来日までもうすぐ:チーフタンズ物語(10)

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「ナポレオンの退却」をひっさげ、チーフタンズはひたすらツアーを続けます。翌年にはこの超名盤ライヴアルバムを発表するわけです。



この頃のチーフタンズの演奏は、ホントに脂が乗り切っているというか…めっちゃパワフルですね。メンバーも30歳代後半。ある意味、一番ノリノリのころです。







私はこのライヴ・アルバム大好きなんだけど、パディはあんまり気に入ってないみたいね。本では「確かにいいアルバムだよ。だけど、もっと凄いアルバムになっていたはずなんだ」と完璧主義者ぶりを発揮しています。

この頃、2年目を迎えていたマネージャーのジョー・ラスティングとパディの関係は本当に悪化の一途をたどっていたそうです。パディが夏のプロモ来日のトークショウで「マネージメントをマネージ(管理)する」と言っていた、あれですね(笑)。そしてチーフタンズの内部でも人間関係はボロボロでした。特にショーン・ポッツはパディよりも年齢が上の最年長メンバーだったので、パディとよく衝突しました。パディによれば「ポッツは気性があらく、ショーン・キーンもそれに同調していた。マーティンは昔っからちっともかわってなかったから、僕らは仲が良かったな。いつも味方してくれた。タブリディもそうだ。そしてデレクは僕の親友だった」

そんな状態のバンドだったから、新参者のケヴィンにとってもバンドはとても居心地の悪いものでした。ツアー中のチーフタンズはお互いの距離を取って飛行機の席はバラバラ、ホテルは違うフロア、朝食ではお互い話をしない。ということになっていたので、それにケヴィンはあっけにとられてしまったそうです。コンサートが終わればパディとデレクは連れ立って日本食かタイに出かけ、メンバー同士では一杯行く者もあったけれど、ケヴィンはひとりで取り残されることも多かったそうで、ロードクルーの連中と一緒につるむ事が多かったんだって。ツアー中の彼等が顔をそろえるのは、サウンドチェックと本番の時だけ。それはこの頃から徹底していたんですね(でもパディによれば、それがバンドを長く続ける秘訣なんだそう)。

この頃になるとチーフタンズは「ツアーには家族を連れてこない」というルールも打ち立てた。本によれば、それについてはパディも多くを語らないんだそうです。でも「家族を連れてくるのはやめようと全員で決めたんだ」とのこと。一方で、夫が不在中、家をまもるパディ、ショーン、ポッツの奥さんたちは、みんなで助けあい親密な人間関係を築いていたのだそう。

77年の春、比較的ゆっくりしたスケジュールで動いていたチーフタンズだったけれど、裏ではジョーが夏の過酷なツアーを組み立てつつあったのでした。過去最大の日程で、大きなフェスティバルをはじめ、カーネギーホールそしてユニヴァーサル・アンフィシアターなど大会場がチーフタンズのために準備されていたのです。

が、そのツアーにはいけない…と宣言するパディの電話にジョーは切れます。妻の出産を目の前にしたショーン・キーンがツアーを拒んだことが大きな原因だったんですが…「彼の最初の子供ってわけじゃないじゃないか」「なんなら保育士をやとってやる」「あんな会場をいくつも押さえられたのは俺の力なんだぞ。キャンセルするというなら、もうオレは君たちにはつきあい切れない。私は辞める」

しかしパディの判断はNOでした。マネージャーを失い、アイランドレコードから切られたとしてもツアーをキャンセルする以外、チーフタンズを維持する方法はなかったとパディは話しています。ここで終わりです、ジ・エンド。

しかし、不屈の精神でパディはコロンビア・レコードと新しい契約を取り付けます。家族を優先したあの時の決定についてパディは今でもこのように話しているそうです。「あのツアーをやっていれば、僕らはもっと人気が出て金持ちになっていたかもしれない」そしてジョーに対しても「あちこちでコンサートできたのは彼のおかげだと思っている」とメンバーも語ります。「彼がチーフタンズが飛び立つための滑走路を用意してくれたのさ」

