このブログをずっとご覧いただいている方なら、私がポールがアメリカでやるといってはアメリカに行き、英国ツアーをやるといっては英国へ行き、ダブリンでやると行ってはダブリンに行っていたのはご存知だと思う。もちろん自分が見たいから、というのはあるのだけど、一番大事なのは「こんなにあなたの事を愛しているんだから、どうぞ日本に来てください」というアピールをするためだ。
ヴェーセンだって私が会いに行くまでは、けんもホロロだった。会いに行って、日本酒の高いのをお土産でもっていって、直接話をしてやっと初来日が決まったのだ。当時ヴェーセンの連中はカルテットからトリオに戻る段階で、911や、また自分たちに小さな子供も生まれたばっかりだったから、ツアーに積極的じゃなかったし。
というわけで、私がポールに会いに行くために使った航空券代とか、ホテル代とか(ポールと同じホテルに泊まると信じられないくらい高い!)考えると、まったくこの件は仕事とは呼べないのだが、そのくらいしないとポールくらいのアーティストは日本になんか来てくれない。日本に行ける!なんて言って喜ぶのは若い無名の連中だけだ。お金をいくら積んだところで、そういう問題でもない。ツアーは大変なものだし、なんといってもとてもリスキーだし、こんな遠いところまで飛行機のってわざわざ来てくれるなんて、ホントにすごい事なんだと改めて思う。
ツアーがやれて、いいね、と人は言う。海外に行けていいね、と。でもツアーは単なる地獄だ。スタッフにとっても、そのアーティストの事が好きじゃなかったら、拷問みたいなもんだ。アーティストにとっても家族でも恋人でもない人間と団体行動しないといけない。しかも1日じゃなく何日も、だ。お金いくら積まれたって、イヤだよね。成功している人ならなおさらだと思う。ホントにすべての来日ミュージシャンに感謝,感謝だ。
過去の来日だって大変だった。ポールは今度の来日で、実は日本は4回目になる。最初はアイルランド大使館の招待イベントでの来日だった。当時の大使、シャーキーさんがポールの同窓生(セントコロンブスというボーディングスクールの名門校。超おぼっちゃま校)だったのだ。ポールの学校時代の話はものすごく興味深いので、のちほどまた紹介していきたいが、それはともかく、とにかく大使のパーティ(会費は2万円だった)にポールが出るということで、私もすでに当時は大使館に出入りしてたから、なんとか行くことが出来た。5、6曲歌ったかな…ポール。びっくりしたよ。ギターがすごくって。Crazy Dreamsをやったのは覚えているが、他は良く覚えていない。またこの日にご一緒したS石さんによると、ポールはパブでも歌ったというのだから、今考えると背筋が寒くなるが(笑)、とにかくポールとしては親友のシャーキー閣下の頼みだからということで来たのであろう。パブで歌ったのも、パーティだけじゃナンだから、もう1回くらい歌おうと思ったのだろう。ポールは、その当時、自分のキャリアを日本でなんとかするなんて考えてなかったのかも。たしかポールはメアリー(奥さん)も連れてきていて、ゆっくり京都に行ったりもしていたらしい。そういや、これを書きながら思い出したが「お宅のポールが来日するのはご存知ですか?」と当時のレコード会社であるBMGに電話したこともあったなぁ。当時ポールは「ロマンティック・ダンディ」を出していたし…でもあの時、すでに流れは下降気味だったんじゃないかと思う。結局レコード会社の人は顔も出さなかったと記憶している。
大使のパーティが終わったあと、ポールと直接話すチャンスがあり(ファン状態で)私は当時すでに持っていた「メアリー・ブラックのOfficial representative」という名刺をポールに渡したのを覚えている。ポールは「彼女はいいよね」とポロっと言った。そのとき、他のファンの人たちと撮った団体写真もどっかにあったはずだ。それがたぶん93年とか94年くらいの話じゃないかと思う。
