角幡さんのこの素晴らしい書評を読んで感動し、ついポチってしまった。
冒険と芸術との関連をここから発展させて、ちょっと長めの原稿にできそうな気がする。 https://t.co/1jgesOUZHS— 角幡唯介 (@kakuhatayusuke) November 16, 2019
山と渓谷社の本は高いよなぁ…3,000円オーバーのこの本。だから買うのをずっと躊躇していた。でもこの書評がすべてを語ってる。この書評を読んだあと、私は速攻でアマゾンへ行き、ついにポチった。この本、前から気になってたんだ。なんといっても主人公はポーランド人。だからウチのポーランド企画の最中に、もっと早く読まねばいけなかった。でもあの当時は自分の健康状態悪すぎて活字がまったく頭に入ってこない状態だったから仕方ない。で、この本の主人公はミュージシャンじゃなくて、アルピニストなのだ。
そして… この本。期待どおり。めっちゃかっこいい!! 本人のカッコよさという意味ではロック・ミュージシャン以上であり、本としてのかっこよさもクラカワーの『空へ』に通じる世界があるかもと思わせる。何かに夢中になって、何かを深く考察し、悩み悩んで悩みぬき行動する男は最高にかっこいい。いや〜っっ、惚れた!
ポーランド人って、こういう屈強なところあるよね。そして共産時代はやっぱり登山許可が下りなかったり、装備が自由に買えなかったり、クルティカも相当苦労したらしい。…いや、違うな。この本の印象からすると、茶目っ気たっぷりに密輸ビジネスで儲けていたとか、かなり危ない橋を渡っていたらしい。そんなことも含め、とっても興味深い内容だった。
アルパインスタイルというスタイルで登ったクルティカだが、正直登山に関してはまったく素人の私。固有名詞や固有名称がよくわかっていない。だから彼が登山者として、どのくらいすごいのか、よく理解できたわけではない。でも… でもクルティカは哲学者だ。それは私にもわかる。彼は本当に真の芸術家だと思う。音楽家だって、ここまでしっかり考えられる人はめったにいない。
この本は7年をかけて著者(ベルナデット・マクドナルド)が取材し調査し書き上げた本だ。まずは著者がクルティカを心から尊敬している様子がビシビシと伝わってくる。
たとえば1つ1つの章の扉にいろんな人の言葉が紹介されているが、ある章で紹介されているネジク・ザブトロニク(誰だ、それ?)などは、本当に最高だ。「目的の追求は、達成と同時に虚しくなる。しかし、道の探究は、心のうちに目標を与え続ける」かーーっっ
しびれる!
と、まぁ、もう読者のための演出もいっさい手ぬかりがない。最高。読んでいて、ついついこのかっこよさに酔ってしまう。でも本当だ。クルティカが強かったのは、彼が芸術家だったからだ。道の追求者だったからだ。芸術家だったから、生き延び、パートナーを1人も死なせず、無事に戻ってきたのだと思う。
そして著者が紹介するクルティカの言葉が素晴らしい。すごいクライミングを成功させ世間から称賛されれば、クルティカは「(確かにあの時は)称賛を楽しんだ」「今は私も賢くなったので、罠は理解しています」「もしもこういったものに自分の魂を売り、人生を最上のものにしてくれる友人たちから離れてしまえば、それは意味がないものとなります。むしろ危険なものになります」
少し遅れてからの自分のキャリアに対する父の称賛とやっと下された承認。だが…「自由に登り、下り、フィックスロープや設置されたキャンプに惑わされないことこそ、クルティカに強く影響を与えていた。そこにこそ彼の未来があった。それは、父親の承認とは関係がなかった」と著者は記している。(かーーーっっ、しびれる!!)
「クルティカは家庭生活を切望しながらもそこから逃げ、その分の情熱をクライミングに充てた。ロシア人のダンサーのミハイル・バリシニコフはかつて言った… 芸術家の人生は比較的簡単だが、そのまわりの人々は大変だと。アルピニストに対しても同じように言えるのかもしれない」(かーーーっっ、これも超かっこいい!)