それ以降、チーフタンズのマネージャーはめまぐるしく変わっていくのですが、この本が出た当時(1997年)のジョーは、音楽関係の仕事を離れ、映画プロデューサーとして成功を収めているそうです。そしてパディほど管理しづらいアーティストはいなかった、と語っています。「パディのことは今でも大好きだよ、でも手に負える相手じゃないんだ」

チーフタンズはまたライブ・アルバムのリリースにともなうツアーを続けていましたが、この頃になるとメンバー間の亀裂も、とても大きなものとなっていったのでした。イギリスのフォーク雑誌が「ショーンが脱退」という噂を書いたり、アイルランドの音楽雑誌ホットプレスが「チーフタンズ解散説を否定」とか、メディアは好きなようにあれこれ書きたてた。チーフタンズのことをあれこれ言う純粋主義者や音楽ジャーナリストもいたらしく、それは現在まで続いている、とパディは言います。

チーフタンズは今やアイルランドでもっとも成功した音楽集団であることは間違いありませんでした。ボシー・バンド、プランクシティといった他のアイリッシュたちに道をしめしながら、彼らは3つの大陸、13の国を制覇し、25万枚以上のアルバムを売り上げていた。ホットプレスに対してパディは「ある程度の有名人になると足をひっぱろうとする人たちから悪口を言われるのは避けられないことなのさ」と語っています。そして「二度と僕らはアイルランドで演奏しないかもしれない」と、そういった人たちをメディアで威嚇することも忘れませんでした。

10年後、U2のマネージャーであるポール・マクギネスも同じような経験をした、と同誌に告白しています。「率直に言わせてもらえれば、彼らが頭角を現して来た音楽環境には、怠け者がおおぜい住んでいるということなんだ。のんびりした生活をおくり、できる限りの長い時間をパブで過ごしたいという人たちが」(まぁ,アイルランドみたいな国だと努力家の人たちはそう思うのかもしれませんね… オレたちは遊んでる奴らとは違う、と。気持ちめっちゃ分かります)

そして秋になるとついに「家庭内の事情で」バンドを去るとショーン・キーンが正式に発表します。「キーン、チーフタンズを脱退」という文字がメロディ・メーカー誌に踊る。しかし次のメンバーが見つかるまで…とショーン・キーンはしばらくバンドに留まることを約束してくれた… のもつかのま、今度はショーン・ポッツ、マイケル・タブリディ、ケヴィン・コネフの3人までがクリスマス前までに脱退を表明。冗談好きのマーティンはパディに街灯の下にたたずむ3人になったチーフタンズの絵を書いたクリスマスカードを送って来ます。(パディとマーティンそしてデレクだけのチーフタンズ…)苦しいクリスマスだったけれど、パディは家族にささえられ「僕にはティンホイッスルがあるし、いつでも新しいバンドは作れるさ…」と思っていたのだといいます。「でもそうせずに済んだのは… 神様に感謝するしかないな」

いや〜〜厳しい!!! どうなるパディ!? どうなるチーフタンズ!!!?…とあおってみたものの多少のメンバーチェンジはあれど実際のバンドは2017年の今まで続いているわけですから、やっぱりすごいです。こっから先が実は40年なわけですからね(笑)

(11)に続く。


チーフタンズ来日公演の詳細はこちら。
11/23(祝)所沢市民文化センターミューズ アークホール
11/25(土)びわ湖ホール
11/26(日)兵庫芸術文化センター
11/27(月)Zepp Nagoya
11/30(木)Bunkamura オーチャードホール 
12/2(土)長野市芸術館メインホール
12/3(日)よこすか芸術劇場
12/8(金)オリンパスホール八王子
12/9(土)すみだトリフォニー大ホール