今はこんなに悲しくて…

お嬢さんが受験に失敗したというツイートしてらしたお父さん(お世話になってる音楽ライターさん)が、貼ってた中島みゆきさんの素晴らしい歌唱を今日は皆さんにも「元気になれる音楽」として、お届けしたいと思います。。あぁ、それでもなんか辛い。仕方ないこととはいえ…

中島みゆきさんのコンサートは実は一度だけ行ったことがある。最高に素晴らしかった。私は『寒水魚』の前までは全アルバムを熱心に何度も何度も聞くくらい大ファンだった。いや『予感』あたりまで聞いてたかな…  でもだんだん洋楽の方が好きになり日本のものは聞かなくなっちゃて、最近の作品は実は追いかけてはいない。それにしても普通女性シンガーのコンサートって「おっ、喉があったまってきたかな」って思う瞬間があるのだけど、彼女は公演の最初のひと声から声が200%出てて、全編声の張りを落とすことなくパワフルだった。長くやってる人は、やっぱりすごいなぁ、と思った。

時代はまわるけど、先に紹介した友達のお嬢さんは、受験の第一志望が叶えられなくて、今はいろんなこと考えられないだろうなぁ。私も実は受験には成功してない。立教をトップに6、7大学受けて受かったのは滑り止めの「にっちだーい」のみ。それだって「合格した」という私の第一声を聞いた父は、玄関先で「そりゃ間違いじゃないのか?」「補欠じゃないのか?」と言ったのだった。今でも覚えている(笑) いや、嫌味じゃなくて。父は結構受験勉強、最後の方は付き合ってくれてたし、応援してもらってはいた。ま、でも、そのくらい私は受験勉強に熱心じゃなかった。本当に勉強が大嫌いだったのだ。スポーツや走ることも。今、大好きなことが大嫌いだった。ま、今、思えば学校ってシステム自体、私という人間にあわなかったのだけどね…

そういや大人になって歳とってからこんな夢も見た。私がどんなに学校が嫌いだったかを象徴している夢(笑)。学校で授業を受けているんだけど、ふと後ろを振り向くと同業者で当時仲良くしてた音楽レーベルの社長さんも同じ授業を受けてる。そこで私はハッと気付き「そうだ、Yさん、私たちもう勉強しなくていいんだよ。だってもう自分の事業を持っているんだから」と私は彼に言ったのだった。すごい鮮やかな夢。いい歳してそんな夢をみるくらい勉強、授業はトラウマだったし、大嫌いだった。

今では私が行った日大もそれなりの学校の部類に入るのかもだけど、あの頃は名前を知られている大学の最低最下位だったと思う。勉強が大嫌いだった私は浪人してその先も勉強をつづけるのがいやで、当然のことのようにとっとと諦めて日大へ行った。でも、そこでは最高の友人に恵まれ、本当に楽しかった。楽しかったことしか思い出せないよ。いい時代だった。でも当時それは自覚できなかった。そんなもんだ。私が下宿していた四畳半に6、7人で泊まって、みんなでライブエイドみたこと、とか(笑)良い思い出。そして大学2年の夏に英国にはじめて行ったことが、私の人生への向き合い方を大きく変えることになる。

子供のころの夢ってどうなんだろうね。音楽は子供のころから好きだったけど、音楽の仕事なんて出来るわけはないだろうな、というくらいの自覚はあった。事業を始めるなどとんでもはっぷんで、当時音楽業界への道なんてレコ社に就職するくらいしか知らないかったが、それだって新卒1名取るか取らないかだし、ね。

そういや子供のころ…中学のころかなぁ…文章を書く仕事につきたいと思ってやなせたかしが編集長してた『詩とメルヘン』を愛読していたっけ。親に書く仕事をしたいと話したら「そんなものになれるわけない」とか言ってた。今でもはっきり覚えている。夏の夕方の庭で、なんだかそういう話になって、そう言われたのだった。当時は子供の教育で「否定しちゃいけない」「励まさないといけない」なんて言われていない時代だった。ひたすら厳しいことが良しとされた時代だ。それから何年もたって私の文章は下手くそなままだけど、良い時代になりましたよ。こういうブログに何か書けば読んでくれる人が驚くほどの数存在し、どっか別の場所に書けば原稿料がいただけるわけで。

そうそう、今、妹の長女、私の姪が文章を書くのが好きで、しかも賞に応募しては結構良いセンまで行っているので、書くことはこれから将来彼女がどんな職業についたとしても辞めるなとは伝えた。今、彼女は19歳。結構現実的な子なので、たぶん学校を出たら普通に就職しちゃうんだろうけどね。(とはいえ、周りの友人たちを見るにつけ、いったんは就職経験があったほうが、あとで羽ばたけるとは思うよ。だから就職することは悪いことではない)姪は文章は抜群にうまくて、おそらく言葉や漢字は私なんかよりもたくさん知ってる。ただエンタテイメントを書けるほどの力はない。今、本を買えば、売れている人はやっぱり最高にテンポもよく読みやすく、読んでいて楽しいものだが、彼女の文章には楽しさやチャーミングさみたいなものがないんだよな。でも妙に独特のスタイルというか、美意識があって結構それがユニークだとは思う。というか、お話を作れる、フィクションが書けるってこと自体、すごいよなぁとおばちゃんは常日頃、感心しているのです。

それにしても桜散る。大学に落ちちゃった彼女には具体的な夢があって、その夢をかなえるためにその大学を選んだようだけど… でもね、前にもここに書いたけど「医者になりたい」って夢は叶えられなくても「病気の人の役にたちたい」って夢はやろうと思えばかなえられるのよ。だからそういう自分の夢を育ててあげればいいんじゃないかな。自分が白衣着るかなんて関係なく…  どうだろう。でもその歳で自分の夢や希望がはっきりしてるなんてすごいことだよ。私なんて、ほんと大学2年の夏休みに初めて英国に行くまでは、のほほんと生きてたのだから。19歳、英国行きが、私を180度変えたのだった。そんな話もいつかこのブログに書こう。
 
時代はまわる。いつかまた出会える時が来る。それをどうやって自分よりうんと若い人に説明したらいいんだろうと思いながら、自分が子供だったころのことを思い出したりしている。



中島さんといえば、この曲大好きなんだけど、手嶌さんのカバーいいね! 「故郷(ふるさと)」に帰りたいとは思わないけれど、この曲が持っているセンチメンタルリズムが大好きだ。



PS
幡野さんの悩み相談がいい。春休みの学生さんたち、是非読んでね。

そうなのよ、夢を語るとそれが子供でも大人でもみんな聞いた人は「無理だよ」「むちゃだよ、やめておいた方がいい」と笑う。叶えばみんな「俺が手伝った」「応援したんだ」って勝手なこと言う。外野なんて、そんなもんさ。私も、子供のころからずっと多くの人から自分のやりたいことを反対されて、それでも割と無理やり好きなことをずっとしてきた。だから後悔なんて一つもない。子供のころ勉強しなかったことも含めてね。自分のやったことの結果を人のせいや人の成果になんてしない。ただあのころの自分にそばで応援してくれる人がいたなら、って本当に心から思う。若い人、頑張れよ。俺は応援してる。