本日は午前中から打ち合わせ。ここのとこ東電の会見が、しかも夜中に衝撃的な新事実が発表されることが多いので目が離せず。すっかり時差ぼけならぬ会見ぼけなので朝からの打ち合わせはちょっと辛いが、仕事は山積。このままだと数ヶ月後にはおマンマ食い上げだわ〜。まずい〜。
というわけで打ち合わせ三昧の1日だったけど、あいた時間で映画みてきました。カズオ・イシグロの最高傑作「わたしを離さないで」Never Let Me Goの映画化。
ちなみにネタバレもあるので、まだ見てない人はこのブログを読まない方がいいかもしれません。結論からいえば、うーん、まずまずだけど、やはりがっかりしたと言うところかな。とにかく原作が私にとっては良すぎたんでしょうね。原作は本当にパワフルな小説だから、映画は辛かったというのが私の個人的感想。原作が一番伝えたい……というか、私がそう勝手に思い一番感動した部分が映画ではあまり表現できていないように思えたわけですよ。うーん。
まず最初からSFチックな空気で始まるのが、気に入らない。この映画は絶対にSF映画ではない。とはいえ、一方の主人公達の気持ちの揺れは、よく描かれていたとは思う。寄宿学校時代も非常によく描かれていてイメージ通りであったし、俳優陣もまずまず。でもやっぱり私がこのストーリーの一番のキモだと思っていた部分がまるで書けていないと思う。
原作が言いたかったことは「人間はどのような状況でも、それを受け止めて生きていく」という、そういう事だったと思うんだよね。というか、カズオ・イシグロもそれを自分で言っていたはずだ。それは人間の「力強さ」? いや「力強さ」ではない。それを何て呼ぶのだろう。「柔軟性」とももちろん違う。でも人間はとにかく受け止めるのだ、と。
そのヘンのところは、ぜひこのカズオ・イシグロの、この本を出したときのインタビューを読んでもらえると良いと思う。「私が昔から興味をそそられるのは、人間が自分たちに与えられた運命をどれほど受け入れてしまうか、ということです」「自分の運命を受け入れ、その運命から尊厳を育てていこうとする」……そう! そこがこのストーリーの大事なところだったんじゃないの???
ちなみに今回のこの映画の監督のインタビュー記事が、映画館の出口近くの壁に貼ってあったので読んでみたのだけど、面白い事を言ってたよ。アメリカで取材されると「なぜ彼女は自らの人権を求めて戦わないのか」となってしまうそうなのだ。うん、違うんだな。違うんだよ。その部分はもしかすると日本人と英国人とフィンランド人くらいにしか分からないかもしれない。
それから映画の制作陣にカズオ・イシグロはExecutive Producerとして名前を連ねている。つまりは出資もしているということだ。本人が来日してプロモーション活動もきっちりしていたらしい。つまり映画がヒットしないと彼も困るのであろうな、
それにしても……そうなんですよ! そこがこのストーリーの一番大事なところだったのに。映画ではキレる男の子のシーンにやたら大げさな音楽が流れ「彼らはなんて可哀想なんでしょう」という部分が強調される。あの部分で他の観客号泣、私はドッチラケであった。何か重要な部分が違う!! 原作本ではそのシーンすら女の子側の語りで綴られているから、もっとうんと押さえられていた。そして押さえられていたゆえの美しさがあった。美化しすぎ? でも私は本当に原作本に感動したのだってばさ。二人が校長先生に会ったあとドライブしていく道中で、なんとなく会話も少なげに、そしてなるべくその事を直球で語らず、そういう押さえられたシーンが……そういうシーンが大事だったのに! あの部分の時間があまりに短かすぎた。
そして……短いと言えば、特に二人がマダムを経由し校長先生と再会するシーン。あのときのマダムと校長先生との会話は原作本では恐ろしく長かったと記憶している(原作は彼女の…クローンにも人権を認めようじゃないか、いやそれは違う…という葛藤が非常によく表されていた)。おそらく脚本だけではなく原作も研究してあるだろう女優さんの押さえた演技に、私はその心情を読みとることができた。が、それはシーンとしてあまりに短かかった。セリフも少なすぎた。あのシーンはもっとも重要なシーンだしセリフの一つ一つは本当にもっともっと重要だったはずだ。