2度目の来日は、これは皆さんもご存知だと思う。アルタン祭りの時。プランクトンさんが制作した素晴らしいコンサートだ。当時アルタンは「ブルー・アイドル」という大傑作を発表。この作品の1曲目はマレードとポールがかけあいで歌う「Daily Growing」。ポールがお父さん役で、マレードは娘という設定の歌で、これは、もう本当に傑作だった。というわけで、この年のアルタン祭りのゲストはポールしかいない。アルタンの援護射撃を受けて来日のオファーを出すも、なかなかポール側はウンと言ってくれない。私は当時はポールのCDを出すレコード会社という立場で、このときにポールのLiberty Tapesをリリースする段取りでプロジェクトに参加していた。(このLIberty Tapesについては、また改めてここでじっくり紹介したい)なので、スタッフ代表としてポールに会いに行くことも含めダブリン出張を組み立てた。
しかし今考えてもいくらニューアルバムの重要ゲストとはいえ、日本じゃ動員力のないポールをゲストに呼ぼうと決定したプランクトンさんには頭がさがる。失礼ながらアルタンのツアーだって、予算があまっているわけじゃなかっただろう。ちょうどあの時、ウチはアコーディオン奏者のデイヴ・マネリー(こっちも当時は無名だっだけど、今やすっかり第一線に!)を売り出し直前で、ポールとのミーティングの直前、私はデイヴに頼まれてアイルランドのラジオに出たりしてたのだ。朝のラジオに出る、と言うとポールのマネージャーのリズは、じゃあポールの家も私の家もラジオ局から近いから、近くのホテルのカフェで会いましょう、と言う。ラジオはデイヴと一緒でとっても楽しかったけど(当時ワールドカップがくるといって、日本は注目されていた)、なにせ私にとっては、ヴァン・モリソンよりも誰よりも大好きなポールだ。ポールとのミーティングは、もう喉から手がでるほど緊張した。単なる1ファンとして会うのとは訳が違う。今度は、ちゃんと、仕事の話をしないといけないのだ。
ラジオの時間とポールのミーティングの時間に間が結構あいたので、アルタンの当時のマネージャー、トムとの打ち合わせもこの間に入れた。トムはこの指定ホテルに来てくれる、という。トムとホテルのカフェで会う。「どうしよう、すっごい緊張してきた」とトムに私が言うとトムは「大丈夫だよ。ポールはトゥーリッシュとも大親友だし、きっと日本に来てくれると思うよ」と。実際この時点で、アルタン側、そしてプランクトンさんや、私からさんざん「早く決定してくれ」「もう告知に間に合わない」という連絡がポール側に入っていたので、実際アルタンのマネージャーのトムも、ポールのマネージャーのリズも「いったいポールは何やってんだろ。ダメならダメと早く言ってくれないかしら」ぐらい思っていたと思う。
トムは私にこれを日本に持ってかえってくれ、とBlue Idolのポスターやプロモの資料をひと通り渡してくれて、あぁ次はポールか、まったく緊張するなぁ、と私が言ったところで「there he is!」とトム。なんとポールは時間を勘違いして予定よりも30分も早くあらわれちゃったのだ。きゃーっっ。
まぁ、でも、マネージャーのリズを待つ間、トムが居てくれて本当に良かったと思う。ほんと心から感謝! 世間話で、なんだかんだとケルト音楽界一般の話。トムは私をしっかりポールに紹介してくれた。彼女はあのアーティストもやっている、このアーティストもやっている。プランクトンも素晴らしいスタッフで、日本は楽しいぞー、と。私もとにかく必死でみんな貴方の音楽が大好きだ。日本ではあまり知られていないと思うが、私とプランクトンの恵子さんはすばらしいと思うものを届けたいんだ、と必死で話した。そうそうCompass Recordsの話になり、当時ポールはCompassと契約をしたばかりだったから、「ヘぇ〜GarryやAlisonとも知り合いなのか」と、自分の目の前に座っている小娘にちょっと感心したみたいだった。(あぁ、ホント人脈って大事だわ!)
