石田昌隆さん『1989〜If You Love Somebody Set Them Free』を読みました。素晴らしい。



タイトルについてはスティングの同名の曲がおなじみですが、石田さんのfacebookを参照ください。




89年のベルリンから、2019年まで、30年にわたる石田昌隆さんの旅の記録。U2の音楽がもっともクールだった時代から、音楽や映画に導かれるように東西ベルリン、ブタペスト、クレジャニ村、東京などを経て、また再びベルリンへと続く旅の記録が綴られている。

友達が石田さんのことを形容して「素敵よねぇ… 静かだけど主張がある、って感じで」って言っていたけど、本当だ。

石田さん本人同様、この本も語り口は静かなんだけど、すごくパワフル。写真が良いのはもちろんだけど。というか写真はやっぱり説得力あるよね。装丁も写真が中心。

ちょっと字が小さいけど、読みづらいということはない。どちらかというと写真集というとらえ方で良いと思うし、ご本人も確かどこかでそう書いてらした。

それにしても、いろいろ考える。89年の壁崩壊後、彗星のごとくワールドミュージックシーンに飛び出し、わたしたちの知るところになった音楽、主にジプシー音楽がこの本の中核をなしているのだが、正直、わたしは当時ジプシーやバルカンの音楽がいまいち理解できなかった。

すごいとは分かっていたけど、ケルトや北欧の音楽と違って、彼らの音楽には、もう人間技ではない、言葉では説明できない何かがあって、それらがわたしのリスナーとしてのキャパを超えていたんだよね。

なんというか、メロディが覚えられないというか… メロディの頭はどこにあるんだ?とか(笑)。どうやって演奏しているんだ?とか。

楽器を演奏するわけでもないのに、どうも演奏方法を分析したがる馬鹿な性格もあり、加えてもともとはシンガー・ソングライターたちの音楽に傾倒してリスナーになった私は、単にグルーヴに身を任せるみたいな音楽の聴き方が苦手だった。

今でこそ、かなりこれらの音楽に近い、例えば才能にまかせて弾きまくるライコー・フェリックスとか、ほぼ勝手に演奏しているとしか思えないポーランドの農村マズルカも手掛けるようになったのだけど。

それでもこの本をゲットしたのは、もちろん石田さんを応援したいというのがあるのと、あと90年後半になってから、わたしもプランクトンさんの現場を手伝うようになっていて、結構自分が立ち会った時の話が書かれているからというのはあったのよね。

石田さんとはありがたくもfacebookのフレンドになっているから、石田さんがちょくちょくこういう写真と短い旅のエッセイをアップしてらっしゃるのを、前から読んでいたし、実際本になってまとめて読みたいなぁとはずっと思ってもいたのだった。

実際、この本を読んで、話に出てくるプランクトンのスタッフの誕生日のエピソードの現場にはわたしもいたし、その後のメディアの反応など、タラフの初来日のことは非常によく覚えている。

その後、音楽ライターの松山晋也さんや川島恵子さんとクレジャニ村に行かれたこと、もちろんタラフを撮影した石田さんの写真などなど。

自分が目撃したり、実際にその場に行かれたりした方から直接話をうかがう幸運に恵まれたりしたことも多く、この辺は音楽はよく分かっていなくても、非常に興味深いトピックだったのだ。そして、それらについては非常に面白く興味深く読めた。

しかし、この本にも書かれているが、そのタラフも現在は活動が空中分解状態だ。

詳しくは知らないが、プランクトンの仲間の間でミーちゃんと呼ばれていたマネージャーのひとりミシェルが離れてからは、ヨーロッパのメディアからも話を聞かなくなってしまった。

こういうパターンはワールド・ミュージックの世界ではたくさん存在する。ミーちゃんがマネジメントしてた時も、すでにかなりとっちらかった印象だったので、招聘元であるプランクトンの皆さんの苦労はわたしなんぞ凡人の想像を遥かに超えたものだったが、そんな時間もあっという間に流れてしまった。

最近のクイーン・ハリッシュの交通事故のことは、もちろん聞いていたけど、金歯のパシャランまでもがすでに鬼籍に入ったこと、当時のマネージャーの1人がやはり亡くなったことなど、この本で知ることになった。

そういえばタラフ最後の来日の時、わたしは(おそらく自分の仕事と重なったかなにかして)公演に行くことは叶わなかったが、同行していたスタッフからいろいろエピソードは聞いていた。

こういうアーティストの来日は本当に奇跡のようなタイミングが重なって実現している。

この音楽を自分の人生のすべてをささげてなんとか届けたいという人たちが確かに何人か地球上には存在している。でもそんな人の多くが自滅してしまったり、とにかくすべてが一筋縄ではいかない。生半端な覚悟では何も実現できない。そしてバンド自体の命も短い。ましてやバンドの音楽が本当に旬の時期は短い。

そうやって時間は流れていく。

石田さんが書かれているタラフの名物ギコギコおじさんニコラエのお葬式での超絶エンタテイメント・プレイヤーのカリウの、<「向こう側に所属している」と感じさせる表情>というところにはグッと来た。

いろいろな思いが去来する。音楽の、本当に一瞬の、はかないスパーク。

しかしこの本の中で、一番自分に響いたのは、実は意外にも前半に出てくる1989年のブタペストのシーンだった。

いわゆるハンガリーのダンスハウス(タンツハーツ)ムーヴメントを石田さんが目の当たりにしていたのだ。62ページの写真など、まさに今のワルシャワとそっくりだ。

ハンガリーの30年後、ポーランドで同じ動きがあり、それをわたしも2016年ごろ目のあたりにして、それが今年の頭にわたしが熱心にプロモートしていたヤヌシュたちの活動になっているわけだが、ヤヌシュたちの活動だって、このあとどれくらい続くかわからない。

彼らのヒーローである農村楽士たちは90歳overでみんなバタバタと亡くなっている。先日「シロンスク」の公演を見たが、ああぃういわゆるヤヌシュたちが「フェイクローレ」と呼ぶ共産時代の文化遺産的舞台芸能がある一方で、今、都会の若者がこっちの田舎の音楽がクールだ、俺たちが自分で見つけたんだといって、本物は何か追求しだし農村に集結する、あのパワフルな感じ。

それを89年に石田さんはすでに体験していたのだ。歴史は繰り返すというか、なんというか。ムジカーシュのことを今はじめてしっかりと理解したような気がする。いいや、まだまだ勉強しなくちゃいけない点はあるのだが。というわけで、この部分は文字通り震えながら読んでしまった。

なんか妙に私的な感想文になっちゃった。でも、これ、すごい貴重な記録だと思うので、ぜひ皆さんも手に取ってください。

旅の記録としても最高で、盗難にあったり、航空券の再発行とか、あれこれトラブルがある話を読んでいるだけでも、かなり楽しい(失礼)です。

それにしても、ベルリンかぁ…  今、ベルリンにはウォリス・バード、そしてアラマーイルマン・ヴァサラットのスタクラが住んでいる。なんか呼ばれるものがあるよなぁ。

石田さんのFacebook投稿。公開設定になっているので、フレンドじゃなくても読めます。本のエッセンスはここで感じられるので、ぜひのぞいてみてください。