そしてクライミングのパートナーのククチカとの人間関係はまるでロックバンドのそれだ。ジョンとポール、グレンとクリス(笑)。そして当時は悪天候などの文句を日記に綴りながらも、後からの回想では、その経験を称賛しているなど、ほんとクルティカはアーティストだよなぁ、と思う。日本のクライマー谷口けいの言葉も紹介されているが、これもいい。「最短の時間で目的地に向かい、登り始めるのは私は好きではありません。このような方法は、誰かの家に土足であがるようなものです。そのかわり、山の入り口でドアを叩き、挨拶をして、話をし、お互いよりよく理解してから、さらに深くその懐に入っていきたいのです」
友人の言葉として「ユレク(・ククチカ)は苦しみとの強いつながりを持っていました」「ヴォイテク(クルティカ)はタフでしたが、異なっていました。彼は芸術家としての強さがあり、理性的でした。ユレクは動物的で本能的でした。ヴォイテクは緻密で技巧的でした。そして優雅でした。ザックのパッキングですら優雅でした」「一歩一歩が優雅でした。ユレクはそうでもありませんでした」「ヴォイテクは途中で退却することも厭いませんでした」「ユレクはそうではなかったのです」そしてククチカはパートナーを何人も事故で失ったし、彼自身も亡くなってしまったわけだ…
断念したクライミングについてクルティカの言葉。「最終的なゴールを逃すことで、人間は弱さを示し、それはその人間をより美しくする」「アルピニズムはスポーツよりも芸術に近い」「芸術においてのみ、欠けているものが作品に意味を与える」
かーーー。いいなぁ、これ覚えておこう。「芸術においてのみ、欠けているものが作品に意味を与える」
谷口けいの言葉「クライマーにとって、そこに芸術がなければ、アルピニズムに美しさはなく、そこには命もありません」
あ、そうそう、クルティカの日本隊の話も興味深かった。山という「究極の自由と真実の空間(クルティカの説明)」においても日本人グループが強力な上下関係を維持していたこと。またグループの意思決定を重んじるところとか。でもクルティカは日本人については、のきなみ好意的に思っていたようだし、彼らの実力も相当認めていたらしい。ただ、深く長く続く関係を築けなかったのは自分の落ち度だとしている。
またクルティカは、自分で書いた「チャイニーズ・マハラジャ」という本についても、何度も何度も手をかけて訂正し、編集をくりかえしていて、言葉を選ぶ人だったということも紹介されている。それはまるで「レナード・コーエンみたいだ」とも。クルティかの自伝とか読んでみたいけど、日本語で手にはいるものはないみたい。
それにしても芸術家ってのは、こう、なんというか、美しいだけじゃなくて、強いんだよな。強い。うーん、考えさせられるわ、ほんと。
この本は7年をかけて著者(ベルナデット・マクドナルド)が取材し調査し書き上げた本だ。まずは著者がクルティカを心から尊敬している様子がビシビシと伝わってくる。
たとえば1つ1つの章の扉にいろんな人の言葉が紹介されているが、ある章で紹介されているネジク・ザブトロニク(誰だ、それ?)などは、本当に最高だ。「目的の追求は、達成と同時に虚しくなる。しかし、道の探究は、心のうちに目標を与え続ける」かーーっっ
しびれる!
と、まぁ、もう読者のための演出もいっさい手ぬかりがない。最高。読んでいて、ついついこのかっこよさに酔ってしまう。でも本当だ。クルティカが強かったのは、彼が芸術家だったからだ。道の追求者だったからだ。芸術家だったから、生き延び、パートナーを1人も死なせず、無事に戻ってきたのだと思う。
そして著者が紹介するクルティカの言葉が素晴らしい。すごいクライミングを成功させ世間から称賛されれば、クルティカは「(確かにあの時は)称賛を楽しんだ」「今は私も賢くなったので、罠は理解しています」「もしもこういったものに自分の魂を売り、人生を最上のものにしてくれる友人たちから離れてしまえば、それは意味がないものとなります。むしろ危険なものになります」
少し遅れてからの自分のキャリアに対する父の称賛とやっと下された承認。だが…「自由に登り、下り、フィックスロープや設置されたキャンプに惑わされないことこそ、クルティカに強く影響を与えていた。そこにこそ彼の未来があった。それは、父親の承認とは関係がなかった」と著者は記している。(かーーーっっ、しびれる!!)