なんだかんだで時間が過ぎてポールのマネージャー、リズが来たので、トムは帰宅していった。ここでもリズが最高だった。リズはホントにポールに対するやり方が上手い。会った人なら分かると思うが、ポールは、ものすごく怖い。時にはあからさまに声を大にして怒ったりもするから、ホントに周りはピリピリなのだ。でもポールは本当に心がピュアな人だから、それによって周りが怖がると、それによってまたポール自身が傷ついてしまう。だから怒られても絶対にひるまない人がポールにはぴったりなのだ。そういうところ、リズは絶対に大丈夫だし、今のマネージャーのジョンも本当に明るくていい人だ。加えて親友のトゥーリッシュも、そんな感じにしている。だからポールに怒られてもシュンとしないように、明るくポール、ポールと近づいていく人のことをポールは信頼すると私は理解したので、私も怒られてもひるまず、頑張ることにした。それはここまで長く一緒に仕事をした今でも一緒だ。今でも怖い。でもニコニコ、ポール、ポールと慕うこと。これ必須!
リズもこのミーティングに対する援護射撃がとっても上手だった。こんなに言っていてくれるんだから、なぜ行かないのか、と。ポールはなんだかんだ、とはっきりと返事をしない。まぁ、今思えば、「Yes あなたのオファーに感謝します」みたいな言葉はポールは言わないのかな。なんてったって、ロック・シュターだしな(シュターについてはまた後で書きます)。
そんなわけで、ひと通り話が「ポールはアルタンと一緒に日本に行く」という前提で終わった。CDのリリースのこととかも、ここで詳細がうんと詰められたと思う。そしてリズが帰り際に言った。「じゃあ、ほんとに日本に行くのね?」と。そしてポールは言った「YES」と。いや何も言わなかったかもしれない。ニコニコうなずいただけだったかも。
そうそうあの時、ワールドカップのお土産、とか言って、WCグッズを持っていったのも良かったのかも。チョコレートだか、ぬいぐるみだったか内容は忘れたが、ピンク色とブルーの何かだった。「女の子にはピンクだ、そして僕はブルー!」とポールがリズにピンク色の方を渡したのを覚えている。あの時、ちょっと空気がゆるんだな。
まぁ、このミーティングがなかったとしても、もちろんこの話は決まっていたと思う。プランクトンさんとアルタンの血と涙の努力! 私はその日大興奮しダブリンのホテルから、プランクトンの恵子社長に送ったファックス(メールじゃないんだよね)は、今だにとってある。A42枚に及ぶ、長いファックス。
もちろん、これは終わりではなく新たな苦労の始まりなのであるが、ここで、まぁ、また長い来日までの道のりが一歩、始まったのである。
AltanのDaily Growing。ポールが歌いだすところが、鳥肌もん! Daughter dear daughter....
ヴェーセンだって私が会いに行くまでは、けんもホロロだった。会いに行って、日本酒の高いのをお土産でもっていって、直接話をしてやっと初来日が決まったのだ。当時ヴェーセンの連中はカルテットからトリオに戻る段階で、911や、また自分たちに小さな子供も生まれたばっかりだったから、ツアーに積極的じゃなかったし。
というわけで、私がポールに会いに行くために使った航空券代とか、ホテル代とか(ポールと同じホテルに泊まると信じられないくらい高い!)考えると、まったくこの件は仕事とは呼べないのだが、そのくらいしないとポールくらいのアーティストは日本になんか来てくれない。日本に行ける!なんて言って喜ぶのは若い無名の連中だけだ。お金をいくら積んだところで、そういう問題でもない。ツアーは大変なものだし、なんといってもとてもリスキーだし、こんな遠いところまで飛行機のってわざわざ来てくれるなんて、ホントにすごい事なんだと改めて思う。
ツアーがやれて、いいね、と人は言う。海外に行けていいね、と。でもツアーは単なる地獄だ。スタッフにとっても、そのアーティストの事が好きじゃなかったら、拷問みたいなもんだ。アーティストにとっても家族でも恋人でもない人間と団体行動しないといけない。しかも1日じゃなく何日も、だ。お金いくら積まれたって、イヤだよね。成功している人ならなおさらだと思う。ホントにすべての来日ミュージシャンに感謝,感謝だ。