反対に女の子が自分のオリジナルをもとめてポルノ雑誌をみたりする部分などは削ってしまっても良いと思うんだよね。それは自分のオリジナルを探すという重要な部分でもあるけど……ちょっとSFチックでもある。そういうのは必要なかった。
原作知らなかったら、映画としてはまずまずの良いものなのかもしれない。じゃあというわけで映画単体としてどうかと客観的に考えれば、数日前に見た「英国王のスピーチ」の方が圧倒的に良かったし、脚本のテンポ、俳優陣の魅力も抜群であった。あっちの映画の方が映画としても一流だわ。ま、当然だけど。
いずれにせよ以前の「朗読者」→「愛を読む人」ほどの落差ではないが、やはり愛しすぎた原作が映画化されたときは、期待してはいけないというのが鉄則(特に私にとっては)と思ったのであった。原作愛おし、映画憎し……というのが今の感想だろうか。そういや「日の名残り」も実は受け止められるようになるまで時間がかかった。あれも原作本が本当に素晴らしい。そして、やはり私の原作本での一番好きなシーンが映画ではまったく削除されていた。ただあれは俳優陣が圧倒的だったので(アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソン)、それだけで合格点に達していたのだけど。
さて、そんな映画を見終わってTwitterをチェックしていたら、こんなニュースが飛び込んで来た。
【菅直人首相は29日午前の参院予算委員会で、福島原発事故を受けたエネルギー政策の見直しについて、「今回のことを教訓に、太陽、バイオなどクリーンエネルギーを世界の先頭に立って開発し、新たな日本の大きな柱にしていく」と述べ、再生可能な新エネルギーの活用を積極的に進める考えを強調した】Yahoo news経由時事通信発。
私は管さんを応援する。いろいろ言う人は言ったらいい。どうせまた口だけだよとか、原子力なしで国内の電力をまかなえるのかよ、具体的にはどうなんだよ、と。でも私はこの言葉を待っていた。今はこの言葉だけでいいと思う。夢みたいなこと言ってんじゃないよと言われるのであれば………何千回でも答えよう 「その通りだ」と(笑)。
これから当分続くであろう原子炉との戦争を戦いぬくにあたって、その先に原発のない世界がイメージできるか、できないかでは、気持ちの持ちようが全く違う。私は今日これだけでかなり幸せな気持ちになれた。皆さんにとっても、この長丁場で、少しホッと息をつけるような事がありますように。
というわけで打ち合わせ三昧の1日だったけど、あいた時間で映画みてきました。カズオ・イシグロの最高傑作「わたしを離さないで」Never Let Me Goの映画化。
ちなみにネタバレもあるので、まだ見てない人はこのブログを読まない方がいいかもしれません。結論からいえば、うーん、まずまずだけど、やはりがっかりしたと言うところかな。とにかく原作が私にとっては良すぎたんでしょうね。原作は本当にパワフルな小説だから、映画は辛かったというのが私の個人的感想。原作が一番伝えたい……というか、私がそう勝手に思い一番感動した部分が映画ではあまり表現できていないように思えたわけですよ。うーん。
まず最初からSFチックな空気で始まるのが、気に入らない。この映画は絶対にSF映画ではない。とはいえ、一方の主人公達の気持ちの揺れは、よく描かれていたとは思う。寄宿学校時代も非常によく描かれていてイメージ通りであったし、俳優陣もまずまず。でもやっぱり私がこのストーリーの一番のキモだと思っていた部分がまるで書けていないと思う。
原作が言いたかったことは「人間はどのような状況でも、それを受け止めて生きていく」という、そういう事だったと思うんだよね。というか、カズオ・イシグロもそれを自分で言っていたはずだ。それは人間の「力強さ」? いや「力強さ」ではない。それを何て呼ぶのだろう。「柔軟性」とももちろん違う。でも人間はとにかく受け止めるのだ、と。
そのヘンのところは、ぜひこのカズオ・イシグロの、この本を出したときのインタビューを読んでもらえると良いと思う。「私が昔から興味をそそられるのは、人間が自分たちに与えられた運命をどれほど受け入れてしまうか、ということです」「自分の運命を受け入れ、その運命から尊厳を育てていこうとする」……そう! そこがこのストーリーの大事なところだったんじゃないの???