「クルティカは家庭生活を切望しながらもそこから逃げ、その分の情熱をクライミングに充てた。ロシア人のダンサーのミハイル・バリシニコフはかつて言った… 芸術家の人生は比較的簡単だが、そのまわりの人々は大変だと。アルピニストに対しても同じように言えるのかもしれない」(かーーーっっ、これも超かっこいい!)
そしてクライミングのパートナーのククチカとの人間関係はまるでロックバンドのそれだ。ジョンとポール、グレンとクリス(笑)。そして当時は悪天候などの文句を日記に綴りながらも、後からの回想では、その経験を称賛しているなど、ほんとクルティカはアーティストだよなぁ、と思う。日本のクライマー谷口けいの言葉も紹介されているが、これもいい。「最短の時間で目的地に向かい、登り始めるのは私は好きではありません。このような方法は、誰かの家に土足であがるようなものです。そのかわり、山の入り口でドアを叩き、挨拶をして、話をし、お互いよりよく理解してから、さらに深くその懐に入っていきたいのです」
友人の言葉として「ユレク(・ククチカ)は苦しみとの強いつながりを持っていました」「ヴォイテク(クルティカ)はタフでしたが、異なっていました。彼は芸術家としての強さがあり、理性的でした。ユレクは動物的で本能的でした。ヴォイテクは緻密で技巧的でした。そして優雅でした。ザックのパッキングですら優雅でした」「一歩一歩が優雅でした。ユレクはそうでもありませんでした」「ヴォイテクは途中で退却することも厭いませんでした」「ユレクはそうではなかったのです」そしてククチカはパートナーを何人も事故で失ったし、彼自身も亡くなってしまったわけだ…
断念したクライミングについてクルティカの言葉。「最終的なゴールを逃すことで、人間は弱さを示し、それはその人間をより美しくする」「アルピニズムはスポーツよりも芸術に近い」「芸術においてのみ、欠けているものが作品に意味を与える」
かーーー。いいなぁ、これ覚えておこう。「芸術においてのみ、欠けているものが作品に意味を与える」
谷口けいの言葉「クライマーにとって、そこに芸術がなければ、アルピニズムに美しさはなく、そこには命もありません」
あ、そうそう、クルティカの日本隊の話も興味深かった。山という「究極の自由と真実の空間(クルティカの説明)」においても日本人グループが強力な上下関係を維持していたこと。またグループの意思決定を重んじるところとか。でもクルティカは日本人については、のきなみ好意的に思っていたようだし、彼らの実力も相当認めていたらしい。ただ、深く長く続く関係を築けなかったのは自分の落ち度だとしている。
またクルティカは、自分で書いた「チャイニーズ・マハラジャ」という本についても、何度も何度も手をかけて訂正し、編集をくりかえしていて、言葉を選ぶ人だったということも紹介されている。それはまるで「レナード・コーエンみたいだ」とも。クルティかの自伝とか読んでみたいけど、日本語で手にはいるものはないみたい。
それにしても芸術家ってのは、こう、なんというか、美しいだけじゃなくて、強いんだよな。強い。うーん、考えさせられるわ、ほんと。
3,000円オーバーの本なので、正直言って、ポップで気楽に読める本ではないかもしれない。バイオ本としては、ジョブズのものすごいバイオ本と比べたら取材がまるでたりてないかもしれない。なにせ本人がそこまで協力的ではないのだから、仕方ないかもしれない。でも、この著者、すごい。そして翻訳も、ストレスなく、ほんとうにスラスラ読める。装丁もカラー写真も載っているし、ポーランド色の赤が強調されてて、ほんとにかっこいい。こういう本こそ、絶対に絶対に絶対に読まれないといけない本だ。いや〜、リリースしてくれた山と渓谷社さんに感謝。っていうか、山と渓谷社だったら、これ出さないと!!でしょ?!
登山にまったく興味ない人でも絶対に読んだ方がいい。この本の中に私は自分をいっぱい発見した。共鳴するよ、クルティカの哲学が、東京でチンタラ仕事してる私にも響きまくるよ。これぞまさに男の世界かもしれない。今、こういう風に表現すると問題かもだけど、あえていうなら女子供には理解されない世界。そういう世界が好きな人は絶対に読んだ方がいい。
PS
こんなドキュメンタリー発見。あとでみる。
最近の映像。お元気そう。なんて言ってんだろ。でもほんと知的な感じだわ〜