ルナサ・ストーリー2

最初に彼らに出会ったのは、光田泰典さんのレコーディングでダブリンを訪れたときのこと。おそらく1998年の1月。ハーコートホテル(当時はライブをたくさんやっていた)の1Fに、その前年にドーナル・ラニーのバンドで来日していたジョン・マクシェリーが、出ているというので、興味本位で訪ねていった時。当時はバンド名もルナサとしておらず、Sean Smyth Trio featuring John McSherry and Michael McGoldrick。とはいえマイクはこの日予定していたフライトだか電車だかを逃し、4人での演奏だった。

私は時差ぼけでもうろうとしていたので、あまりこの日の事は覚えていない。それどころか疲れて途中で帰った記憶もあり。でもさすがみっちゃんは一人で最後まで聴いていたと思う。

だからルナサの当時のマネージャーのベッキーから資料が送られてきたとき「あぁ、このバンドだったらハーコートで観たよ」と返事をすぐにいれたのだった。当時はまだファックスだったのだけど。

ベッキーとはどこで出会ったかというと、クライブ・グレッグソンのマネージャーのジョン・マーティンが紹介してくれたのだ。当時私の英国エリアでの信頼できるコンタクトというとジョンくらいしかおらず、とある代理店からデパートの営業みたいなクソ仕事を受けて(それでも当時は伝統音楽の人を呼べるのなら、とてもありがたかった)そのデパートの英国フェアで演奏できるバンドを探すことになったのだ。そのブッキングをジョンにふったら、ジョンが「彼女の方が適任だし、実は交通事故で死にかけたところを復活してきたから、お祝いに何か仕事をふってあげたいんだ」という事で紹介してくれたのがベッキーだった。そのデパートのクソ営業仕事は実は流れてしまったのだけど、代理店的自体は、ちゃんとしたところだったので、キャンセル料が出た。(実はこういうの、なかなかないんですよ!)なのでそのキャンセル料を払ってあげるとベッキーはえらく感激し、私の事を信頼してくれたようだ。

と、まぁ、ベッキーとの具体的な仕事などルナサの前はその程度でしかなかった。でもデパートの営業みたいなクソ仕事でもちゃんとマメに連絡をくれるベッキーのことが大好きになった。そんなこんなで連絡をとり合っていたところに、彼女から紹介されたのがルナサだったのである。

「あ、このバンドなら観たよ」と返事をしたものの、まぁ、私に何ができるとは思っていなかった。当時の私のアイルランドでの取引先はメアリーの事務所だけだったし、たとえばウチのレコード番号RUCD001からRUCD008まではすべてメアリーのレコード会社のリリースなのだ。RUCD009のルナサのファーストは、私の始めてのメアリーの事務所以外からのリリースとなるわけなのだが、ここにいたるまでにも、まぁ、長い長いストーリーが存在する。

(3に続く)