先日、清水靖晃さんの公開インタビューが渋谷Lipoにて行われました。越境のコンサートシリーズBEYONDの大トリを務める清水さん。日本でのライブはなんと4年ぶり!
このトークイベント。田中美登里さんが聞き手。時々プランクトンの社長、川島恵子さんも登場します。
すっごく面白かったので、早速レポートしたいと思います。なおこれは録音もせず私が自分でメモったものをもとにしているので、理解が足りないところや勘違いなどあるかもしれません。文責のざきでお願いいたします。
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清水さんは1954年生まれ。現在68歳。サッカーは授業でやってたというほどの静岡県島田市のお生まれなんですが、なんとサッカーは全然興味ないということでした。(なんか勝手な親近感w)
最近のお仕事はNHKの土曜ドラマのサントラ「空白を満たしなさい」。みどりさんのラジオ番組で紹介されていて、すごく興味があったので、私も見てみたんだけど、すごい音楽が印象に残るドラマでした。
音楽、すぐに清水さんだってわかるよ!(ちなみにこのドラマ、今はNHKオンデマンドで見ることができます)
ライブは、2018年にヨーロッパ・ツアーを10箇所くらいやったそうですが、日本ではずっとやっていなかったそうで、WWWで凱旋公演を2月に企画してたんだけど、パンデミックで中止に。
今でもサブマリン・スタジオと呼ばれるご自宅のスタジオで音楽を作られているそうです。清水さんによれば、そこはすごく狭い(笑)
すべてどの機材にもすぐ手が届くという場所らしく、機材や楽器でいっぱいでぎゅうぎゅうの状態。そして、そこで自分でオーケストラも録っちゃうそうです。すごいね!!
それはまるで「鶴の恩返し」のような作業… 「絶対に見てはいけない部屋」らしい。
…とここまで書いてわかるように、清水さん、音楽のあのイメージと違って、すごい面白い方なんです。なので、インタビューは始終笑いにつつまれました。
54年静岡島田市で生まれたんだけど、そこは本当に田舎で、大井川が町の真ん中を流れている。そして文金高島田に代表される日本髪発祥の地なのだそうです。またそこは電力会社の50hzと、60hzの周波数の境目だった。
だから川向こうの電気製品が昔は購入できなかったそうです。(大井川って大きくて1kmくらい幅があるんだそうです)テープレコーダーなどは本当に回転数が、川向こうの製品だと変わっちゃうんだって。
なので「川の向こうは別世界」という感覚が子供心にしっかり植えられたともおっしゃっていました。
お父様は材木商を糸なわれており、当時は本当に何もない田んぼの一軒家で、500mくらい北に行くと山… 山梨、長野に続く山だったのだそうです。一方で海も近くて、自転車で2、30分。ちなみに現在、そこを Google Earthで確認したら、住宅街になっていたそうです。
とにかく田舎で、田んぼの畦道を歩くとカエルの声がすごく、大群が押し寄せてきてそれをかき分けて歩くモーゼのよう(笑)。そういった音の原体験みたいなものが、あまりに強烈で、自分の体にしみついているのだと思う…とも。
いわゆる田んぼの一軒家。虫の声、蛙の声。特に虫の声に惹かれていった清水少年は、中学になって電子少年となっていきます。
実際そういう世界が好きな子が学校にも多かったんだそうです。「初歩のラジオ」みたいな雑誌もでていて自分も読んでいたそうで、基盤の図をもとに自分でアンプを作ったり(すごい!)…
そして中学の時の夏休みの宿題(自由研究でしょうか?)で、嘘発見機を作った!(これには会場内、大爆笑)要は微量の水分を感じるセンサーなんだそうですが、それにしてもすごいですよね。
一方で海では遠洋漁業が盛んだったんですが、ある日とあるお兄さんが無線を見せてくれた。暗い中に通信機器がいっぱいあって、モールス信号などを実際に見て、清水少年は強い衝撃を受けたそうです。
世界の壁を超えていきたいという欲望がそこで刺激されちゃったのかも、と清水さん。BEYOND精神の誕生か!