ちなみに今回のこの映画の監督のインタビュー記事が、映画館の出口近くの壁に貼ってあったので読んでみたのだけど、面白い事を言ってたよ。アメリカで取材されると「なぜ彼女は自らの人権を求めて戦わないのか」となってしまうそうなのだ。うん、違うんだな。違うんだよ。その部分はもしかすると日本人と英国人とフィンランド人くらいにしか分からないかもしれない。
それから映画の制作陣にカズオ・イシグロはExecutive Producerとして名前を連ねている。つまりは出資もしているということだ。本人が来日してプロモーション活動もきっちりしていたらしい。つまり映画がヒットしないと彼も困るのであろうな、
それにしても……そうなんですよ! そこがこのストーリーの一番大事なところだったのに。映画ではキレる男の子のシーンにやたら大げさな音楽が流れ「彼らはなんて可哀想なんでしょう」という部分が強調される。あの部分で他の観客号泣、私はドッチラケであった。何か重要な部分が違う!! 原作本ではそのシーンすら女の子側の語りで綴られているから、もっとうんと押さえられていた。そして押さえられていたゆえの美しさがあった。美化しすぎ? でも私は本当に原作本に感動したのだってばさ。二人が校長先生に会ったあとドライブしていく道中で、なんとなく会話も少なげに、そしてなるべくその事を直球で語らず、そういう押さえられたシーンが……そういうシーンが大事だったのに! あの部分の時間があまりに短かすぎた。
そして……短いと言えば、特に二人がマダムを経由し校長先生と再会するシーン。あのときのマダムと校長先生との会話は原作本では恐ろしく長かったと記憶している(原作は彼女の…クローンにも人権を認めようじゃないか、いやそれは違う…という葛藤が非常によく表されていた)。おそらく脚本だけではなく原作も研究してあるだろう女優さんの押さえた演技に、私はその心情を読みとることができた。が、それはシーンとしてあまりに短かかった。セリフも少なすぎた。あのシーンはもっとも重要なシーンだしセリフの一つ一つは本当にもっともっと重要だったはずだ。
反対に女の子が自分のオリジナルをもとめてポルノ雑誌をみたりする部分などは削ってしまっても良いと思うんだよね。それは自分のオリジナルを探すという重要な部分でもあるけど……ちょっとSFチックでもある。そういうのは必要なかった。
原作知らなかったら、映画としてはまずまずの良いものなのかもしれない。じゃあというわけで映画単体としてどうかと客観的に考えれば、数日前に見た「英国王のスピーチ」の方が圧倒的に良かったし、脚本のテンポ、俳優陣の魅力も抜群であった。あっちの映画の方が映画としても一流だわ。ま、当然だけど。
いずれにせよ以前の「朗読者」→「愛を読む人」ほどの落差ではないが、やはり愛しすぎた原作が映画化されたときは、期待してはいけないというのが鉄則(特に私にとっては)と思ったのであった。原作愛おし、映画憎し……というのが今の感想だろうか。そういや「日の名残り」も実は受け止められるようになるまで時間がかかった。あれも原作本が本当に素晴らしい。そして、やはり私の原作本での一番好きなシーンが映画ではまったく削除されていた。ただあれは俳優陣が圧倒的だったので(アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソン)、それだけで合格点に達していたのだけど。
さて、そんな映画を見終わってTwitterをチェックしていたら、こんなニュースが飛び込んで来た。
【菅直人首相は29日午前の参院予算委員会で、福島原発事故を受けたエネルギー政策の見直しについて、「今回のことを教訓に、太陽、バイオなどクリーンエネルギーを世界の先頭に立って開発し、新たな日本の大きな柱にしていく」と述べ、再生可能な新エネルギーの活用を積極的に進める考えを強調した】Yahoo news経由時事通信発。
私は管さんを応援する。いろいろ言う人は言ったらいい。どうせまた口だけだよとか、原子力なしで国内の電力をまかなえるのかよ、具体的にはどうなんだよ、と。でも私はこの言葉を待っていた。今はこの言葉だけでいいと思う。夢みたいなこと言ってんじゃないよと言われるのであれば………何千回でも答えよう 「その通りだ」と(笑)。
これから当分続くであろう原子炉との戦争を戦いぬくにあたって、その先に原発のない世界がイメージできるか、できないかでは、気持ちの持ちようが全く違う。私は今日これだけでかなり幸せな気持ちになれた。皆さんにとっても、この長丁場で、少しホッと息をつけるような事がありますように。