ポール・ブレイディ来日までの道のり13:オーストラリア

11からの続き。

私はすごく頑張ってメールを書いたつもりだったので、ドキドキしながら返事を待っていた。でもポールからメールの返事はずっとなかった。そうこうするうちにグレンのツアーが終わって、しばらくたったころ。もう2月になってたかもしれない。「ポール、このメールのことはどうかしら」と私がリマインズすると、ポールは「ごめん、ごめん、ちょっとばたばたしてたんだ」と言い「検討してみる。あと少しアジアでの可能性もみてみる」という返事を速攻で送ってきてくれた。私はここでウンと具体的にしとかんといけないと思い、具体的な日程まで押さえ、2月の中旬ということで調整に入ったのだった。

やった! 一歩進んだ。でもそっからがまた大変だった。ポールのFBページを追いかけていた人なら分かると思うけど、ポールはこの3月、アジアもそうだけどオーストラリアをツアーしたいと考えていた。そしてこの話があった後、日本には震災があって、4月になり、再びポールから「2月ではなく3月で調整したい」というメールが来た。あわててスターパインズさんに電話すると、その週末は空いているという。

基本的なアグリーができたので、いよいよ案件はポールのマネージャーのジョンに引き継がれた。そして、すぐに私とジョンとオーストラリアのエージェント(二人もいた!)のメールのCCしあいで、交渉はすごいカオス状態になっていく。ジョンはすごく頑張っていたが、私はなんとなく「これは難しいだろうな…」と思っていた。こういうワールドツアータイプの日程調整は、よほど先方とこちらが連携しているか、大きなエージェンシーがトップダウンで大きなロックバンドのワールドツアーを切る時みたいにして切らないと決定していかない。双方から来るメールを見ながら、両方の立場が分かるものの、こりゃ難しいだろうなと思った。で、こんなの待ってたら日本公演も心中しちゃうと思った私は強行に昨年の4月の時点で「万が一オーストラリアがこけても、日本には行く」とオッケーしてもらったのだ。

それにしても、オーストラリアでもフェスティバルの運営は大変そうだ。よくフェスティバル市場は景気が良いと言う記事をみたり話を聞いたりするけど、それって実態があるのかな、と思う。私が知る限りフェスのオーガナイザーは皆、ヒーヒー言っているよ。そんなこともあってオーストラリアのフェスの話は流れた。でも日本は残った。今回は単にラッキーだった。そういうことにすぎない。最初から日本オンリーだったら難しかったと思う。

まぁ、でも何はともあれ、そういう風にやっとのことで勝ち取ったポールのスケジュールなのです。いろいろあったのだけど決まったのだから本当に嬉しい。これに気分をよくしてポール、また来てくれないかな… などとまだ始まる前から考えていたりするのであるが、果たしてどうなることやら。なんといっても65歳。元気な人だけど、いつまで現役が出来るのかはまったく不明。明日の日本だって、どうなっちゃうのかまったく不明。今、同じ時代にこんなに素晴らしいアーティストがいて、そしてやっと日本に来てくれることになった事を皆さんに知ってもらえたらと思う。そして貴重な時間を皆でシェアしたい、と思う。

さて、次回からはポールの濃いインタビューの数々をご紹介していきます。濃いですよ、ポール…

「レバノンの空は燃えている」Island… 名曲です。



PS
ポール・ブレイディ来日公演。チケットは発送の時間等を考慮し、おそらく20日くらいまでは通販します〜。それ以降は取置きサービスもするかも。今、ちょっと状況が見えませんが。いずれにしても土曜日はかなり混んできていますので、お早めに。今から申し込むのであれば日曜日の方が良いかもです。何せ2日目(最終日)だし。詳細はこちら