ポールの(正式な)初来日時の思い出はいくつかあるが、一番びっくりしたのは到着時のバスの中のこと。あのときは…詳しくは覚えていないけど「アルタン祭り」のメインであるアルタン、そしてフォー・メン・アンド・ア・ドッグ、そしてシャロン・シャノンとデジー・オハロラン、そしてポールというラインアップだった。そしてアルタンが一歩先に来日して、すでに東京にいた状態だったと記憶している。「明日ポールを迎えに行く。どうしよう! 緊張する!」と言う私に、アルタンのキーラン・トゥーリッシュは「俺も一緒に行ってやる」と言う(ホントにいい奴!)が、まぁ、それはいいから、と丁重にお断りし(笑)、でも何かあったら俺に電話しろよ〜、なんて励まされながら、私は一人成田へ迎えにでかけたのだった。あの時、どういうスタッフだったのだろう。もう記憶にないのだけど、シャロン・シャノンのバンドと違うフライトでポールが来たんだよな。でも時間が近いからシャロンと一緒のバスで成田/都内をトランスポートするという段取りになっていた。
今となってはどういう理由からだったのか不明だが、私はポールをたった1人で出迎えたのだった。通常VIPの出迎えって二人で行くもんだと思うんだけど、たぶんアルタンももう都内にいて人が足らなかったんだな、きっと。そしていよいよ到着したポールのご機嫌は…最悪だったのでした。どうやら具合を悪くしたらしく、青い顔をしてバナナはないかとポールは言う。今でこそ第2ターミナルにはスターバックスがあって、そこに行けばバナナはあるのだが、当時はなかったんだわさ、スターバックス。必死でさがしたりフレッシュジュース屋さんで「バナナを分けてもらえませんか」とか交渉したり(笑)。ちなみにこの話は伝説化していて、たびたびポールは私のことを「バナナはないか!」とよくからかう。今でこそ可笑しいが、当時の私からしたら、もう真っ青だよ。とにかく東京のスタッフに連絡してホテルのチェックイン時にバナナを山ほど準備しておいてくれ、と指令を出したのだった。
しかもなぜか同じダブリンから飛んだというのにシャロンたちのフライトはポールの後。なぜ同じフライトじゃない?と思ったのだけど、おそらくポールは同じフライトで、一人だけビジネスクラスに乗ることに抵抗があったのだろうと察する。ロック・シュター(シュターについてはまた次回)って、ちょっと悲しいよね… で、悪いことにシャロンたちのフライトの到着はポールの後だったのだわ。だからVIPのポールは下々のものたちが到着するまで…と言っても1時間ほどだったと思うのだが…シャロンたちが出てくるのを待たなくてはいけない、という設定だった。ターミナルも別だったので、他のスタッフがシャロンを出迎え、そこから私の携帯に電話が入ることになっていた。
で、ポールとの重い重〜い時間が過ぎ、やっと「シャロンたち無事に到着しました」という連絡が入る。私もホッとしてポールをつれてターミナルを移動し、ツアーバスへ。そしてポールが先にバスに乗り込んだのが、ここがすごかった。一同大スターの登場にシーーーーン。いや〜なんか空気が、もう最悪だったのだわ。「おいおい、みんな挨拶くらいしろよー」と私は心の中で叫んでいたが、またまた悪いことにバスの入り口付近にはシャロン・バンドの、割と新参ものの若い子たちが乗っていたからいけない。この若い連中に、大スターのポールに声をかける勇気などあるわけない(笑)。というか、本物を見るのだって初めてだったのかもしれない。ポールは超不機嫌でムッとしたまま、ずんずんとバスの奥に行き、一番奥に座った。そうして奥に妹のメアリーと一緒にいたシャロン・シャノンだけが「ハイ、ポール」と言って声をかけてくれたのだった。あぁ、シャロン、ありがとう。少しだけ、ほっ。
と、まぁ、そのくらい怖い存在の大スターなのだ、ポールは!!!
