あいかわらずマイ・ブーム『シルヴィア・ビーチと失われた世代』を読みました。#日向敏文 #toshifumihinata

 


こんな分厚い本、誰が読むんじゃー みたいな本が2冊。上下巻! あいかわらずシルヴィア・ビーチ・マイ・ブーム。6月の中旬、エストニアに久々の海外出張に行く前日に届いて、仕方がないのでとても重い思いをして海外まで持っていったのだった。

それなのに、飛行機の中はすっかり爆睡で本を読む余裕などなく…現地でも結構バタバタであまり読み進まなかったのも事実。

あぁ、こういう本、絶版で中古市場でも高いし、電子書籍でも出ないし…。

でもこの本、素晴らしかった。著者がすごい詳細に調べて書いているし、それを三人の先生が愛情を持って翻訳されたのがよくわかる。翻訳者による後書きがちょっと泣ける。

日本では昭和62年に出たらしい。おそらく増刷もなく初版のみで、そのままあまり売れずに絶版という感じだったと想像する。でもいいよね、本って。

私が、この本を買ったのも、この前に読んだシルヴィアの自叙伝が、なんか中途半端に終わっていたから。ヘミングウェイがパリにやってきたところで終わっているので、その後の彼女がどうなったかというのを知りたかったというのもある。

それにしても訳が古い。ロスト・ジェネレーションを「失われた世代」と訳すのは定型文とはいえ、ちょっと違うと思うし(「さまよえる世代」とかの方がしっくりこないか?)、

それ以外にも「フィネガンズ・ウェイク」が「フィネガンの徹夜祭」とか訳されていたし。確かにアイルランドのウェイク(お通夜)って、確かに徹夜で飲めやうたえやの宴会をやるわけだけど…

また、その「フィネガン〜」の仮タイトル「ワーク・イン・プログレス」が「進行中の作品」とか訳されているのも、どうも…。そんなわけで、ちょっと読みにくい。

とはいえ、先に読んだシルヴィアの自伝があまりによかったので、こちらも期待して読んだ。確かに内容はすごく面白かった。こちらは言ってみれば、実際のシルヴィアの様子、客観的事実が綴られているわけだ。

でも、同時にそれは読んでいてちょっとつらい部分もあった。

自叙伝と比較して思うのは、彼女が生きていたのは自分の夢の世界だったんだ…ということだ。

これまた私にすごく似ている。私は本当に今、なんの疑問もなく幸せだけど、客観的にそれを眺めたらどうなるんだろうという気持ちにもなった。私は幸せだけど、私の生き方も、他人からみたら可哀想な生き方なのかもしれない。

それにしてもこの本を読むにつけ、ジョイスの彼女に対するひどさは群をぬいている。いやなやつだよなぁー、ジョイス。お金をしょっちゅう借りたり、彼女が献身的なのをいいことに彼女をこきつかったり。

著者によれば「土曜日が近づくとジョイスがシルヴィアにやらせる余計な雑事を必ず考え出す」のだそうで、シルヴィアはパートナーのアドリエンヌが無理やり腕を掴まないかぎりホリディにも出掛けられなかったそうだ。

とにかくジョイスが親切なシルヴィアにたかり、迷惑ばかりかけている様子がわかる。言ってみれば、人気作家をとりまく華やかな世界と、その裏側なのかもしれない。

まぁ、でもシルヴィアも負けてなくて、自分が応援する作家が次々評価される中で、「男にとって無名であることほど精神衛生に悪いことはない」などとも発言している。なかなか辛辣だ。

また保守的なお母さんの元で、苦労したシルヴィアの姿も…。お母さん、晩年は過去のある軽犯罪がきっかけでトラブルになり、プレシャーで神経衰弱になって最終的には服毒自殺を図り亡くなってしまう。

そういう厳しい現実を他の家族のメンバーにすら隠してシルヴィアは彼女は心臓麻痺で亡くなったのだ、とし、著者いうところの「母親にプライバシーを与えて、自殺を選ぶ自由を保障し、彼女の尊厳も守った」という、シルヴィアを評価へとつながるわけだ。

(ちなみにシルヴィアは、猟銃自殺をしたとされているヘミングウェイの死についても同じ主張をしたそうだ)

でも! でもそれらも、すべて明るい彼女がどう考えていたかは、本当に誰にもわからない。この著者、めちゃくちゃよく調べているけど、実際の彼女は、どんなに大変でも、それほど暗い気持ちではなかったんじゃないか。

というか、暗い気持ちではなかった…と思いたい。だって大好きな作家やアーティストを応援する喜びは彼女自身にしかわからないだから。喜びも辛さもすべて彼女だけのものだから!

