこで前年度からトライしようと計画していた英国スコット隊との極点争奪レースとなるわけだ。
いや〜、ノルウェー人が極点到達のために犬ぞりを使って、目的をただただ極点到達の1つに絞って進むのに比べ、英国隊の旅の優雅なことよ。なんとこの時の旅の目的はペンギンの生態を調査することであった。羽がありながらも陸上に生息している不思議な動物ペンギンは当時、生物の進化において大きな謎を解明してくれるに違いない、ということになっていた。だから彼らは隊が全滅した時でさえも、ペンギンの資料や貴重な鉱物やなにやらをいろいろかかえていた。ガラードによると、そんなもん持ってるくらいなら生き残れよ、という世間の批判もあったらしいのだけど、重さは極地でソリをひくときの体力消耗にはあまり関係ないのだそうだ。
しかも、どうやら最近ではアムンセンとスコットのリーダーシップ論まで持ち出されているようだ。みんなのやる気を引き出したアムンセン。それに対する英国式上下関係のスコット、みたいな構図。まったく外野は極地に行ったこともないくせに、あれこれいろいろ批評することばかりは一人前だわ…
だから! これから彼らのことを知るであろう私たちは、常に第1次情報に近いところに触れてみることは、とても大事なのだ。そういう意味でこの本はものすごく貴重なのだ。
それにしても、この本に心を動かされない人はいないだろう。そしてこのガラードさんの真摯な姿勢。英国人はこんなサバイバル状況でも、めっちゃ紳士である。彼らはきっとどっかの育ちのいいパブリックスクール出のぼっちゃんたちに違いない。
本の内容を説明すると、まずガラード自身が参加した3名での7、8月ごろの旅と(南極なんで真っ暗です)、全員が死亡してしまったスコット隊の夏の旅(夏だから1月ごろなんです)が書かれ、そのあとマスコミの彼らに対する批判への回答や、今後の探検への考察のあれやこれやも書かれている。実際の探検から10年くらいたって出版されたものらしいので、それだけ冷静に書けた、ということかもしれない。
そして最後の方には「なんでそんな思いをしてまで、そんなところに行くのか」という批判に対する答えが書いてある。人間ってどんな時代でも変わらないなぁ!! っていうか、まったく進歩してない、というか!!(嬉)
それに対するガラードさんの回答は、こうだ。スコット隊が目指したのは「知識」であった、と。そう、私たちが知りたい、と思う気持ちは、誰にも止められないのだ。それを思うと、ホントに涙が出て来る。すごいよ、ホントにすごい。そして同じなのだと分かる。私もそう思うよと共感する。100年前の探検家だって、日本に生きている私たちだって同じなのだ。
スコットが日記に書いているように南極は恐ろしいところだ(This is an awful place)。北極も寒いが、やっぱり南極の寒さはそのさらに先を行っている。やっぱり下が海か、土地かという違いなんだろうか。昨日、南極の極点にあるアムンセンスコット基地はマイナス42度。一方でグリーンランドの首都は札幌と同じマイナス1度である!! チューレ基地はマイナス16度だった。
そんな凄まじい中での、この探検。ホントにすごい。ホントにすごいと思うわ,南極は。北極よりすごいところは南極しかないね!! 植村さんも南極やりたかったんだろうなぁ!!!
ところで、ここまで読んで、この本に興味を持った人には申し訳ないのだが、この本、実はめちゃくちゃ読みにくい。聞けば1940年代の訳らしいのだ。なんというか、元英文がすけてみえるのはいいんだけど、とにかく読みにくい。読んでいて、訳者による丁寧な注釈に助けられた部分はたくさんあるのだが、なにせ英語特有のダブル否定や、関係代名詞の不自然な配置など、当時の訳はこうでなくてはいけなかったのだろうか。これは是非角幡さんあたりに新しい訳をやってほしいと思う。すっきり読みやすくなったら、どんなに素敵だろう!!
っていうか、英文のオリジナルで読みたくなったよ。手にいれてみようかな…と思ったら、なんとKindleで0円ではないか! 素晴らしい。さっさとダウンロードして、好きな部分の英語を確認してみた。
And I tell you, if you have the desire for knowledge and the power to give it physical expression, go out and explore.
