落合さんのお名前は拝見してたけど、はじめてちゃんと本を読んだ。なんというかすごい哲学だ。落合さんは動画で拝見すると、いつもちょっと横柄な感じのする喋り方なんだけど、社会にこびてないところが若者に受けているのかも。言っていることは、確かに頷けることばかりではある。
自分より年下の言論人たち…例えば津田さん、堀江さん、勝間さんの書いた本や考え方に共感することはあったとはいえ、ここまで年の離れた年下の人は初めてだ。87年生まれ。六本木生まれ。ジャーナリスト落合信彦さんの息子さん。渡辺エンターテインメント所属(笑)
私は自分は相当合理的な人間だと思っている。だからこそ一人でやっていても事業がある程度なりたち、なりたった上で本を読んだり好きなことをしたりする時間もあるのだと、自分なりに分析してきた。合理的な人間じゃなかったら(まぁ「冷たい」とも言うよね)こんなに時間を手にいれることはできない。が、この落合氏の考え方は、さらにそういった私が合理的と思う考え方のその先をいっている。既成の考え方をぶち壊し、さらに進化するすごい考え方だ。あれこれ目うろこであった。
だから、これから10年以上仕事する人は、今すぐこの本を読むべしとは思う。私は… おそらくあと5年、長くても7、8年くらいだろうから、もう自分のスタイルは変えられないし、変えているうちに自分の体力の方が終わるだろうから、もうこのままでいいやと思ってしまうのだけど。でも未来のある人たちは違うわけで… なので10年以上これからも仕事するんだったら年寄りの人でも読んでおいても損はない。
というか、そもそもこの本、すでに随分前に書かれた本で、出たときも話題になってたみたい。すっかり乗り遅れた、年老いた自分(笑)。でも読んでて元気が出る本だった。
いくつか感動ポイントはあるのだが、その中でも心に残ったことを忘れる前にメモっておく。
(1)欧米=ユートピアという考え方は古い。というか、欧米の考え方は本来の日本人には合わないところが多い。たとえば日本の大学。設置理念はヨーロッパ的、でも資金運用などはアメリカ式。法律も刑法はドイツ式。民法はフランス式。憲法は米国式。歴史も違えば考え方も違う国の様式を取り入れてもダメ。いいところ取りしたつもりが、時代の変化についていけず返ってだめなものとなっている。
(2)「公平」にこだわる一方で「平等」にこだわらない日本人に男女平等は理解できない。そもそも「平等」と「公平」は全然意味が違うし、本来まったく関係ないもの。たとえば日本人は公の教育に地域格差があることや教育機会の差などいは無頓着。そのくせセンター試験でカンニングがあると激怒。センター試験さえ、公平に設置され、公平に行われていれば、文句は全くでない。権利が平等であるかなにかについては興味すらない。こうした特徴は民族的に日本人が長く持っているもの。
(3)日本人には決定的にむいていないもの。それが「近代的個人」。個人のもつ本来の意味を理解していないのに西洋人の「個人」を取り入れようとした。それよりも日本人に向いているのは「個人」としての判断ではなく「僕らにとって何がベストか」を判断する方がいい。「僕ら」つまり個人のためではなく個人が属する複数のコミュニティのことを考えればいい。西洋的な依存のない個人という考えかたは我々にむいていない。(うわー 響く)
(4)仕事と生活をわける「ワークライフバランス」よりも日本人には「ワークアズライフ」こちらの方が日本人には自然であり無理がない。これは、実はなんかめっちゃ目鱗だった。これは正しいかもしれない! 昔から仕事のできない人、なるべくサボろうとするおじさんたちにイラついた時、私は「このバカ、学校に来るみたいに仕事してんじゃねーよ」くらい思っていたのだが、今ではこの考え方は間違っていると思う。日本人は学校に来るみたいに会社に通う方がおそらく向いているのだ。真面目にそう生きることについては疑問を持たない。それを完全に取り違えていた。「問題意識や危機意識をもたないやつはダメだ」と思ってきたのだが、そうではないことが最近わかった(ような気がする)。いや、今でもイラつくダメな自分もいるけれど…。落合さんいわく仕事と生活がストレスなく地続きなのが日本人にはぴったりくる、という。なるほど!
(5)日本はそもそも人口が多すぎるから小回りも聞かず希望がない…と思ってきた私だが、そういうことにも言及されている。近代の中央集権的なものではなく、自治を行う最適な人口10万人から100万人くらいで、地方自治をまわすという落合さんの考え方には非常に共感した。というか、実際、これはもしかするとコロナ禍がおさまったあと、大きく前進する可能性がある。
他にも例えばプライバシーの考え方、新しい産業のアイディア。いろいろな価値観など。
日本には八百万の神がいて、一つ一つのことを個別に解決していくのが東洋的な考え方。それを一神教的な一極支配の中央集権で考えるからおかしくなる。明治時代に一度西洋型の統治スタイルにしたけれど、もう一度以前の自立分散型にすべき。平等という概念にとらわれず、もっと自然な形にしていく。(そもそも日本の特色として、権利を与えてくれる誰かがいたということはほとんどない。平等が与えられるという感覚がなじまない。意思決定に今後AIが入ってくることにもおそらく違和感もない)
働かないホワイトカラーが企業の足をひっぱっていることはデータをみれば明白。ではこのおじさんたちを生かすには…ということまで言及されているのがこれまた興味深い(笑)。ベンチャーもベンチャー同士で連む傾向にあるけれど、たとえば新しい会社を作る時、五人のスタッフの中に一人でも守りの人をいれろ、というのを落合さんはよく言うそうだ。(この感覚は私も非常によく理解できる)
そしてこれからはますます機械と同一化していくしかない人はベーシックインカムに飲み込まれていく。リスクをとる、モチベーションがある人だけが充実したワークライフを手に入れることができる。
他にも「日本人に向いているのは百姓的な生き方」百の生業を成すことを目指すべし。落合さんはたとえば堀江貴文さんの言う「多動力」。それを強調している。これ、私もすごく実感していて、私は自分の仕事もあれば他人の仕事をしてギャラをもらうこともある。原稿もかけば、企業のコーディネイトもする。根本をつらぬくのは「自分の好きなアーティストと仕事をする」そこだけだ。私も百姓なのだった!(っていうか、一つの仕事だけしてる皆さん、人生に飽きませんか?)
というわけで、日本にすっかり絶望していた私は、このブログにおいても、ついやる気のない文章を書いてしまうわけだが、ちょっと元気が出てがんばらなくちゃと思う。
実はこの手のビジネス本の新しいところに手をつけるのも、最近自分も新しい事業に着手しようとしているからである。たぶんこの秋くらいに正式にスタートする予定。頭をいろいろ整理して、いろいろ実行にうつしていこう。