とはいえ、また戻るが、ここで描かれるシルヴィアの人生は、大変な書店の運営に加え、母親の自殺や、パートナーとの関係(二人は同性愛だったとされている)、偏頭痛などにずっと悩まされており、とにかく大変だったように見える。

最後に「ユリシーズ」の権利を怒りとともに放棄した話しも泣ける。ほんとにジョイスって酷いやつだ。

(その点、この本の著者もジョイスに対しては厳しくで、「フィネガンズ・ウェイク」をジョイスは文学のためではなく、個人的復習のために書いた…となかなか手厳しい評価を与えている)

シルヴィアのパートナーのアドリエンヌもメニエール病などに悩まされたあげく服毒自殺しているらしいのだけど、シルヴィアは気丈にも「彼女がこの世の苦しみから解放されてたと思えるのがせめてもの慰め」としている。

ちなみにシルヴィアは彼女から一緒に死んでほしいと誘われたこともあったようだ。いずれにしても辛いな…

そんなふうに彼女の人生は、客観的にとても辛く、確かに素晴らしい作家たちとの心の交流は大変評価されるべきものだけど、なんというか、めちゃくちゃ楽しいものでも、なんでもない。

でも彼女は最後まで明るさを失うことなく生きた。最後は彼女は一人暮らしのアパートで亡くなっているところが発見されたらしい。(彼女の死因は心臓麻痺とされている。死後、1、2日たっていたらしい)

でもそれでも、彼女が見ていた彼女自身の幸せな人生を否定してほしくはないよな、と私も思うし、この本を書いている著者もそれを強調している。

アドリエンヌを失ってからのシルヴィアには、個人的幸せみたいなものはなかったようだけれど、年齢が高くなってから過去の偉業が評価されたり、シェイクスピア書店が注目をあびたり、講演会に呼ばれたり、称号を受けたりしたそうで、それはそれで、まぁ彼女にとっては、人生のボーナスなのかな、とも思う。

でも彼女の最高の幸せは、苦労もあったに違いない20年代、30年代のあのパリにあった。あの書店にあった。あの書店こそが彼女の宝物だったんだよね。あぁ、なんかやっぱりいいなぁ! 

それにしてもこの著者いいよな。いわゆるガートルード・スタインなどのような人たちのことを「長期間の祖国離脱者の慢性化した不機嫌」、また「海外旅行などしたこともないヨーロッパ人」たちが、よってたかっていわゆる「軽くてアーパなアメリカ」を批判している…と、当時のパリのアメリカ人を厳しくバッサリと切り捨てつつ(笑)

確かにそういう雰囲気はあったのかも。なんか気だるい…というか、自ら気だるがって美食や芸術を楽しむ怠惰な人たち…ということもあったんじゃないか。

シルヴィアはそんな中、書店の経営というリアルをかかえ、本当に大変だった。例えばツケを溜め込んで払わなかった比較的裕福な人たちよりも、シルヴィアは貧しい学生たちの方が好きだった、とも発言しているらしい。

そして「シェイクスピア書店こそ、私の創作物なんだ」と主張するシルヴィア。彼女にとってユリシーズがどうしたこうしたいうようなことは、たまたま降ってわいた人生のちょっとしたボーナスでしかない。それよりも何より彼女にとって大事なのは書店だった。

書店が彼女のリアルで、宝物で、自分が生きる意味だった。

戦争が激しくなり大使館に帰るよう促されても、彼女はパリを離れなかった。書店を捨ててアメリカに帰国することはできなかった。

最後、シルヴィアは46年間すごしたパリで埋葬されるべきだとした友人たちも多かったそうだが、その意向は叶えられず、コネチカットに埋葬されたらしい。

いや〜、いろいろ考えちゃうけど、私はやっぱりシルヴィアのファンだ。私も彼女みたいに生きたいよなぁ。


さてこの本、前にも書いたように作曲家の日向敏文さんの新作に入っている「Sylvia and Company」という曲から興味を持ち読みました。

ここ数日のブログ 1920年代、パリのアメリカ人ネタばかりです。よかったら読んでみてください。


日向さんの新作『Angels in Dystopia Nocturnes and Preludes』は来週発売になります。全世界配信もスタートするよ。