河野啓『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』を読みました。これは最高のノンフィクション!!!

 


栗城さんのことは知っていたが、まったく無視していた。というのも、単なる注目されたがりの無謀な若者というふうにしか評価していなかったから。私が探検家や冒険家が好きだということを知ると彼の名前をあげたりする人も多かったが、私は彼の動画をみたことすらない。もちろん本も読まないし、読む気にもならない。

しかし佐村河内さんといい、NHKがドキュメンタリーで取り上げる人たちのその後は…なんか胡散臭い(と言っては失礼だが)とも思う。例えばフジコ・ヘミングやらの番組に取り上げられ一気に知名度があがった表現者たちの過去の成功体験が忘れられないのか? 

もちろんショパンのピリオド楽器で2位になったピアニストの川口さんをフィーチャーした番組とか良いドキュメンタリーもたくさんある。

いやいや、私自身、評価を下したりできるほどTVのドキュメンタリーを見ていないし、実態知らないし、とはいえTVの影響は本当に大きく実際ドキュメンタリーによって注目され、今でもコンサート会場がいっぱいなる人とかが音楽業界にもたくさん存在していて、その成功例はあとをたたない。

この作者がかかわったという義家弘行の話も似たようもんだ。ちなみに著者はそのことについての自分の「罪」みたいなものに悩まされていると言う。まぁ、それについては言いたいことはたくさんあるけど、書かないでおく。

ま、でも簡単に言っちゃうけど要は栗城さんが高らかに謳う「無酸素補給」「単独」すべて嘘っぱちだったと言うことだ。でもそんなことはこの本を読むまでもなく明白だった。

本当にいわゆる探検家さんたちに失礼なこと極まりない最低の人だ。

例えば私は、極地探検家の荻田泰永さんは身体能力、人生哲学、社会的行動すべてにおいて最高の探検家だと思い尊敬しているのだが、荻田さんをはじめそういう真面目にやっていられる人たちから見たら、ほんと信じられないくらい彼は最低のやつだ。そういう彼が題材になっている。

角幡唯介さんが『空白の5マイル』で受賞し、畠山理仁さんが『黙殺』、河内有緒が『空をゆく巨人』でゲットした開高健ノンフィクション賞の今年の受賞作。未発表の作品に与えられる賞なのだけど、一言で言って、いやー 素晴らしい本でした。あっという間に読めちゃった。

このライターの方は、TV関係者だ。そのせいかもしれないが、非常に臨場感のあるテレビのドキュメンタリー風のストーリー展開だ。最初は私も栗城さんと本と聞き、上記のようにあまり印象を持っていないので「ふっ、こいつか…」という斜めな気持ちで読み始めたのだけど、そのうち「ほんとこいつふざけてる」「こういういい加減なやつ音楽業界にも多いんだよな」「なんで真面目にやってる人がちゃんと評価されないで、こんなやつが…」みたいな気持ちになり、怒り心頭のうちに読み進めれば「本当にかわいそうなやつ」「みじめなやつ」と評価がぐんぐん変わってくるのが読んでいて非常に「楽しい」。

そして、最後の方においては、もう言葉もない。でも不思議なことに最後の最後には、なんとなく彼のことが好きになってきたような気持ちにもなり「もしかして彼は幸せだったのかも」とも思えてくるのだ。

とにかくこの本の主人公に対する読者の気持ちをあっちへこっちへと揺さぶる不思議な本だ。でも一人の人に対する印象って、そういうことなのかもしれないとも思う。相手のこういう面を見てはこう思い、ああいう面をみてはあぁ思い。

友人だから知り合いだから仲間だから100%どうということではなく、人間にはいろんな面があり、その面もいろいろ変化し、こちら側の評価も変わっていくということなのだなと改めて思った。

で、その揺さぶりが大きい人が栗城さんみたいに「妙に目を離せない人」という存在になっていくんだろう。それが非常によく描かれている。

序幕に書かれた「私が語る内容には、彼にとって耳の痛い話も含まれているだろう。しかし遺書も遺言も残さなかった彼が、本当は自分の口で伝えたかった「ありがとう」や「ごめんなさい」も含まれているはずだ。私はそう信じている」という文章にグッとくる。

もしかしたら、それが本当の「友情」なのかな、とも思ったり。…うーん、それは著者がいやがるかもしれないな。だから、それが本当の「TVドキュメンタリー制作者の視点」なのかとも思ったり。うん、それだ。きっとそれだね。