でもって清水さんのお父さんはベースを弾いていたそうで、大変な音楽好きだったそうです。またお母さんは小学校の先生で、音楽も教えていたし合唱の指導なんかも熱心にやられていたんだそうです。
家には楽器が本当におもちゃのようにあったそうで、お父さんが参加しているジャズバンド、ハワイアンバンド、シャンソンバンドなどにトラで清水さんも参加するようになります。
最初にサックスを手にするその前にはクラリネットを習得していたので音は簡単に出たそうです。(すごい)
お父さんにはドラムもやらされて、「枯葉やるぞー」とブラシを渡されたり、遊んでてなんでもできるようになっちゃった感じ。
しかしいろんな楽器を弾きながらも、SAXに惹かれたのは、まずその姿。その機能美だったそうですよ。トランジスタの基盤と同じで、下のここを動かすと上のこっちがこうなる…とか。
10代のころは吹奏楽部に入り、とにかくすごく練習したそうで、その後はそうでも(ない)〜と清水さんはごまかしてたけど、清水さんを8年間マネジメントしてた川島恵子さんによると、パリに住んでいる時も、とにかく清水さんは練習ばかりしていて、トイレに行くのもサックスを持っていくし、公園でも吹いてるし、とにかく楽器といつも一体化していたのだそうです(笑)。
例えばみんなでご飯食べると言う時でも、清水さんが消えちゃって5時間くらい練習してるので、みんなディナーの待ちぼうけをくらったとか…!
75年に「Get You」でデビュー。とにかくいろんな音楽をあさりまくって、良い時代だった、と清水さんは思い出されていました。インターネットもないのに、いろんな音楽が自分のところにはあったということで、ラジオでもレコードでも聴きまくっていただそうです。
クラッシックでもジャズでも、音楽の構造とか、なんで音楽ってグッとくるのか…そういうことに惹かれている。それが今でも続いてる、と清水さん。
音楽というより「音」。整った音階もそうだけど、虫の声とか、そっちの方の音。自分がその環境の中に入っている時にぐっとくる波動が、僕の細胞を動かす。和声とかメロディとか習ったけど、そう言うことではない…とも。
日本の伝統的な音楽も好き。ここで美登里さんも、そもそも日本にとって音楽は海外から来たものですものねと美登里さん。つまり西洋音楽の習得ということではない。うーむ。
80年代のマライヤ、そして今年になって出た「キレン」なんかは倉庫にマスタテープが眠っていたもの。
今ごろになって海外で「案山子」や「うたかたの日々」などをDJの人たちがかけ始めたのが面白い。インターネットの発達がすごい。今まで聴いてくれてなかった人にも浸透していく。
「案山子」「うたかたの日々」のレコーディングは、全部アナログで行ったそうです。
コンピューターがなかったので、実験するにもテープを編集するにもちぎったり、削ったり、膨大な時間をかけて作った。
「キレン」は亡くなった生田朗さんとスタジオに入ってから作り始めるという形をとった。(生田さん、先日ピーターさんの番組でも話題に出ていた方ですね。こちらがwiki)
続きは、たぶん明日! まだまだ楽しいネタ満載なので、このペースだとおそらくあと二回くらいになりそうです。
コンサートは12/12(月)クラブ・クアトロにてまず滞空時間さんが登場して、その後清水さんと國本怜さんの登場となるそうです!! 楽しみですね。
…とか書いてたら、さきほどインタビュー動画もアップされました。こちらへどうぞー。
■この公開インタビューまとめは、三回に分けて掲載しております。
Vol.1はお生まれになった静岡の話から、80年代のアルバムの話。→ いまここ!
https://themusicplant.blogspot.com/2022/12/vol1.html
Vol.2は「東京ムラムラ」「アーバンサックス」の話。
https://themusicplant.blogspot.com/2022/12/vol2.html
Vol.3は、人間の身体もチューブ。サックスはその延長になる!?な話。