高橋ユキ『つけびの村 山口連続殺人放火事件を追う』を読みました。すごいノンフィクション!! 


普段の私の読書傾向をご存知の方にはもうバレているだろうが、この手のノン・フィクションが私は大好物なのだ。今回もどっかでレビューを見て、ワクワクしながら読んだ。 

読み進めて、あっという間に引き込まれて、あっという間に読み終わっちゃった。いっやーーー、すごい本だった。この著者もすごい。

そして何度も挫折を繰り返しながらも、この本を書き上げた、その著者の苦労の様子までも文章に入っている。事件のノンフィクションであると同時に、著者の熱血取材のドキュメンタリーでもある。

とにかくびっくりするのは、まずマスコミやYou Tubeのいい加減な動画で報道されている内容とはまるで違う展開。 そして震え上がったのはいわゆる「閉鎖された社会の恐怖」だ。もっと言ってしまえば「田舎の恐怖」。

私もその片鱗を知らないでもない。うちの田舎なんてたいしたことないが、今でもあの場所に住んでいたらと思うと背筋が寒くなる。あの、なんというか空気が絶対に動かない恐怖。人が圧倒的に少なく友達を選べない恐怖、友達がいたとして距離感を選べない恐怖。あれは知っているものじゃないとわからない。 

これは余談なんだけど、読み進めていったら知ってる編集者さん(晶文社)の名前が出てきてビックリ! いやーー すごいなぁ。あっ、そうか小学館から出てる文庫本で買っちゃったから気づかなかったのか(笑)

でもその編集者さん、すごい。そもそも著者が本にするのを半ば諦めネットにアップし、話題になりはじめたタイミングで、誰よりも早く著者にアプローチしこの本の発売が決まったらしい。

そしてその後は「チームつけび」の一員として、著者と伴走する様子もなかなか感動だった。

特に最後の方では裁判傍聴権を求めて著者の代わりに列に並んだりと大活躍(笑)。Eさん、ごめんなさい。これ小学館文庫で買っちゃったんだよね。知っていれば御社のヴァージョンで買ったのですが… 

それにしてもほんとメディア報道からの印象じゃ、まったく物事の真髄に迫れないんだなぁと改めて思った。 

そして最後は「うーーん、そういうことかぁ」という大きく巨大な動かせないオチらしきものもある。もしかするとこの本はもっと短くコンパクトにする方法もあったかもと思わないでもない。でもとにかくダイナミックな本で、読んでいてまったく飽きなかった。

それにしても何度も繰り返すが、言いたいのは、やっぱり「閉鎖された社会は怖い」ということだ。これに尽きる。加えて、みんな暇で、やる娯楽もないから、自分は何にもやらないくせに人のやることには「いちゃもん」をつける。「いちゃもん」が娯楽なのだ。

でもそれって、都会に住みながらもインターネット空間に大きく依存している私たちも似たようなもんかもとも思った。ネット上で展開されている、自分が見ているタイムラインも、もしかしたら閉鎖されているのか。開かれた世界に身を置いているように感じていたとしても、それはすべて幻想なのかも。

さらに。私や私と集っている仲間と私が思っている人たちも外から見たら「あの連中は…まったく!」「あの変な音楽聞いてるやつらは…」「ワールドミュージック村は、リベラルを気取りやがって」というふうに思われている可能性だってある。本当に怖い。

こういう「よどみ」みたいな中にハマらないように。常に気をつけながら、社会という大海原を泳いで行くしかないのだが、私はちゃんと泳げているのだろうか。とてつもない恐怖を感じる。

それにしても最近なぜか「関連性」「関係性」「relevant」という言葉によく遭遇するんだよなぁ。

朝日新聞のポッドキャストで話していた高木先生が個人情報取り扱いの基本を「Adequate Relevant Necessary」と説明されていた。(それが日本の個人情報保護法では全然できとらんと)

 そして映画「The Commitments」でJoey The Lipsが言ってた「The success of the band was irrelevant」ってフレーズも思い出す。

いやー 英語って面白いよね。日本語だと「関連性」ってことになるんだろうけど、ちょっと違う使い方をする単語だと思う。もっと的確な訳がありそうだよなぁ…。

とにかく、すべてはrelevant。関連性のたまものなんだなぁと思った。いろんなことを、それぞれの関連性の中でとらえないと、だいじなポイントを見つけられない。

そして… この本でも本当にいやな気持ちになるのが、やっぱり「死刑」という結末だ。こんなに妄想に取り憑かれた男性を死刑にして、いったいどうするんだろうか。

こんな事件を起こした凶悪犯であるならば、ちゃんと病気の症状を少しでも改善し、自分のやったことを直視させ、ある程度でいいから自分のやったことを受け止め、反省し、悔やみ、苦しみ、後悔しながら死んでいってほしいものだと思うのだけど。(残酷なこと言うよなぁ、私も)

ところで同事件では、こんな番組も最近放送されたみたい。この番組を見ても、事件は、また全然違う印象を受ける。でもここでも同じ。当時直接村の人間に取材したメディアはどこもなかった、と。それで勝手なこと書いてたメディアって、いったいなに?と思う。

いや、違うな。メディアはそういうもんなのだ。これはおそらく一生治らない。そう常に思ってないとダメだということだな。