ポール・ブレイディ来日までの道のり16:子供時代のポール さらに続き

ポールは現在でも何故自分がSt Columb'sみたいな学校に入れられたのか理解できないと語っています。そういうモノカルチャー、モノセックスの環境。最初に学校に入れられたときは、もう地獄のようなショック&恐怖だったそうです。

自分からしてみれば自宅と学校は、ほんの14マイル。この学校に行くにしても、なんでバスで通ったりできなかったのだろうとポールは話しています。実際同じクラスにはストラバーンから学校まで通っている子が多かった。まぁ、一部ポールのように寄宿舎生活している子もいたそうですが。ポールは「もしかしたら両親は僕のことが嫌いなのかもしれない」と真剣に悩んだそうです。が、まぁ、実際両親の気持ちにたってみれば、ボーディングスクールにいれればポールは勉強に集中してよりよい教育が受けられると考えたのでしょう。実際そういうのが(金銭的に許されるのであれば)流行っていた時代でもあったのだそうです。良い家のぼっちゃんは寄宿舎学校、と。でもポールにしたらSperrin山の向こうはまったく外国みたいな場所だった、と。デリーとかアントリムのアクセントさえも、まるで外国語のように聞こえたのだそうです。

もちろん共和国の文化はポールにとってはなじみのあるものでした。非常になじみのあるお父さんの文化(お父さんはゲーリックフットボールもやっていたそうです)であるのだけど、「それだけ」みたいな環境は初めてだった。もちろん学校に対して自分にアイリッシュの文化を与えてくれたのは感謝している、と。

そしてイヤイヤ寄宿舎生活がはじまるわけですが、もう初日から3、4回なぐられたのだそうです。ひどい。でもポールは「このころの寄宿社学校なんてどこもそんなもんだったんだよ」と割とさらりと答えていました。いきなり他の男の子たちの喧嘩に入るように命令されたり、いきなり頭を水につっこまされたり… 牧師の先生方はそれを見てみぬふりをしていたとポールは回想しています。いかにも眼鏡をかけて弱いやつに見られたのだろう、と。ポールはそれまで喧嘩もしたことがなかったし、人になぐられたことなんて一度もなかった。そして、ポールがそれより恨みに思っているのは学校にギターを持っていくことが許されなかった事。これは確かに振り返れば最悪の話ですよね。58年のクリスマス。ポールは両親から「クリスマスプレゼントはギターがいい?ハーモニカがいい?」と聞かれ、「ギター!」と答えギターを手に入れたのですが、それを学校へは持っていけなかった。なので学校ではピアノを弾いていたらしいのです。

学校には良い思い出もあって、ギルバート&サリバンの劇でシンガーの役をやったこと。それは、まだ声がわりする前のことだったそうですよ。どんなだったんでしょうね…ちょっとうっとり…

そして休みの日に自宅に帰るとシャドーズやチャック・ベリー、リトル・リチャード、ジェリー・リー・ルイス、エルヴィス・プレスリーなどを夢中になってラジオで聞いていたのだそうです。

とにかく「1つのことしか正しくない」という環境には絶対になれなかったということなんでしょう。特につらいのがゲーリックフットボール。ポールは「スポーツは大好きだけど、エクササイズ系が好きなのであって、僕は絶対にチーム・パーソンじゃない」と言っています。(分かる!)

いずれにしても学校は楽しいところではなかった。だからもうひたすら地味にしていた、とポールは話しています。この年代の子供にとってはこれはとても致命的に悪いことだと思う、とも。結局自分はアウトサイダーだということを学校で自覚し、その気持ちは今でもポールの中に根強く残っているのだそうです。

自分が何を考えていようと結局他の人には理解されない。自分という存在を愛するか育てるか戦うか、いっそすべてから逃げるか。でも逃げてしまえば何者にもなれない。そういう部分が自分の芸術性を磨いていたのだろう、と。誰かに指示されたくもない。この社会で、ポール・ブレイディとはいったい何者なのか? 誰も知らない。自分でも分からない… とポールは話しています。

ポールはお母さんから戦う力を受け継いだと考えています。お父さんからは才能を、お母さんからは絶対に負けないという力をもらった、と。彼女はいろんな意味でとても強い人だった。カトリックだった彼女はプロテスタントの学校で校長になれなかった。そしてその事が彼女の心にすごく深く刻み込まれていたのだ、と。

何かSt Columb'sにおける良い思い出は?とインタビュアーにうながされてポールは、学校の朝礼のときにオルガンを弾くことをまかされた事を話しています。ちなみにポールの前任はフィル・コウルター大先生だったそうですよ。(それにしても豪華な学校!)ジョン・ヒュームはフランス語の先生だったそうです。あと親友ともよべるべきジョニー・フェファナンという人物と出会い、彼もまた孤独な少年だったので、二人でよく学校の中をひたすら散歩していたのだそうです。(散歩好きはこの頃からなんですね!)でもポールいわく、例えばシェイマス・ヒーニーなどはとても学校になじんでいたようだ。というのも、彼のバッググラウンドはSperrin山の反対側/南デリー。まさにSt Columb'sの精神と一致していたから。またフィル・コウルターとかは、通学の学生だったので、寄宿舎生活のハードさは知らないんじゃないかと言っていました。ちなみに、私はこの本、全部読まずにポールのところだけ読んでますが、全部読まないと学校に対してフェアじゃないですよね。でも、とにかくポールはもう学校に到着したとたん「これは違う!」と直感的に思い、学校の先生たちにもあまり心を開かなかった、と話しています。

いずれにしても本当にポールはこの時代によい思い出は無い様子。特に最悪な思い出は3年間、とある少年にさんざんいじめられたのだそうです。あまりにひどいので両親にも相談し、両親は学校の牧師先生にも相談したようなのですが、先生方の「お子さんは大げさに考えすぎているんじゃないですか?」で終わってしまったのだそうです。でもこのときのいじめられ方がすごい。無理矢理ピアノを弾かされて歌わされたのだそうです。言うとおりにしないと殴るぞ、という脅しのもとで。だからこのいじめっ子はある意味、自分の才能を認めていたのだろう、とポールは回想しています。本当にSt Columb'sは牢屋のような場所だったと。でも牢獄だとしたら、自分はいったい何を悪いことをしたのか、と本当に悩んだと話しています。

そしてやっと苦しく重い6年がすぎ、ポールは大学へと進学するわけです。それにしてもこの回、重かった…

ポールがゲーリックで歌うこの曲を添付しておきます。こういうの、ホントかっこいいですよね、ポールは。ポールをいじめた奴らが後悔していることを祈りつつ…でもいじめた方もきっと傷を負っているんだろうな…。今でこそカトリックの学校での陰湿ないじめなどが公に少しずつ語られる時代になりましたが… 



そしてポールは、いよいよダブリンに行き、そこではじめて伝統音楽と出会うのです。