ゴー・アウト、アンド、エクスプロー!! うううう、泣ける… オレみたいにこんなヌクいところにいて、何もチャレンジしないのは、ホントに馬鹿だ。
ウチのベランダでは水仙が全盛期。これってダブリンで球根をかってきたやつで2シーズン目。1輪目は咲いてから1週間以上たっているのに、全然元気である。花、持つなぁ、水仙。
こういうのも、草一本はえない南極の本を読んだあと、妙にホッとする。
PS
「Blizzard」のDVDを再度確認した。やはり本を読んでからの観るのが圧倒的に面白い。オーツ大佐の死について。やはり団体行動をしていると、足が遅い人、歩けない人に全隊員が歩調をあわせることになるわけだが、もし彼の自殺が1週間早かったら、全隊員が亡くなることにはならなかったのではないかとする論説もある。
オーツが「外に出る」と言ったとき、テントの結び目は当時凍傷の手であけられるほど単純なものではないので、誰かが間違いなく手伝ったはずである、という学者がいる。またオーツが出て行ったあと、嵐が吹き込まないように誰かが間違いなく再び結び目を作ったはずである。うーーん、極限の選択だな…
1トン・デポはもともと80度の位置(もっと極点に近い場所)に設置される予定だったが、行きの輸送のポニーのトラブルで、もう13マイルほど奥に行けなかった。もっとデポが近かったら、最後の3名は助かっていたかもしれない。
この年の冬が異様に早かった。通常より6週間も早かった。通常の気候であれば助かっていただろう。風も雪もこの季節においては規格外だった。運が悪かったとしか言いようがない。
最後の3名が亡くなるときは、おそらくとても平和的だったであろう、とする学者がいる。加えてこれは自殺的だったのではないかという学者も。最後の11マイルは…死ぬ気でやれば歩けたはずである、と。またおそらくスコットが諦め、他の2人は従ったのではないか、と。3人はテントに行儀よく並んで寝たまま亡くなっていた。
積極的な自殺だったとは思いたくないが、ただ彼らはこの状況を「受け入れた」のではないか、と考える学者がいる。これがEasy way out(これを終わらせるもっとも簡単な方法)だと判断して。
PPS
ここまで書いた数日後,発覚したのだが,この本にはロングヴァージョンとショートヴァージョンがあり、私がよんだのはショートヴァージョンらしかった。オーマイガっっ! また読まねば…!!
やっぱり探検は100年前が一番面白かったのかも、とも思った。これは各国がそれぞれ極点到達を争っていた時代の話。
その後、探検の歴史も変わった。植村直己さんが活躍していた70年代は「巨大広告代理店時代」。メディアが力を持っていた頃の時代の冒険。TVで特番が組まれれば,誰もがそれを見て本を買った。それによって探検の予算が捻出されていた。もっとも植村さんも帰国すると講演会やら何やら資金集めに走り回っていたようだが。今、高野秀行さんや角幡唯介さんは、執筆で予算を作り、そして探検に出る。そしてまさにここ数日中に北極に向おうとしている荻田泰永さんなどは、ここ数日の各企業提供物資の収集に忙しそうだ。
しかし、まぁ、こんな時代によくも極点に行ったものであることよ。当時の装備といえば、水分でパリパリになってしまい着衣に時間がおそろしくかかかる防寒服をふくめ、もうボロボロとしか言いようがない。ボロボロのボロ雑巾のようになって決死の旅を続ける。突風の中でテントが飛ばされ、小屋の天井が吹っ飛んだときは、もう終わったと思ったよ… しかし、そのことについて泣き言を言わない(書かない)ところが…すごすぎる。探検家、すごすぎるよ。
圧巻はやはり全員亡くなるスコット極地隊で、とにかく凄まじすぎる。1人はおそらく自然死と思われるのだが、ひどい衰弱ではあったものの亡くなる前日までソリをひいていたのだから驚きだ。これが隊の中でもっとも体格が良かった水兵のエヴァンス!! そしてもう1人は手足が凍傷によってきかなくなり、隊の負担になることを恐れて、ある朝ぷらっと外へ出たきりテントに戻ってこなかったオーツ。たぶんこれは自殺だ。そしてもうダメだと分かった頃、スコットは遺書を書くのだが、遺書は自分の感情よりも、隊員の家族に向けてねぎらいの言葉が並び、各隊員が最後まで本当に立派だった事が記されているのである… ううう、すさまじすぎるよ!! カッコよすぎるよ!! しかし、なんで…!! 1トン貯蔵地まで、ホントにあとたった20kmほどだったのに!!!!!!