しかし… 私のブログを読んでいる人で彼のことを支持している人はおそらく皆無だろうからあえて書くが、やはりこの本を読みいろいろ知った上でも「ほんとにおめでたいやつ」「漫画チックな」「底が浅い」「ぺらっぺらのぺらっぺら」という印象はやはり拭えない。

特に南西壁への展開が、呆れる。あの、私があまり好きではない「神々の山稜」の影響とかがあるのを知り、もう…なんというか、やっぱりね、と呆れる。ある意味、そのくだらなさ、短絡的なところが超わかりやすい。あれは確かにドラマチックな本だと思うけど、私に言わせると漫画すぎるんだよな…。なんか…。

あの本や映画が好きな人いたらごめんなさい。私には、ちょっとダメだった。いや、ああぁいったことを書くのであれば、フィクションじゃなダメなのだ、という偏見もあったかもしれない。

だからこの栗城さんの本の中であの本のタイトルが出てきた時「やっぱりな」と再度しらけてしまった。あの本と映画に対する私の複雑かつ単純な感想はここに書いたので、よかったら読んでみてください。

ただいつもここにも書くことだけど、どんな人からも学ぶべき点はいくつもある。彼にも私が逆立ちをしても叶わないことももちろんある。

そして著者の指摘するとおり私たちには負い目がある。彼は命をかけてそれでも山に登っている。お前はじゃあ何をしているのか?と。その問いかけからは誰も逃げることはできない。

本に登場する北海道の冒険家さんには私もグリーンランドの仕事で札幌大学にお邪魔した時、お会いしたことがあるような記憶がある。

はっきりとは記憶にはないのだが…北海道の冒険家、山岳家のネットワークもそれほど大きくはないから、もしかしたらリアルに交差している可能性はある。

私の感じた日本におけるグリーンランド関係者の印象はこうだ。彼らには「科学者」か「冒険家」の2種類しかおらず、私のような「そこに生活している人の気持ち」「そこの人たちの文化」みたいなことを追求している人文系(?)の人はほとんどいない。(サラリーマンを除く)

みんな自分の身体的能力の確認か、科学研究の追求かのどちらかに傾倒している。そしてそう言う人たちは彼の国への渡航費用があまりに高額なため、常に熱心にスポンサーを探している。

が、結局みんな夢ばかり語り多くの人が実際の行動を実現できていないのが実情だ。何度かグリーンランドのプロモーションをする中で、そのテの集まりに自分でも参加してみたのだが、みんな「自分が〜をやりたい」みたいな話をするばかりで、まったく具体的な発展性がなく私は乗り切れなかった。

ここで実際お金がある人は実行するのだろうが、お金がない人はスポンサー周りを熱心にやるわけでもなく、そもそもそういう場での生命線であるはずのワクワク感すらなく、なんか単に燻っているという印象だった。

わかりにくい、売れそうもない本を自費出版して、それを内輪の集まりであるそういう場で売っている人もいたが、買ったのは私一人だった。

それ以外の人たちはおそらく毎月その売られている本をながめているに違いないのだから。またそもそもメンバーを増やそうという意思がこの集まり自体にもあまり感じられず、失礼ながら「終わってる感」がぬぐえない。

私がプロモーションしているグリーンランドのバンドに興味をしめす人も皆無。ましてやそういうののチケットを買おうなんて人は誰もいない。音楽かぁ、面白いなぁ、では一緒に何か探ってみましょうみたいなことも絶対に起こらず、とにかくあまりポジティブな印象を得られなかったので、わたしは早々に撤退した。

そんな状況だから新参者の私も誰か新しい人を誘ってこの集まりにまたこようなんて絶対に思わない。

栗城さんも「業界」に似たような空気を感じていたのかもしれない。そういう空気の中で、唯一ビジネスセンスがあり、栗城さんだけはスポンサー周りを熱心に行い、その行動は褒められない部分が多いものの確かにすごい金額を集めてきていたわけで、その事実はやはり認めないわけにはいかない。

彼に本当に山に対する愛と誠実さと、たとえ「終わっている」にしても先を行く人たちへの尊敬があれば本当によかったのに、と思うが、残念ながらそれはなかった。

そして栗城さんにとってはそういう「愛ばかりで実行がともなわない」人たちは単なる怠け者に見えていたに違いないのだ。

…とまぁ、いろいろいろいろ考えさせられる素晴らしい本だった。今年はノンフィクションの当たり年だ。この本はベスト3に入るかも…