コンビニに久しぶりに買い物にいって文春を買った。文春、好きだ。基本的にはリベラルで心優しい私だが(笑)、週刊誌を読むなら文春だと思っている。いろいろ言いたいことはあるが、文春はこのくらい元気なのがいい。
当然のことながら東電はそれこそケチョンケチョンにやられているわけだけど、そこに載っていた現在原子炉建屋への注水に貢献しているのが、実は民間の高圧ポンプ車だという話題に注目。岐阜の丸河商事さん。こちらの社長さんは自衛隊のバケツ作戦をTVでみて「これはいかん」と思って自ら業界内で連絡を取り合い国土交通省に連絡を取ったのだそうだ。そして同じ業界、三重の中央建設さんも2台提供したのだそう。そして文春の記事によれば最初、国土交通省は、こちら社長さんたちをちゃんとした窓口にも繋がなかった上に「車が大きくて邪魔になる」と断ってきたとのこと。そしてその後、何日もたって東電から「責任を持つのでお願いします」と連絡があったのだそう。ま、この辺の流れは文春なので話半分に聞いていた方がいいと思うのだけど、消防ハイパーレスキー隊も同じような事言ってたから、まぁ、ありそうな話だよね。記事によれば車両は生コン用なのだそうだが、水の方が簡単に放水できるし遠隔操作も得意なのだそうだ。心強い! 働く車かっこいい!!
まさか国家の大危機にそれはないだろと思っていたけど、なんで国をあげて政界、財界、国内の知識、経験を集結し、みんなが協力出来る体制になっていないのだろうかという疑いがわきあがる。実際はどうなんだろう。そんな事を裏づけるように、今日はこんな動画ニュースも流れている。
それにしても毎日情報の渦だ。聞いた話ですが、情報が好きな人はもう情報によってでしか安心できないのだそうですよ。ネットサーフィンは疲れるが、でも政府や東電が認める前にいろいろ自分が知っておくと、それほどパニックにならずに済むから、私はこの方法が向いているのかもと思う。あってはならない事故が起きている原発。友達の中には「頭が一杯になるからなるべくネットは見ないようにしている」って人もいる。まぁ、もっとも一市民の私がいろいろ知っていたところで何ができるわけでもないけど、少なくとも私はこっちの方が好きみたいだ。インターネットって調べようとすると資料はいくらでも出てくるし、どんな分野でもそうだと思うけど、調べれば調べるほど分からなくなる。いったい何を信じたら良いのかというのが現状なのだ。仕方がないから、なるべく信頼できるソースを集め、そこから自分なりの結論を導きだす。そういうのは嫌いではない。
でも、こんなに時間も取られるし、頭の中もすでにいっぱいいっぱい。そう思うと普段何気なく持っている、情報への信頼のコストたるや大変なものだったのだな、と気づく。でも今は思う。無知でいること=責任逃れだったのかもしれない。そしてなんといっても「電気の独占を許し、それについて何も疑問を持たずに来てしまった我々の責任」という事実が非常に重くのしかかる。
当然のことながら東電はそれこそケチョンケチョンにやられているわけだけど、そこに載っていた現在原子炉建屋への注水に貢献しているのが、実は民間の高圧ポンプ車だという話題に注目。岐阜の丸河商事さん。こちらの社長さんは自衛隊のバケツ作戦をTVでみて「これはいかん」と思って自ら業界内で連絡を取り合い国土交通省に連絡を取ったのだそうだ。そして同じ業界、三重の中央建設さんも2台提供したのだそう。そして文春の記事によれば最初、国土交通省は、こちら社長さんたちをちゃんとした窓口にも繋がなかった上に「車が大きくて邪魔になる」と断ってきたとのこと。そしてその後、何日もたって東電から「責任を持つのでお願いします」と連絡があったのだそう。ま、この辺の流れは文春なので話半分に聞いていた方がいいと思うのだけど、消防ハイパーレスキー隊も同じような事言ってたから、まぁ、ありそうな話だよね。記事によれば車両は生コン用なのだそうだが、水の方が簡単に放水できるし遠隔操作も得意なのだそうだ。心強い! 働く車かっこいい!!
まさか国家の大危機にそれはないだろと思っていたけど、なんで国をあげて政界、財界、国内の知識、経験を集結し、みんなが協力出来る体制になっていないのだろうかという疑いがわきあがる。実際はどうなんだろう。そんな事を裏づけるように、今日はこんな動画ニュースも流れている。
それにしても毎日情報の渦だ。聞いた話ですが、情報が好きな人はもう情報によってでしか安心できないのだそうですよ。ネットサーフィンは疲れるが、でも政府や東電が認める前にいろいろ自分が知っておくと、それほどパニックにならずに済むから、私はこの方法が向いているのかもと思う。あってはならない事故が起きている原発。友達の中には「頭が一杯になるからなるべくネットは見ないようにしている」って人もいる。まぁ、もっとも一市民の私がいろいろ知っていたところで何ができるわけでもないけど、少なくとも私はこっちの方が好きみたいだ。インターネットって調べようとすると資料はいくらでも出てくるし、どんな分野でもそうだと思うけど、調べれば調べるほど分からなくなる。いったい何を信じたら良いのかというのが現状なのだ。仕方がないから、なるべく信頼できるソースを集め、そこから自分なりの結論を導きだす。そういうのは嫌いではない。
でも、こんなに時間も取られるし、頭の中もすでにいっぱいいっぱい。そう思うと普段何気なく持っている、情報への信頼のコストたるや大変なものだったのだな、と気づく。でも今は思う。無知でいること=責任逃れだったのかもしれない。そしてなんといっても「電気の独占を許し、それについて何も疑問を持たずに来てしまった我々の責任」という事実が非常に重くのしかかる。