それにしてもシャロンはすごいと思った。シャロンはポーグスのシェインとも仲いいし、シネイドとも仲いいし、大スターをリラックスさせる事にかけては天才だと思う。あのツアーでポールと仲が良かったのは、アルタンのトゥーリッシュとシャロンだった。でもツアーの最後の方では、ポールもだいぶほぐれてきて、とても楽しそうにしてたし、ほんとに心のこもった良いツアーだったと思う。そういやツアー中のポールの態度は徹底していて、日本人スタッフに関していえば、私と恵子さん以外は誰とも口もきかないくらいであった。ソロのコンサートがクアトロで行われたが、ポールは楽屋の扉にガイコツの絵を描いて貼り出し「立ち入り禁止!」と言って扉をしっかり閉めきってしまった。ちなみに楽屋ということに関して言えば、ケルクリの時の楽屋も締め切り状態だった。で、用事があるときもポールは部屋から出てこないで、私の携帯に電話をよこして呼び出すのであった… ホント徹底している…
あの時、私が日本発売したアルバム「OH WHAT A WORLD」からシングルになった「THE LONG GOODBYE」。 ポールにこの曲がすごく好きだ、貴方の曲のベスト5に入ると思う、と、渋谷のパルコの前のところで話したのを覚えている。ポールは…すっごく喜んでニッコリしてくれた。あの時のポールの笑顔とか、ものすごく良く覚えている。いいんだ、ポールの笑顔は。ウソがなくって。ホントにこの曲は名曲だと思う。
今となってはどういう理由からだったのか不明だが、私はポールをたった1人で出迎えたのだった。通常VIPの出迎えって二人で行くもんだと思うんだけど、たぶんアルタンももう都内にいて人が足らなかったんだな、きっと。そしていよいよ到着したポールのご機嫌は…最悪だったのでした。どうやら具合を悪くしたらしく、青い顔をしてバナナはないかとポールは言う。今でこそ第2ターミナルにはスターバックスがあって、そこに行けばバナナはあるのだが、当時はなかったんだわさ、スターバックス。必死でさがしたりフレッシュジュース屋さんで「バナナを分けてもらえませんか」とか交渉したり(笑)。ちなみにこの話は伝説化していて、たびたびポールは私のことを「バナナはないか!」とよくからかう。今でこそ可笑しいが、当時の私からしたら、もう真っ青だよ。とにかく東京のスタッフに連絡してホテルのチェックイン時にバナナを山ほど準備しておいてくれ、と指令を出したのだった。
しかもなぜか同じダブリンから飛んだというのにシャロンたちのフライトはポールの後。なぜ同じフライトじゃない?と思ったのだけど、おそらくポールは同じフライトで、一人だけビジネスクラスに乗ることに抵抗があったのだろうと察する。ロック・シュター(シュターについてはまた次回)って、ちょっと悲しいよね… で、悪いことにシャロンたちのフライトの到着はポールの後だったのだわ。だからVIPのポールは下々のものたちが到着するまで…と言っても1時間ほどだったと思うのだが…シャロンたちが出てくるのを待たなくてはいけない、という設定だった。ターミナルも別だったので、他のスタッフがシャロンを出迎え、そこから私の携帯に電話が入ることになっていた。
で、ポールとの重い重〜い時間が過ぎ、やっと「シャロンたち無事に到着しました」という連絡が入る。私もホッとしてポールをつれてターミナルを移動し、ツアーバスへ。そしてポールが先にバスに乗り込んだのが、ここがすごかった。一同大スターの登場にシーーーーン。いや〜なんか空気が、もう最悪だったのだわ。「おいおい、みんな挨拶くらいしろよー」と私は心の中で叫んでいたが、またまた悪いことにバスの入り口付近にはシャロン・バンドの、割と新参ものの若い子たちが乗っていたからいけない。この若い連中に、大スターのポールに声をかける勇気などあるわけない(笑)。というか、本物を見るのだって初めてだったのかもしれない。ポールは超不機嫌でムッとしたまま、ずんずんとバスの奥に行き、一番奥に座った。そうして奥に妹のメアリーと一緒にいたシャロン・シャノンだけが「ハイ、ポール」と言って声をかけてくれたのだった。あぁ、シャロン、ありがとう。少しだけ、ほっ。
と、まぁ、そのくらい怖い存在の大スターなのだ、ポールは!!!
それにしてもシャロンはすごいと思った。シャロンはポーグスのシェインとも仲いいし、シネイドとも仲いいし、大スターをリラックスさせる事にかけては天才だと思う。あのツアーでポールと仲が良かったのは、アルタンのトゥーリッシュとシャロンだった。でもツアーの最後の方では、ポールもだいぶほぐれてきて、とても楽しそうにしてたし、ほんとに心のこもった良いツアーだったと思う。そういやツアー中のポールの態度は徹底していて、日本人スタッフに関していえば、私と恵子さん以外は誰とも口もきかないくらいであった。ソロのコンサートがクアトロで行われたが、ポールは楽屋の扉にガイコツの絵を描いて貼り出し「立ち入り禁止!」と言って扉をしっかり閉めきってしまった。ちなみに楽屋ということに関して言えば、ケルクリの時の楽屋も締め切り状態だった。で、用事があるときもポールは部屋から出てこないで、私の携帯に電話をよこして呼び出すのであった… ホント徹底している…
あの時、私が日本発売したアルバム「OH WHAT A WORLD」からシングルになった「THE LONG GOODBYE」。 ポールにこの曲がすごく好きだ、貴方の曲のベスト5に入ると思う、と、渋谷のパルコの前のところで話したのを覚えている。ポールは…すっごく喜んでニッコリしてくれた。あの時のポールの笑顔とか、ものすごく良く覚えている。いいんだ、ポールの笑顔は。ウソがなくって。ホントにこの曲は名曲だと思う。