そしてこの本の終わりごろ著者は、こんな時代はもう終わりだ、今後の極点到達は(特に戦争を越えて大きく発達した)飛行機によるものになっていくだろうと予言している。いや、だいじょうぶ、ガラードさん! あなたの100年後も犬ぞりとか無補給とか人力とか単独とか、馬鹿なことやってる探検家、今でもたくさんいますから!!!(笑)
それにしても、今からおよそ100年前の話である。極点の最初の到達をあらそって各国がしのぎを削った。そのさらに50年くらい前だと角幡唯介さんが書いている「アグルーカの行方」に出て来るフランクリン隊などの国家事業としての豪華北西航路発見のための旅がある。
それがこの本の時代になると、人類は極点に行こうという目的を持ち、しかしながら、微妙にアグルーカの時代とは主旨が変わってくる。スコットなども実際、充分な資金が得られず、船はとても極地にはたえられないような船であり、予算を集めるのにスポンサーまわりにも奔走したそうだ。
そして当時、各国の動きの中で、まぁ、英国隊のことごとく敗北していることよ。そしてノルウェー人のすごいことよ!!! ノルウェー人は人間としてのスペックが高い…のか。そういや私の知ってるノルウェー人もデカくて強くて頭が良くて勇気があって探検家にはぴったりの様子である。さすがヴァイキングの遺伝子がそうさせるのか。北極点をアメリカ人のピアリーに先に奪われ、こりゃいかんと思ったノルウェーのアムンセンは急遽南に方向を変え、南での極点到達を試みる。そこで前年度からトライしようと計画していた英国スコット隊との極点争奪レースとなるわけだ。
いや〜、ノルウェー人が極点到達のために犬ぞりを使って、目的をただただ極点到達の1つに絞って進むのに比べ、英国隊の旅の優雅なことよ。なんとこの時の旅の目的はペンギンの生態を調査することであった。羽がありながらも陸上に生息している不思議な動物ペンギンは当時、生物の進化において大きな謎を解明してくれるに違いない、ということになっていた。だから彼らは隊が全滅した時でさえも、ペンギンの資料や貴重な鉱物やなにやらをいろいろかかえていた。ガラードによると、そんなもん持ってるくらいなら生き残れよ、という世間の批判もあったらしいのだけど、重さは極地でソリをひくときの体力消耗にはあまり関係ないのだそうだ。
しかも、どうやら最近ではアムンセンとスコットのリーダーシップ論まで持ち出されているようだ。みんなのやる気を引き出したアムンセン。それに対する英国式上下関係のスコット、みたいな構図。まったく外野は極地に行ったこともないくせに、あれこれいろいろ批評することばかりは一人前だわ…
だから! これから彼らのことを知るであろう私たちは、常に第1次情報に近いところに触れてみることは、とても大事なのだ。そういう意味でこの本はものすごく貴重なのだ。
それにしても、この本に心を動かされない人はいないだろう。そしてこのガラードさんの真摯な姿勢。英国人はこんなサバイバル状況でも、めっちゃ紳士である。彼らはきっとどっかの育ちのいいパブリックスクール出のぼっちゃんたちに違いない。
本の内容を説明すると、まずガラード自身が参加した3名での7、8月ごろの旅と(南極なんで真っ暗です)、全員が死亡してしまったスコット隊の夏の旅(夏だから1月ごろなんです)が書かれ、そのあとマスコミの彼らに対する批判への回答や、今後の探検への考察のあれやこれやも書かれている。実際の探検から10年くらいたって出版されたものらしいので、それだけ冷静に書けた、ということかもしれない。
そして最後の方には「なんでそんな思いをしてまで、そんなところに行くのか」という批判に対する答えが書いてある。人間ってどんな時代でも変わらないなぁ!! っていうか、まったく進歩してない、というか!!(嬉)
それに対するガラードさんの回答は、こうだ。スコット隊が目指したのは「知識」であった、と。そう、私たちが知りたい、と思う気持ちは、誰にも止められないのだ。それを思うと、ホントに涙が出て来る。すごいよ、ホントにすごい。そして同じなのだと分かる。私もそう思うよと共感する。100年前の探検家だって、日本に生きている私たちだって同じなのだ。
スコットが日記に書いているように南極は恐ろしいところだ(This is an awful place)。北極も寒いが、やっぱり南極の寒さはそのさらに先を行っている。やっぱり下が海か、土地かという違いなんだろうか。昨日、南極の極点にあるアムンセンスコット基地はマイナス42度。一方でグリーンランドの首都は札幌と同じマイナス1度である!! チューレ基地はマイナス16度だった。
そんな凄まじい中での、この探検。ホントにすごい。ホントにすごいと思うわ,南極は。北極よりすごいところは南極しかないね!! 植村さんも南極やりたかったんだろうなぁ!!!
