ETV特集「カズオ・イシグロをさがして」

カズオ・イシグロのETVの番組は面白かった。NHKのオンデマンドでもう一度観て、ここに感動した部分をまとめました。何度も読み返し考えたいテーマばかりです。自分のためのメモとして。

<『私を離さないで』について>
イシグロ「この設定はメタファーとして選んだものだ。でも実世界でも誰もが病気になるし、誰もが死に至る。クローン人間という特異な状況を用いれば人々になんと奇妙な存在だと思ってもらえる。そして私と映画制作者の狙いは物語が展開するにつけ、映画を観る人、本を読む人々に気づいてほしかったんだ。これがすべての人に当てはまる人間の根幹を描く物語だということを」

<生物学者の福岡先生との対話>
福岡「しばしば人は“これは私の幼少期の素晴らしい記憶だ”“鮮明な記憶だ”と語ることがあります。私はそれは操作された記憶だと思うのです。感傷的な記憶や美しい幼少期の記憶だと、ペットのように飼い慣らされた記憶だと。記憶は繰り返し思い返すことで飼いならされ無意識のうちに美しく変更されています。つまり操作されているわけです。あなたの小説にも似たエピソードや物語が見受けられます」

イシグロ「私は幼少期の記憶やノスタルジアをかきたてる記憶に興味があります。特にノスタルジアはとても興味深い感情です。ノスタルジアは懐かしい日々を思う単純な意味にとどまりません。我々はその深い感情に充分な敬意をはらってこなかったと思います」
「子供はほとんどの場合、守られているものです。日本やイギリスでは私たちのほとんどが幸運なことに、泡の中で長い間、大人に守られて育ちます。そして現実の世界を知ることがないように大人たちによって妨げられています。ある意味、我々大人たちは子供たちに嘘をつくわけです。世界がまるで美しい場所であると必死に装うのです」

イシグロ「しかし大人へと成長する過程で子供たちはある種の失望感を覚えるのではないでしょうか。世界が優しい場所だという記憶がまだ残っているのですから。ノスタルジアは決して存在しない理想的な記憶なのです」

<ホームレスのための福祉施設で働いた経験について>
イシグロ「とてもきつい仕事で、深刻な問題をかかえる人もいました。統合失語症や薬物依存症、アルコール依存症など。暴力も頻繁に見受けられました。我々はそれらに耐えなければならなかった。わずかな間に私は彼らから本当に多くのことを学びました。半年くらいしかいなかったんですけどね。もしその仕事をしていなかったら私はおそらく自分と同じミドルクラスの人々としてか出会えなかった」
「(その仕事によって)私は追いつめられた人間に対し,ある種の敬意を持つようになりました。すべてを失ったとき、人がいかに自分を奮い立たせようするのかいかに自分の尊厳を保つのか

イシグロ「私の作家人生はむしろ日本と強く結びついていると思います。私が20代の半ばの頃に日本に強い関心を抱いた5年ほどの時期がありました。特に自分の内なる日本の記憶に強い関心があったのです。幼少期に永住するとは思わず渡英したので、自分の帰るべき場所、日本は極めて重要でした。もう1つの場所“JAPAN”をいつも考えていました。そして時間とともに“私の日本”という私的な世界を作り上げていったのです」

<福岡先生の動的平衡>
福岡「あなたは記憶について書いていると思います。過去の記憶、個人の秘めた記憶、感傷的な記憶などです。それらに私は強い印象を受けました。ある科学者が我々の身体は我々自身のものではないことを発見しました。つまり我々は流転しているのです。すべては取り替えられ,退化し、再び合成しているのだと。我々の身体は一定期間で見た場合、身体は固体でなく、むしろ液体だと。さらに長い期間で見ると相互に作用する気体だと」

福岡「では生命が“動的平衡”であり、肉体に完全に基づくのでないならば、人間はどのようにアイデンティティを保てるのでしょうか。どうして私は一貫した存在で、私は私であると言えるのか。答えになり得るのが“記憶”です。記憶はあなたの小説で大切な要素と感じます」

イシグロ「その通りです。記憶は常に私にとってとても大切な要素です。作家生活の初期の頃は当に重要でした。おそらく日本の記憶のせいでしょう。私個人の経験ですが、青年へと成長する過程で私が“日本”と呼んでいた大切な場所が現実には存在しないことに気づいたのです。
それは私の頭の中に存在する記憶や想像力、さらには本や映画などから生み出された架空の場所でした。しかしそれは個人的な場所だったのです。この“私の日本”が記憶から消えつつあった」

イシグロ「万物は流転する 記憶も流転すると言いましたが、小説を書くことは記憶を永久に固定する手段だった。思い返せばミュージシャン志望から小説家へ転向した理由はそこにあったように思います。“私の日本”が記憶から完全に消し去られる前に、写真のように残したいと強く思ったのです。記憶が色あせていくことにあせりを感じました。それ以来、私自身と記憶のとの関係や、すべての人間と彼らの記憶との関係性に魅了されているのです」

<『私を離さないで』について>
イシグロ「“人生は短いから尊い”とだけ言いたかったわけではない。人間にとって何が大切かを問いかけたかった。(この映画/小説の)設定は有効だった。(視聴者/読者は)人間とは何か、クローンは“人間”なのかと考え始めるからだ。人生の短さを感じた時、我々は何を大切に思うだろうか。この作品は悲しい設定にも関わらず、人間性に対する楽観的な見方をしている。人生が短いと悟ったとき、金や権力や出世はたちまち重要性を失ってゆくだろう。人生の時間が限られていると実感した時、このことがとても重要になってくるのです」

イシグロ「この作品は人間性に対し肯定的な見方をしている。人間が利益や権力だけに飢えた動物ではないことを提示している。赦し、友情、愛情といった要素こそが人間を人間たらしめる上で重要なものなのだ」

イシグロ「大人になる過程は興味深いものです。我々は理解できないまま、良からぬ現実を知るものです。私たちは“死”を理解する前に死を知ることになりますよね。“悪”も同じです。
世界にはびこる悪について理解できるようになる前にその存在を知るわけです。人は物事を理解すると同時に理解してない状態でそれを学んでいるのです。しかし心の底から理解していない。特に“死”や“悪”に関して口先だけであまり理解していません」

イシグロ「大人になることは自分の至らぬ点を認め自身を許すことだ。現実には人生は困難だが、それでも自分を取りまく世界と折り合いをつけることを学ぶべきなのです。とはいえ自分自身に完璧を求めるてはいけません。自身の至らない点を受け入れる術を学ぶこと。それが大人になる上で重要だと思います」

イシグロ「記憶は死に対する部分的な勝利なのです。我々はとても大切な人を死によって失います。それでも彼らの記憶を持ち続けることはできる。これこそが“記憶”の持つ強力な要素だと思うのです。それは死に対する慰めなのです。それは誰にも奪うことができないものなのです」