さてスティーヴ・ウイン先生に引続き、今回はスコット・マッコイがこんな文章を寄せてくれました。やはりミュージシャンとしては「始めて」来日した時の事を特に印象的に覚えているようです。それにしてもロビンたちと来た時、台風なんて来てましたっけ? もう記憶にない。プロモーター側もどんどん記憶がなくなります(笑)
でも自分の仲間を集めて音楽を作り、それを持って違う文化の国に行って、演奏するなんてホントに素敵なことですよね〜。バンド活動は大変だけど、やっぱり素敵。これがスコットの生き方の基本なんだろうな、と思います。
日本に始めて来たのは1992年、ヤング・フレッシュ・フェローズとしてだ。西新宿のバーンホームズレコードストアのレーベル1+2 Recordsが日本特別編素のアルバムをリリースしようと僕らに接触してきた。僕らはそれを実現したのだが、それ以外に何が起こるのかはまったく想像がつかなかった。そこには結構ヒットとは言えない(どちらにしろ僕らにはヒットなんてないのだが)レアな音源やリリースされていないヴァージョンの音源がたくさん収録されていた。
レーベルオーナーのヨシワラクニオさんと、タケダマユミさんという熱心なファンのおかげで、東京のパンクロックの地下イベントにおける2つの公演を行なうことになり、僕らは日本に招待された。
が、まず本公演の前に僕らは新宿のタワーレコードでセミエレクトリックのセットを演奏したのだが、これは僕の人生における最高のイベントの1つとなった。最初は何を期待していいのかまったく分からなかったのだが、店はYFFのファンで埋め尽くされ、僕らの到着を待ちかまえてくれていた。 僕らの日本のベスト盤「Gleich Jetzt」がテレビモニターのスクリーンに映し出されるのを背にして、僕たちは演奏した。(日本盤のベスト盤にドイツ語のタイトルをつけたのはYFFの典型的なマーケティング手法だ)
誰もが夢中で盛り上がった。演奏が終わると、何百人というファンが大きなテーブルに座る僕らのサインをもらおうと、お行機よく並んだ。
多くの人々が20枚とか、それ以上のLPや、レアな45回転や、コンピレーションや、すべての物を持ち込んでいた。 何人かの若者は、アコースティックギターを持ち込み、僕らの曲の彼らのヴァージョンを僕らに演奏してみせてくれたりもした。 彼らの名前はサーカス・ポスターズと言った…と思う。いいバンド名だよな。
こんな素晴らしい経験をして僕らは月に行ったような気持ちになった。 僕らはちょっとした観光もしたし京都に1日出かけたりしたが、ほとんどの場合、無垢なロックンロールの幻想の中に生きていたと言えるだろう。コンサートは盛り上がり、ぎゅうぎゅう詰めで、なんと女の子がたくさんいた。
僕らは僕らのコンサートの前座をしてくれたバンド全員と友達になった。American Soul Spiders、 Teengenerate、 Supersnazz、The 5-6-7-8s、Jackie & The Cedricsなどだ。僕らはミステリアスなレストランに打ち上げに行き、カラオケを歌った。ビールのグラスはとても小さいものだった。何年もの間,僕らは彼らとコンタクトを取り合っているが、その後実際に会うことはほとんどなかった。
その後、日本にはすぐYFFのLove Batteryのツアーで戻った。だけどこれはまた別のストーリーだ。R.E.Mとして武道館で演奏したり、マイナス5として、そしてロビン・ヒッチコックのヴィーナス3(台風が大変だった)として日本に再びやってきた。が、一番印象に残っているのは結局始めての来日の時かもしれない。バンドで音楽活動をする者にとって、あれが唯一の経験だったとしても、僕は幸せな気持ちで死ねるだろう。
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日本に始めて来たのは1992年、ヤング・フレッシュ・フェローズとしてだ。西新宿のバーンホームズレコードストアのレーベル1+2 Recordsが日本特別編素のアルバムをリリースしようと僕らに接触してきた。僕らはそれを実現したのだが、それ以外に何が起こるのかはまったく想像がつかなかった。そこには結構ヒットとは言えない(どちらにしろ僕らにはヒットなんてないのだが)レアな音源やリリースされていないヴァージョンの音源がたくさん収録されていた。
レーベルオーナーのヨシワラクニオさんと、タケダマユミさんという熱心なファンのおかげで、東京のパンクロックの地下イベントにおける2つの公演を行なうことになり、僕らは日本に招待された。
が、まず本公演の前に僕らは新宿のタワーレコードでセミエレクトリックのセットを演奏したのだが、これは僕の人生における最高のイベントの1つとなった。最初は何を期待していいのかまったく分からなかったのだが、店はYFFのファンで埋め尽くされ、僕らの到着を待ちかまえてくれていた。 僕らの日本のベスト盤「Gleich Jetzt」がテレビモニターのスクリーンに映し出されるのを背にして、僕たちは演奏した。(日本盤のベスト盤にドイツ語のタイトルをつけたのはYFFの典型的なマーケティング手法だ)
誰もが夢中で盛り上がった。演奏が終わると、何百人というファンが大きなテーブルに座る僕らのサインをもらおうと、お行機よく並んだ。
多くの人々が20枚とか、それ以上のLPや、レアな45回転や、コンピレーションや、すべての物を持ち込んでいた。 何人かの若者は、アコースティックギターを持ち込み、僕らの曲の彼らのヴァージョンを僕らに演奏してみせてくれたりもした。 彼らの名前はサーカス・ポスターズと言った…と思う。いいバンド名だよな。
こんな素晴らしい経験をして僕らは月に行ったような気持ちになった。 僕らはちょっとした観光もしたし京都に1日出かけたりしたが、ほとんどの場合、無垢なロックンロールの幻想の中に生きていたと言えるだろう。コンサートは盛り上がり、ぎゅうぎゅう詰めで、なんと女の子がたくさんいた。
僕らは僕らのコンサートの前座をしてくれたバンド全員と友達になった。American Soul Spiders、 Teengenerate、 Supersnazz、The 5-6-7-8s、Jackie & The Cedricsなどだ。僕らはミステリアスなレストランに打ち上げに行き、カラオケを歌った。ビールのグラスはとても小さいものだった。何年もの間,僕らは彼らとコンタクトを取り合っているが、その後実際に会うことはほとんどなかった。
その後、日本にはすぐYFFのLove Batteryのツアーで戻った。だけどこれはまた別のストーリーだ。R.E.Mとして武道館で演奏したり、マイナス5として、そしてロビン・ヒッチコックのヴィーナス3(台風が大変だった)として日本に再びやってきた。が、一番印象に残っているのは結局始めての来日の時かもしれない。バンドで音楽活動をする者にとって、あれが唯一の経験だったとしても、僕は幸せな気持ちで死ねるだろう。
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スコット・マッコイが来日するICE STATION、開催までもうすぐ。渋谷と京都で公演があります。現在チケットは「当日精算」で受け付けております。
2月7日 京都 磔磔
2月9日 渋谷 WWW
2月10日 渋谷 WWW
with ナヌーク、カート・ブロック、ピーター・バック、スコット・マッコイ、マイク・ミルズ、リンダ・ピットモン、スティーブ・ウイン