ところで、ここまで読んで、この本に興味を持った人には申し訳ないのだが、この本、実はめちゃくちゃ読みにくい。聞けば1940年代の訳らしいのだ。なんというか、元英文がすけてみえるのはいいんだけど、とにかく読みにくい。読んでいて、訳者による丁寧な注釈に助けられた部分はたくさんあるのだが、なにせ英語特有のダブル否定や、関係代名詞の不自然な配置など、当時の訳はこうでなくてはいけなかったのだろうか。これは是非角幡さんあたりに新しい訳をやってほしいと思う。すっきり読みやすくなったら、どんなに素敵だろう!!
っていうか、英文のオリジナルで読みたくなったよ。手にいれてみようかな…と思ったら、なんとKindleで0円ではないか! 素晴らしい。さっさとダウンロードして、好きな部分の英語を確認してみた。
And I tell you, if you have the desire for knowledge and the power to give it physical expression, go out and explore.
ゴー・アウト、アンド、エクスプロー!! うううう、泣ける… オレみたいにこんなヌクいところにいて、何もチャレンジしないのは、ホントに馬鹿だ。
ウチのベランダでは水仙が全盛期。これってダブリンで球根をかってきたやつで2シーズン目。1輪目は咲いてから1週間以上たっているのに、全然元気である。花、持つなぁ、水仙。
こういうのも、草一本はえない南極の本を読んだあと、妙にホッとする。
PS
「Blizzard」のDVDを再度確認した。やはり本を読んでからの観るのが圧倒的に面白い。オーツ大佐の死について。やはり団体行動をしていると、足が遅い人、歩けない人に全隊員が歩調をあわせることになるわけだが、もし彼の自殺が1週間早かったら、全隊員が亡くなることにはならなかったのではないかとする論説もある。
オーツが「外に出る」と言ったとき、テントの結び目は当時凍傷の手であけられるほど単純なものではないので、誰かが間違いなく手伝ったはずである、という学者がいる。またオーツが出て行ったあと、嵐が吹き込まないように誰かが間違いなく再び結び目を作ったはずである。うーーん、極限の選択だな…
1トン・デポはもともと80度の位置(もっと極点に近い場所)に設置される予定だったが、行きの輸送のポニーのトラブルで、もう13マイルほど奥に行けなかった。もっとデポが近かったら、最後の3名は助かっていたかもしれない。
この年の冬が異様に早かった。通常より6週間も早かった。通常の気候であれば助かっていただろう。風も雪もこの季節においては規格外だった。運が悪かったとしか言いようがない。
最後の3名が亡くなるときは、おそらくとても平和的だったであろう、とする学者がいる。加えてこれは自殺的だったのではないかという学者も。最後の11マイルは…死ぬ気でやれば歩けたはずである、と。またおそらくスコットが諦め、他の2人は従ったのではないか、と。3人はテントに行儀よく並んで寝たまま亡くなっていた。
積極的な自殺だったとは思いたくないが、ただ彼らはこの状況を「受け入れた」のではないか、と考える学者がいる。これがEasy way out(これを終わらせるもっとも簡単な方法)だと判断して。
スコット隊 |
調査隊(ガラード一行)が作った墓 |
ここまで書いた数日後,発覚したのだが,この本にはロングヴァージョンとショートヴァージョンがあり、私がよんだのはショートヴァージョンらしかった。オーマイガっっ! また読まねば…!!