過去の来日だって大変だった。ポールは今度の来日で、実は日本は4回目になる。最初はアイルランド大使館の招待イベントでの来日だった。当時の大使、シャーキーさんがポールの同窓生(セントコロンブスというボーディングスクールの名門校。超おぼっちゃま校)だったのだ。ポールの学校時代の話はものすごく興味深いので、のちほどまた紹介していきたいが、それはともかく、とにかく大使のパーティ(会費は2万円だった)にポールが出るということで、私もすでに当時は大使館に出入りしてたから、なんとか行くことが出来た。5、6曲歌ったかな…ポール。びっくりしたよ。ギターがすごくって。Crazy Dreamsをやったのは覚えているが、他は良く覚えていない。またこの日にご一緒したS石さんによると、ポールはパブでも歌ったというのだから、今考えると背筋が寒くなるが(笑)、とにかくポールとしては親友のシャーキー閣下の頼みだからということで来たのであろう。パブで歌ったのも、パーティだけじゃナンだから、もう1回くらい歌おうと思ったのだろう。ポールは、その当時、自分のキャリアを日本でなんとかするなんて考えてなかったのかも。たしかポールはメアリー(奥さん)も連れてきていて、ゆっくり京都に行ったりもしていたらしい。そういや、これを書きながら思い出したが「お宅のポールが来日するのはご存知ですか?」と当時のレコード会社であるBMGに電話したこともあったなぁ。当時ポールは「ロマンティック・ダンディ」を出していたし…でもあの時、すでに流れは下降気味だったんじゃないかと思う。結局レコード会社の人は顔も出さなかったと記憶している。
大使のパーティが終わったあと、ポールと直接話すチャンスがあり(ファン状態で)私は当時すでに持っていた「メアリー・ブラックのOfficial representative」という名刺をポールに渡したのを覚えている。ポールは「彼女はいいよね」とポロっと言った。そのとき、他のファンの人たちと撮った団体写真もどっかにあったはずだ。それがたぶん93年とか94年くらいの話じゃないかと思う。
2度目の来日は、これは皆さんもご存知だと思う。アルタン祭りの時。プランクトンさんが制作した素晴らしいコンサートだ。当時アルタンは「ブルー・アイドル」という大傑作を発表。この作品の1曲目はマレードとポールがかけあいで歌う「Daily Growing」。ポールがお父さん役で、マレードは娘という設定の歌で、これは、もう本当に傑作だった。というわけで、この年のアルタン祭りのゲストはポールしかいない。アルタンの援護射撃を受けて来日のオファーを出すも、なかなかポール側はウンと言ってくれない。私は当時はポールのCDを出すレコード会社という立場で、このときにポールのLiberty Tapesをリリースする段取りでプロジェクトに参加していた。(このLIberty Tapesについては、また改めてここでじっくり紹介したい)なので、スタッフ代表としてポールに会いに行くことも含めダブリン出張を組み立てた。
しかし今考えてもいくらニューアルバムの重要ゲストとはいえ、日本じゃ動員力のないポールをゲストに呼ぼうと決定したプランクトンさんには頭がさがる。失礼ながらアルタンのツアーだって、予算があまっているわけじゃなかっただろう。ちょうどあの時、ウチはアコーディオン奏者のデイヴ・マネリー(こっちも当時は無名だっだけど、今やすっかり第一線に!)を売り出し直前で、ポールとのミーティングの直前、私はデイヴに頼まれてアイルランドのラジオに出たりしてたのだ。朝のラジオに出る、と言うとポールのマネージャーのリズは、じゃあポールの家も私の家もラジオ局から近いから、近くのホテルのカフェで会いましょう、と言う。ラジオはデイヴと一緒でとっても楽しかったけど(当時ワールドカップがくるといって、日本は注目されていた)、なにせ私にとっては、ヴァン・モリソンよりも誰よりも大好きなポールだ。ポールとのミーティングは、もう喉から手がでるほど緊張した。単なる1ファンとして会うのとは訳が違う。今度は、ちゃんと、仕事の話をしないといけないのだ。
ラジオの時間とポールのミーティングの時間に間が結構あいたので、アルタンの当時のマネージャー、トムとの打ち合わせもこの間に入れた。トムはこの指定ホテルに来てくれる、という。トムとホテルのカフェで会う。「どうしよう、すっごい緊張してきた」とトムに私が言うとトムは「大丈夫だよ。ポールはトゥーリッシュとも大親友だし、きっと日本に来てくれると思うよ」と。実際この時点で、アルタン側、そしてプランクトンさんや、私からさんざん「早く決定してくれ」「もう告知に間に合わない」という連絡がポール側に入っていたので、実際アルタンのマネージャーのトムも、ポールのマネージャーのリズも「いったいポールは何やってんだろ。ダメならダメと早く言ってくれないかしら」ぐらい思っていたと思う。
