The Long Good Bye

そういえば“The Long Goodbye”には、こんな素敵なネタがあったのでした。人気音楽コラムニストのBob Lefsetzさんがポールの事をブログに書いて、それをポールが気付き返事を書いたのです。詳しくはここ。簡単ですが、とりあえず急いで訳しました。間違いなど指摘Welcome。すみません、時間がないので、あまりゆっくり訳してられません(笑)

まずBobさんがポールの“The Long Good Bye”について、こんな風に書いたことから始まります。このボブさん、アメリカの音楽についての超人気ブロガーで、そのポストは25万人に読まれているんだそうです。すごい。


Bob Lefsetzさんの投稿 ---------------------------------

タイトル:The Long Good Bye

これはNo.1レコードだ。

"I know they say if you love somebody
You should set them free (so they say) "

それが真実じゃなかったら、どんなにいいかと思わないかい? 自分だけは違うと思いたくないか? でもそうじゃない。これは真実なんだ。スティングも、そんなような歌を歌ったけど、彼の曲の調子はどちらかというと彼は自由になりたがっている方であるか、もしくは人に助言を与えてるようにも聞こえる。そうやって友達がしゃべればしゃべるほど、友達があなたを元気づけようとすればするほど、あなたは孤独を感じるし、友達は自分のことをまったく理解していないと思う。

愛って面白い。誰にも起こることなのに、自分の愛は唯一無二のユニークなものだ。初恋で結婚する人もいるかもしれないけど、それはレアだ。だいたいはハートブレイクを何度も経験し、最悪のローラコスターを何度も体験する。

iPodをシャッフルしていたら、たまたまポール・ブレイディの“Can't Stop Wanting You”がかかった。

"Hot words on a summer night
You'n' me having a fight
One drink and it all come out
Before I knew what we were fightin' about"

(喧嘩をする恋人たち、でも)結局最後に彼等は再び愛し合い、なんとかなる。ポールが彼女をほしがることを辞められない、と歌うからさ。でもこういうシチュエーションって誰にでもおこることだよね。楽しんでいたら、それが喧嘩となりたとえばちょとした言葉のあやがきっかけで大喧嘩になる。"Can't stop wanting you"は、ポールのヒットアルバム『Trick or Treat』からのトラックだ。それはヒットになっただけでなく、彼のちょっとしたスターダムを形成した。ゲイリー・カッツにプロデュースされ、ボニー・レイットはタイトルトラックをデュエットした。

ポールの音楽に出会ったのは、ボニー・レイットのアルバムでカバーを聞いてからだ。ポールの“Luck of Draw”は、ハリウッドでの苦悩について書かれた、今まで書かれた事のない歌だった。成功しようと努力することが僕らを生存させる理由であるが、ほとんどの人々は成功には至らない。

“Can't Stop Wanting You”を聞いてから、ポールのトラックを全部聞くことにして、そして“The Long Good Bye”を見つけた。

"And I know they say if they don't come back again
Then it's meant to be (so they say)
But those words don't pull me through
Cause I'm still love with you"

別れというのは決して共通のものではない。どちらの側にいたとしても、どちらかが、必ず「より欲しがる」。別れに際して話し合いが持たれることもあるかもしれない。でも大抵はどちらかがパラシュートのコードを引き抜くとき、もう一人は留まりたがる。そしてその場所に執着する。

分かれてからまたよりを戻す人もいる。でもそれは例外だ。人々はより良い人生を夢みて、より優れたパートナーを思い描き、古い愛については放棄してしまう。でもだいたいは彼らは相手に立ち去る準備が完全に整わない限り言い出しはしない。残された者はショックに驚き、嘆き、今はもう存在しない何かに思い焦がれる。

ヒットソングを書ける人はごく一部だ。チャートをかけあがる曲もあるだろう。ヒットパレードのトップに行きつく事も。でも歌の統計が1位だということを示していてだけで、真のヒットではない。ヒット曲というのはあなたの頭を振り向かせ、気づかせ、そして貴方はそれを買わずにはいられない。
“The Long Goodbye”を見つけてからというものの、それを止めることができなくなった。僕の脳みその中にそれは1日中とどまった。僕は人生の動きを通りぬけようとしている時期だった。僕はこの時期、この歌とともに僕のとても個人的な宇宙に居たと言っていい。

失恋したときは映画を観ると気分がなごむというのは言えるかもしれないが、こういう時、効果的なのは歌でしかない。それは永遠に変わらないだろう。これらの歌は馬の手綱を引くものではない。それらは孤独と寂しい気持ちを持つものかもしれない。それはまるであなたが宇宙服の内側で聞いているみたいに “The Long Good Bye”みたいに共鳴する歌を僕らは絶対に忘れない。

