石井妙子『女帝 小池百合子』を読みました。いや〜、すごい本でした。


すごい本でした…ぐいぐい読ませる。別に彼女にはそれほど興味がないし、最初買うのを躊躇したけど、タイムラインを見ると誰もがみんなこの本を読んでいるので、ついにポチり。いっとき在庫が切れていたようですが、今、また復活しているようです。アマゾン。

実はこの本の前には心が洗われるような美しい本を読んでいて、そっちの感想もすぐにでもこのブログに書きたいのだけど、こちらもあっという間に読み終わってしまい、そのショックというか驚きが大きく、先にこっちについての感想を書く。

そしてこの本は素晴らしいノンフィクションだったということをまずお伝えしておきましょう。すごいです。

とにかく、あっという間に読めちゃった。すごくよく書けてる。これだけの本を書き下ろしで書いた著者に敬意MAX。特に連載でもないノンフィクションの書き下ろしは取材も時間も経費も、ものすごくかかるし、仕事量の割に儲からないから(って失礼だけど)、この本、本当にたくさん売れてほしい。

本当に書いてくれてありがとう!という気持ちだ。著者の後書きに「ノンフィクション作家の罪」「書かぬことの罪」と言う言葉があり、震えるしかなかった。ここには本当に世の中に広く知られるべきことがたくさん書いてある。これを読まないのは東京都民としては罪だ。知らないことも、これまた罪なのである。

いや〜、いろいろ話には聞いていたが、小池百合子というのは、すごい。通奏低音のように彼女の人生に響いている何かを一言で表すとしたら、それは「はったり」だと断言できよう。生まれた環境から、何から何まで。すべてが「はったり」の人生。「はったり」がなければ何もない空虚な人生。

いや、もちろん、「はったり」も大事なんだよ。「はったり」こそ、この世代の女が、そして私の世代くらいまで、女が仕事して一人で生きていくには必要なアイテムこそ「はったり」なのだ。それは私も重々承知している。でも通常、女という生き物は、もっと優しいものだ。そしてウソをつかない。もっと正義感が強いものだ。

「はったり」にもいろんな面がある。

いつぞや某有名ホールのプロデューサーさんにお会いした時、その方に「野崎さんとこのアーティスト、面白いよね。ウチのホールでどう?」と言われたことがある。

都内の素晴らしい1,500人オーヴァーのそのホールの座席をウチのアーティストが埋められるとはとても思えず「いや、ありがたいお話だけど、ウチのアーティストじゃご迷惑おかけしちゃいますから」とお返ししたら、「いいねぇ!! 女性プロデューサーは!」とその方は感心して「男どもと違って、どこどこの●●さん(こちらのプロデューサーさんも女性)もそうだけど、絶対にはったりとかかまさないもんね」と褒められたことがあって、私はすごく嬉しく思ったものだった。

だが、仕事のことを考えたら失敗したとしても、もう少し「はったり」をかました方がよかったのかもしれないということもあった。そもそも私は精神年齢が大学時代くらいからあまり成長しておらず(笑)、50すぎた今でも素人の心いきで仕事にのぞんでいるのだからたちが悪い。

そんな、ある日「いや〜、ウチみたいな弱小レーベルが…」みたいな話を仲間うちでしていたら、友人で音楽ライターの五十嵐正さんが「洋子ちゃん、そろそろそういう発言は嫌味に感じられるよ。もう20年近くやっているんだからもっと堂々としなさい」と注意してくれたことがあったのだ。

そんな風に言ってくれる友達がいて、私は本当に幸せものだし、五十嵐さんには本当に本当に感謝している。その時から私は自分のことをそういう言い方で可愛い子ぶって言うのは返って無責任だと反省し、やめた。これも「はったり」に近いけど、これは似て非なるものだと思う。

そんなふうに世間が自分をどう見るか、そして実態の自分はどうか、ということについては、誰にでも乖離している部分があるのだと思うし、私も常にどういうふうにふるまったらいいかということについて、常日頃考えているのだ。

…と、このように「はったり」とは微妙で難しいものなのだ。しかし、この本を読んで強く思ったのが彼女の「はったり」のパワーだ。褒めてません、褒めてませんよ。確かに音楽業界、普通の業界よりも「はったり」が幅を効かせている状況はあるかもしれない。

だって、よく仕事のできない業界おじさんが、よく「あの優秀なスタッフは俺が育てた」「あの著名アーティストはオレが育てた」くらいなことを言ってみせるじゃないですか。が、女がこれでいいのか。働く女はもっと謙虚で優しく、かっこいいものではないのか? 

こんなに「はったり」だけの、中味のない生き方で良いわけがないない。女は女に厳しいということもあるかもしれないけれど、私が知る限り国内海外を含め女性プロデューサーに「はったり」をかます人は、一人しか知らない。

まぁ、そもそも日本では女性プロデューサーの数が少ないということもあるけれど、その時は「女の人なのに珍しいよなぁ」と感心したものだった。彼女の場合、実際、はったりが彼女のキャリアに非常に絶大な効果をもたらしていた。ま、それはさておき…

「はったり」だけでなく、彼女は平気で「ウソもつく」。小学5年生の時の作文のタイトルが「ウソも方便」だったというから驚きだ。そういや『平気でウソをつく人たち』という本もあったが、いつだったかどっかのビジネス誌に、いわゆる「サイコパスが向いている職業」というリストが掲載されたことがあった。

