JPP:伝統ってこういうもんか、と再び思う



このスウイングする感じ。良いでしょ? これがJPPの特徴なんですよ。アルト巨匠はそういやスタッフ・スミスの大ファンだと言っていた。ハーモニウムがブカブカ言ってて気持ちいいでしょ? うーん、さすが。そして単に楽しいだけじゃないのが、後半の部分。2分くらいから。急にマイナーコードに入っていく。ここが最高に気持ちいい。ちなみに前半はアルトの曲、後半がティッモの曲だ。すごいよね。このインテリ度は、どうだ! 本当に素晴らしい。このセットの完成度は本当にすさまじい。そしてあっという間に4分弱で終わってしまう。そこがまた良い。こういうインテリ系の曲を作る人は得てして大作になりすぎたり、しつこくなったりするもんだけど、この最高の凝縮された4分間は、どうだ! あ〜、まったくもって、ほかにこんなバンドいやしないよ! ま、でも地味なのは分りますよ。こんなの聞いて騒いでいるのは私だけでしょう。

それにしても巨匠が楽しそうなんだよね。私はNORDIK TREEか、JPPかと言われたら、いまでもNORDIK TREEを選ぶと思う。でも弾いている巨匠をみていると、あきらかにJPPの方が楽しそうにしているようにみえる。だから私は先のツアーがすべて終わったとき、巨匠に長いメールを書いた。あなたがやりたいのはどっちなんだ、と。そして書いた。「あなたの答えが“JPP”だったら、私は死んでもまたJPPのツアーを実現させるわよ」と。

ものすごく書くのに勇気がいるメールだったのに(笑)、巨匠の返事は「おまえがやりたいのをやればいいじゃないか、俺はどっちでもいいよ」だった。なんだかガックシ。アーティストって、本当はもっと自分の気持ちがはっきりしているもんだよね。いや巨匠だってきっと心の中では決まっているはずなのだ。だけど言わないんだよね、きっとね。なにせペリマンニだもん。ペリマンニは思っていることを簡単に口にしちゃいけないのかもしれない。つーか、「お前バカか。俺の演奏をみてりゃ分るだろ」とでも、言いたかったのか。

いや……でもふと考えた。フィンランドみたいに福祉が充実している国に育っていると「俺が、俺が」みたいな気持ちが育ちにくいのかもしれない、と。なんでも与えられた場所を楽しむことで毎日がすぎて行くのかもしれない、と。育った環境が違うから分らないよ。分らないよ、巨匠!

それにしても。野心家ってのとも違うけど、例えばラウーなんか、ホントに自分たちのキャリアをどう作って行くか、これからもまた日本に戻ってこれるかということについて、とってもとっても熱心だと思う。みんなで打ち上げとかでガヤガヤしゃべっていても、私が隅にいる誰かにちらっと仕事の話をしようものなら、全員がこっちにいっきに集中する、そんな感じだ。そんな真面目で必死についてくる感じが、本当に一緒に仕事をしていて気持ちがよいし、なんといっても、とっても励まされるのだ。こういう感じは、少なくともどんなバンドにもある。ルナサだって、いっつも次の予定はいつだ、といつもプレッシャーをかけてくる。

そういうキャリアに執着する感じがアルトやティッモにはいっさいないんだよね。だから二人のバイオグラフィーとか作っていても非常に難しいわけ。普通のアーティストは共演経験とかそういうのを並べれば良いわけなのだけど、二人がフィンランド伝統音楽の現役最重要人物であるにもかかわらず、派手な共演を意図的に作ってこなかったため、非常に彼らのことを第3者に説明しずらいのだ。これはもうマネジメントの問題でもあるのだけど。でも、その浮き世ばなれした感じというか、そういう感じが物足りないと思いつつも、今は……妙に心地よいのであった。なんかいろんなそういう戦略みたいなものが、面倒にも思えてきた。もうそれはずっと続いているもんなんだから、いいんじゃないか、という事なのかもしれない。これまた伝統力の強み? 今よりもっとハードな時代があったはずだ。でもずっと生き延びてきたヤルヴェラ村のトラディション?

とはいえ、実は意外に巨匠が執着しているのは、実はキッモとのピンニン・ポヤットだと思う。なんか聞きもしないのに、話のはしばしに出てくる。キッモは本当に大の仲良しなんだって。でもキッモはキッモで今はこんなプロジェクトやっているから、ピンニン・ポヤットをやる時間などまったくなし。でも言葉のはしばしにキッモのことが出てくるから、そうかぁ……とも思う。