ルナサ・ストーリー4

ルナサのファーストはおかげさまで、大ヒットという訳ではないが、それなりに売れていた。が、私はそれでもあまりバンドの将来を真剣に考えていた訳ではなかった。もちろん当時から、そりゃもう大好きではあったけれど。あいかわらずベッキーは熱心で来日させたいとしきりに言っていたけど、まだ先輩のダーヴィッシュだってシャロンだって単独で来ていない時代である。

そうこうしているうちに地味ながらもウチで出している輸入盤が売れているという評価が当時付き合いがあったメルダックの担当者の目にとまり、ルナサのCDをラインセンス契約して出したいと言うことになった。それで私は自分でインディーで配給するよりもメジャーな道を歩んだ方がバンドにとってもよかろうと、いったんメルダックに移籍(ってほどのことでもないんだけど)させたんだよね。

メルダックの担当がアイルランドまで行くというので、私も行った。もちろん自腹で。バンドへの印税前渡金もたいしたことなかったように記憶している。私は自分がダブリンに出張するくらいじゃわざわざバンド全員を呼び出したりしないのだけど、メルダックの担当が行くというので、ベッキーにお願いしてみんなに招集をかけてもらった。そしてそこで始めてバンドとちゃんと会うことになった。始めて会ったときからショーンは可愛かった。こういう赤毛のいわゆるアイリッシュって感じの子と仕事をするのは始めてだ。ケヴィンは爆発炸裂していて、お腹がよじれるほど笑わせてくれた。ドナとトレヴァーは実はその前にシャロンをダブリンの空港で見送ったときにちらっと会ったことがあったから初めましてじゃなかったのだけどね。今でも覚えているBloomsのバーで、狭いベンチソファにギッチギチに座った4人と面談って感じで向かいあった。まだ私はバンドの内部事情がそれほど飲み込めてなかったから「ジョンはどうしたの?」などと無神経な質問をしてしまったのを今でも後悔している。でも、彼らは当時から最高に騒がしくって(笑)まるで中学生の男の子みたいな集団で、とってもとっても楽しかった。

ベッキーにメルダックの担当者を紹介し、私はそれで役目を終えたと感じていた。ベッキーが「ヨーコにも何か仕事をまわしてあげて」と言ってくれたのだが、たかだかここでプロデューサー印税もらったところで、発売前後2、3ケ月拘束された上に、せーぜーギャラは合計2万円くらいだろ(笑)。そんなんじゃ、関わるだけ時間の無駄だ。なので私はベッキーに「息子の結婚式にたちあう母親みたいな気持ちでいるよ」と言ったら,その説明はわかりやすかったのか、ベッキーも納得してくれたようだ。「私も生活しないといけないから小さい仕事にかかわっている時間がない。申し訳ないけど、ここはすべて身を引いた方がいいと思う。何かあったら、もちろん精一杯助けるから」

そういえば同じ感じで手放したアーティストにブー・ヒュワディーンもいた。二つとも手放したのに、なぜかまた2つとも戻ってきた。きっとそれだけ縁があったんだろうね。

ミーティングからの帰りのタクシーで「はぁ〜終わった。これで終わった。お願いだからHさん、このバンドの途中報告はしないでくださいね。私はすべて手を離しましたから」とメルダックの担当者に言ったのを覚えている。自分なりに頑張ってきたバンドだったので、身を切られるような思いではあったけど、現実は厳しい。これ以上このバンドに私がかかわったところで、バンドにもメリットはないし、私にもメリットはない。

そして無事メルダックでルナサのファーストは発売となった。(が、途中アイルランド側に連絡が取れないだ、なんだでノーギャラの私の手を結構わずらわせてくれたのだった。メルダックの担当者には連絡をくれるなと言ったのに、何かとこっちに連絡が来るし。私も好きなバンドだからついつい断れず,くだらない事でも手伝ってしまう。いつも思うのだが、やっぱり外国人と仕事をするのはコツがいる。そして誰でもそのコツを掴めているわけではないのだ。それは今でも感じる。英語が話せるだけじゃダメなんだよね)

今、思い返してみると,一度メジャーに出したことはそのあとのルナサにとって非常に良かったことだと思っている。もちろんたいして売れず、バンドに渡った契約金はビビたるもんで、契約自体も結局は続かず、たいしたプロモーションもされず、何よりも出戻ってきてしまったし、なんってことなく終わった瞬間メジャー移籍だったけど。でも、それでも私は意味があったと確信している。このことはまた別の機会に詳しく書こうと思うのだけど。

ファーストはそれなりにソコソコ売れた。私が売った輸入盤も合計すると、トータルでかなりの数売れたんじゃないのか。ところがここでバンドを一生懸命まとめていたベッキーが、一時仕事を止めるという事態になる。

(5に続く)