多分東洋経済とかその手のWebメディアだ。サイコパスと断定してしまうと極端だがサイコパス的なところがないと務まらない職業というのはあきらかにこの世に存在する。ちなみに記録がうろ覚えだが、確か覚えているのがサイコパスが一番向いている職業1位は外科医。そして企業のCEOが2位だった。そして政治家もトップ5に入っていたと記憶している。

これ、すごく理解できて、だいたい人のお腹を切って貼ってる時に動揺していては外科医は務まらない。サイコパスというと極端だが、そういう冷静なところがないとその仕事は務まらないのだ。何百人という命を預かる航空機のパイロットとかもそうだ。ハドソン川に不時着したパイロットさんがインタビューに答えていたが、あぁいう時だって一人一人の命に心を寄せていたら冷静な判断なんて絶対にできない。

企業のCEOというのも同様で、私だってある意味冷たい判断をしないと自分の仕事に支障が出ることはいくらでもある。(ちなみに一方でサイコパスだと絶対に務まらない職業のNo.1は看護師さんだった。看護師さん、ラブ❤️)

ま、また話がそれたが、そのくらい政治家というのはタフな仕事だということだ。だけど、彼女のストーリーは本当にひどい。カイロ大学うんぬんは、まぁ思ったとおりというかそういう顛末だったわけで、エジプト大使館が声明を最近出したが、それもこの本を読めばすべて理解できる。

とはいえ、おそらくこれ以上この件は触られないのではないか、という予想がたつ。これ以上、つっこむと外交問題になりますよ、という、それは彼女のメッセージなのかもしれない。

そんなふうに、ばれれば彼女は公職選挙法違反で一発アウトなわけなのだけど、それよりも私がひどいと思ったのは、彼女のあまりにも冷たいその態度だ。築地にしてもアスペストの件にしても、被害者に寄り添う姿勢がまったく見られない。

もちろん立場上、政治家として苦しい決断をする必要がある場もたくさんあるだろう。でも彼女は平気で嘘をつきまくる。特に拉致被害者の前で自分のハンドバックを忘れた時「拉致されたかと思った」と発言したという記述は言葉を失った。

他にもマニュキュアを塗りながら陳情者たちの話をいい加減に聞き、塗り終わったとたん「もうマニキュア塗り終わったし、帰ってもらえます?」とまで言う無神経さ。

陳情者たちの悔しさは察してあまりあるものがある。

そして、マスコミはそういう重要なことを伝えないで、彼女のわかりやすいキャッチフレーズに騙されて、すべてを彼女に有利なように報道していく。いや、報道する側も彼女を利用していると言えるのかもしれない。何せ彼女の言葉を拾えば、わかりやすくポップな記事が書けるのだから。築地のおかみさんたちの「女の人だから信じた」という言葉が本当に泣けた。

あと読んでいてすごく面白かったのは、最近の政治の動向だ。最近のことなのに、あれこれすっかり自分の記憶が抜けおちているもんだなぁと思い、不謹慎ながらとても楽しく読んだ。あったなぁ「ソープランド」という言葉が生まれたきっかけ(もともとは「トルコ風呂」と言った)。竹村健一、そしてワールドビジネスサテライト。

防衛大臣になったくだりとか「イケメンの自衛官をそろえろ」発言とか。そして「マダム寿司」とか(笑)覚えてるわー、そういうのー。そして「クールビズ」。

あとこれは彼女の発言ではないがやっぱり右翼女の「(オーストラリアとフランスと日本の防衛大臣は)三人とも綺麗な女性」というバカ発言とか。懐かしー。

そして、そうそう、希望の党から切り捨てられた政治家たち、そして立憲民主党が生まれてくるくだりとか、こうだったよなぁと再確認。

進次郎が出てくるとおころとか、キャロライン・ケネディとの対談での「鉄の天井」発言とか。ついこの間のことながら、すでにとても懐かしく思えてしまう。

一つ一つ懐かしく思いながら、白状してしまうが読むのがとても楽しあkった。彼女の噂のレベルだが男性遍歴もすごい。小泉純一郎のお弁当話は、確かに私も覚えている。あと舛添さんって女を見る目がないよね…  というのが感想かな。

でもこれらすべてを楽しく他人事のように読んじゃいけないのだ。だって、あれもこれもまったく解決されていないのだから。

すべて無知な有権者たちが協力してしまったことなのだから。まさか築地の顛末がこんな状態だったとは、まったく私もわかっていなかった。そんなふうに私を含めて、本当に有権者とはバカなのだ。悲しいことだが。

そして…  カイロ大学時代のお友達が指摘しているとおり、この人、友達の影がまったく見えないよね。それが、ものすごく寂しい気がした。ものすごく孤独で寂しい人なんだろうな、と。

いろんな意味で道場を禁じ得ない。ま、私なんぞに同情されても彼女はなんとも思わないだろうけど、おそらく「同情される」というのは、彼女にとっては一番嫌なことなのかもしれない。そう思うと同情しても同情しても同情したりない。

とにかく本人が最悪なのは、もちろんあるとして、さらに最悪なのは、マスコミの報道のあり方だ。そして、そのマスコミに騙され投票する有権者たちだ。

加えてこういう人に利用される、力を持っているくせに女を見る目がないおじさんたち。選挙に行かない有権者などは持ってのほか。そういう人たちが、私たちが、彼女のようなモンスターを生み出したのだ。それをよく自覚しないといけない。面白がって呼んでいる場合ではない。

最後に石井さん、よく書いてくれました。彼女の他の本もぜひ読んでみたいなぁ。


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