トムは私にこれを日本に持ってかえってくれ、とBlue Idolのポスターやプロモの資料をひと通り渡してくれて、あぁ次はポールか、まったく緊張するなぁ、と私が言ったところで「there he is!」とトム。なんとポールは時間を勘違いして予定よりも30分も早くあらわれちゃったのだ。きゃーっっ。
まぁ、でも、マネージャーのリズを待つ間、トムが居てくれて本当に良かったと思う。ほんと心から感謝! 世間話で、なんだかんだとケルト音楽界一般の話。トムは私をしっかりポールに紹介してくれた。彼女はあのアーティストもやっている、このアーティストもやっている。プランクトンも素晴らしいスタッフで、日本は楽しいぞー、と。私もとにかく必死でみんな貴方の音楽が大好きだ。日本ではあまり知られていないと思うが、私とプランクトンの恵子さんはすばらしいと思うものを届けたいんだ、と必死で話した。そうそうCompass Recordsの話になり、当時ポールはCompassと契約をしたばかりだったから、「ヘぇ〜GarryやAlisonとも知り合いなのか」と、自分の目の前に座っている小娘にちょっと感心したみたいだった。(あぁ、ホント人脈って大事だわ!)
なんだかんだで時間が過ぎてポールのマネージャー、リズが来たので、トムは帰宅していった。ここでもリズが最高だった。リズはホントにポールに対するやり方が上手い。会った人なら分かると思うが、ポールは、ものすごく怖い。時にはあからさまに声を大にして怒ったりもするから、ホントに周りはピリピリなのだ。でもポールは本当に心がピュアな人だから、それによって周りが怖がると、それによってまたポール自身が傷ついてしまう。だから怒られても絶対にひるまない人がポールにはぴったりなのだ。そういうところ、リズは絶対に大丈夫だし、今のマネージャーのジョンも本当に明るくていい人だ。加えて親友のトゥーリッシュも、そんな感じにしている。だからポールに怒られてもシュンとしないように、明るくポール、ポールと近づいていく人のことをポールは信頼すると私は理解したので、私も怒られてもひるまず、頑張ることにした。それはここまで長く一緒に仕事をした今でも一緒だ。今でも怖い。でもニコニコ、ポール、ポールと慕うこと。これ必須!
リズもこのミーティングに対する援護射撃がとっても上手だった。こんなに言っていてくれるんだから、なぜ行かないのか、と。ポールはなんだかんだ、とはっきりと返事をしない。まぁ、今思えば、「Yes あなたのオファーに感謝します」みたいな言葉はポールは言わないのかな。なんてったって、ロック・シュターだしな(シュターについてはまた後で書きます)。
そんなわけで、ひと通り話が「ポールはアルタンと一緒に日本に行く」という前提で終わった。CDのリリースのこととかも、ここで詳細がうんと詰められたと思う。そしてリズが帰り際に言った。「じゃあ、ほんとに日本に行くのね?」と。そしてポールは言った「YES」と。いや何も言わなかったかもしれない。ニコニコうなずいただけだったかも。
そうそうあの時、ワールドカップのお土産、とか言って、WCグッズを持っていったのも良かったのかも。チョコレートだか、ぬいぐるみだったか内容は忘れたが、ピンク色とブルーの何かだった。「女の子にはピンクだ、そして僕はブルー!」とポールがリズにピンク色の方を渡したのを覚えている。あの時、ちょっと空気がゆるんだな。
まぁ、このミーティングがなかったとしても、もちろんこの話は決まっていたと思う。プランクトンさんとアルタンの血と涙の努力! 私はその日大興奮しダブリンのホテルから、プランクトンの恵子社長に送ったファックス(メールじゃないんだよね)は、今だにとってある。A42枚に及ぶ、長いファックス。
もちろん、これは終わりではなく新たな苦労の始まりなのであるが、ここで、まぁ、また長い来日までの道のりが一歩、始まったのである。
AltanのDaily Growing。ポールが歌いだすところが、鳥肌もん! Daughter dear daughter....