"Come on baby it's over... let's face it
All that happening here is a log goodbye"

これで一発でやられちまう。それはまぎれも無い事実だ。それは友達から言われても容認出来ない事実なのだが、歌が伝えると認めてしまう。

PS
山の間に、僕は自分の作品を歌いたいと主張するマライア・キャリーみたいな女性のシンガーが高らかに“The Long Goodbye”を歌っているような姿を想像した。彼女の最大のヒットの一つはバッドフィンガーの“Without You”だ。それはニルソンによって、12年も前に歌われていたヒットでもある。

素晴らしい歌は年をとらない。すべての世代に対してヒットとなりうる。ポールのアレンジも完璧だ。イントロの眠くなるようなピアノの音、ストリングス、それは完璧な青写真だ。この曲は2011年のブルックス&ダンのカントリーチャートのNO1になった。ほら、見ろ。僕はこれがNo1ヒットだと言っただろう! でもリサーチを始める前に気づいた、トップ40はこの曲をラジオでかけない。でもアダルトコンテンポラリーのチャートに半年も留まった。この曲がそれだけ強いということだ。ジャスティン・ビーバーやウィロウ・スミスが理解しないであろう何かに、失恋の意味を見つけるのだが、残りの僕らはよく分かっているのだ。ポール・ブレイディの“The Long Goodbye”みたいな曲以外に、僕らがこの苦労を乗り越えるのに助けてくれる物はないと。



これについてのポールの返事 -----------------------------

“The Long Goodbye”についてはありがとう。レコード/ラジオのビジネスにおいてこの曲がたどったのは奇妙な道のりだった。(大ヒットとなった)ブルックス&ダンにおいても最初のシングルじゃなかった。確か4枚目か5枚目のシングルカットだったよ。レコード会社はそれをリリースするのをいやがった。でもアルバムから本当に頻繁にかけられていたので、ついにシングル・カットすることにしたのさ。そして1位になるのに19週くらいかかった。

共作したローナン・キーティングの英国での動きも似たようなもんだ。だいたいアルバムに入れるのさえも嫌がられた。そしてラジオに送るのさえも嫌がられた。が、アルバムから4枚目のシングルになり、そしてそれが英国のチャートの5位になり、ヨーロッパでのチャートアクションも素晴らしかったのさ。僕のヴァージョンは2000年に最初に出て、BBCのラジオ2のAリストに5週間とどまった。そういうわけで、この曲はA&Rの連中の無能さにやられる事もなく、人々に受け入れられたのさ。

ファンの人たちからの反応は素晴らしかった。このいわゆる典型的な「失恋」という読み方以外にも、この曲がラジオでかかっているというときに、とある女性がイギリスから連絡をくれたのだが、彼女が言うには、彼女と旦那さんとの間に新しく生まれた赤ん坊が、生死をわけるような病気と戦っていてね。赤ちゃんがなくなる3、4週間の間、ずっとこの曲を聴いていたっていうんだ。彼等にとってこの曲の意味は大きかった。この曲は二人に大きな安らぎを与えたんだね。他にもとある男性で、アルツハイマーで現実との区別がはっきりしなくなってくる様子を想像した人がいた。

こういう事が、僕が歌において素晴らしいと思うところなんだ。作者は何かを歌にする。それに何か意味を与えたと作者は思う。でもそれは、作者を通り過ぎて行っているにすぎないんだよ。

僕の『Trick or Treat』が大展開だったって!? 痛っっ! いや、あれは噂にもなりやしなかった、と言えるだろう。ニューヨークのソーホーでアルバムのために、レコード会社の重役たちの目の前で、かなり内容の良いショーケースをやった後、ゲイリー・カッツと一緒に食事にいったんだが、まだ興奮状態の僕に、ブルックリン訛りの彼は言ったね。「良い事を教えてやろう、ポーリー。彼等はまだ君をレースに加えるか迷っているよ」と。ほーほー! 彼は正しかった。1週間か2週間して、僕のマーキュリーでの指示者であるマイク・ボンは左遷され、それがこのアルバムの死を決定的なものとした。

まぁ、でもそれも昔のことだ。今、現在において人生は本当に素晴らしいよ。さっきも言ったように僕はイタリアのサンレモにいて、明日イタリアのもっとも栄誉あるソングライターに贈られる賞を受け取るんだ。歌は素晴らしい。あの曲を書いてから11年たったというのに、君がそれを発見してくれて、素晴らしいと言ってくれる。本当に自分に与えられた才能に感謝しないといけないと思う」

ポール・ブレイディ