エド・シーランの発言。アイルランド人であるとはどういうことか。

 


この記事、Twitterで紹介したら、 結構反応もあったので、こちらにも紹介しておきます。

エドくんのこの曲はご存知ですよね…


歌詞がすごい良くって、このリリックビデオ大好き。英語って素敵な言語だよなぁ、と久しぶりに思ったナイスな歌詞。この曲聴きながらアイルランドの田舎をドライブしたいなぁ〜。この韻の踏み方が最高に気持ちいいのよね。

この一緒に歌うのがTiny Dancerっていう設定が好き。当時エドくんはエルトン・ジョンの事務所Rocketに所属していた。この歌が出たのは、そのマネジメントを離れる直前だったんじゃなかったかな。エルトン・トリビュートだよね。そして最後のバースでは「答えAnswersなんてわかっちゃいなかった 」って韻をしっかり踏んでる。

この曲、歌詞を全部聴くことが素晴らしいのに、エド君、日本のテレビで超省略して歌ってて、ちょっとかわいそうにも思ったり。今の時代、人気者であることの税金が高すぎる。

…と思うことが多い今日このごろ。

エドくんは英国のサフォーク育ちなんだけど、その丘陵地帯とお城が『Castle on the Hill』のインスピレーションとなっているわけです。

エドくんといえば、最近、自身のアイリッシュ・ルーツについて、頻繁に発言している。だから今回の記事は全然驚かなかった。

アイルランドといえば、この曲。泣ける。いいねぇ〜

 

しかし今回の発言で「自分は文化的にアイルランド人」と言ったら、アイルランド海の両側からソーシャルメディアで大ブーイング(苦笑)。ほんと文句を言う人は何にでも文句を言う。この紹介している記事は、それを冷静に分析した記事です。

ある意味、何をそんなに大袈裟な…と思わなくもない。でも良い記事。

エドくんのお父さんの祖父母は二人ともアイリッシュ、エドくんはアイリッシュパスポートも持っているそうで、子供のころは、夏休みはいつもアイルランドに行っていたのだそうです。

ちなみにアイルランドのパスポートは、3代さかのぼってアイリッシュだと取得できるんじゃなかったかな、確か。あとパスポートがアイリッシュだとEU圏内自由にできるから、これもまた便利なのよね、英国人にとってはね。

っていうか、日本と違ってダブルパスポートは可能なので、割と多くの人がこれやっている。

そして彼の音楽的なあれこれが形作られたのもアイルランドなんだよ、と。そういやダミアン・ライス大好きで彼のライブを見たことが自分が歌うきっかけになったってエドくん、言ってた記憶あり。

でも心無い人は「都合のいい時だけアイリッシュとか言いやがって」みたいなこと言うのよ。

「B Witichedのライブ観たし、あとはゲーリックフットボールの試合をみてればアイリッシュなんかい? それなら俺もアイリッシュやんけ」みたいな主張もあり…

メディアもメディアで、イングランドで育ったくせに、なにがアイリッシュだ、と。

まぁ、でもこの現象はアイリッシュ・ルーツを持つ家族にはよくある話で、別に不快なことでもないとロンドンにあるアイリッシュ・カルチャー・センターの所長も話しているそうです。

そのことは、エドくんがイギリス人であることを嫌ったり、愛していないということではないのだよ、と。

確かに北アイルランドは、今は一応平和で、英国でアイルランドのアイデンティティを話すことは、以前に比べてだいぶ容易になった、とも。

でも有名人のエドくんがこの発言をしたことで、再びこの話題が持ち上がり、現代において「文化的アイルランド性=文化的にアイルランド人をアイルランド人たらしめているもの」とは何なのかというより根本的な問いを投げかけています…とBBC。

以下、この調子で、ざっくりこの記事を引用、訳してみますね。英語読むのが面倒くさい人のために。最近は、私でも英語が模様に見えてしかたがありませんが、頑張ってみます。DeepLのお手伝いも借りました。

このあとの文章に出てくる「私」はこの記事を書いた記者さんのことです。時々のざきのツッコミもあり。

メイヌース大学(アイルランドのキルデア、ダブリン郊外と言っていいエリアです)のコノリー教授は、エド・シーランのこの発言は、生まれた場所や国勢調査に記入する内容を超える、より広範なアイデンティティの概念に関するものだと主張しています。
 
「彼は文化的には英国におけるアイルランド人であり、市民権としてのイギリス人とアイルランド人のことについて言及しているのではないと、彼は明確に発言してるんですよ」とフォロー。

「これは、英国に住む多くのアイルランド人2世にも当てはまる」と。

北アイルランドにおいては、それは複雑で、痛ましい歴史の背景もあるわけですが、文化的アイリッシュネスについて、サリー・ルーニー(「ノーマル・ピープル」の原作者)からビートルズまで 「文化的にアイルランド人であること」の意味は人それぞれなんだよ、と。

ベルファスト南選挙区の議員で、現在社会民主労働党の党首を務めるクレア・ハンナは、2022年の聖パトリックの日議会議論で次のように述べました。

「多くの人々は過去の伝統的な二元論から離れ、『グッドフライデー合意』の『どちらかではなく両方』の部分を受け入れ(ここ大事。選ぶんじゃなく、両方、とする)英国人かアイルランド人かを選ぶ必要はないと感じている」 と。

エドくんの言葉は再びこの点を浮き彫りにし、現代において文化的「アイルランド性」とは何なのかというより根本的な問いを投げかけています。

(そこでこのライターさんの意見が活かしてる。私でも同じ様に答えたでしょう by のざき)

私にとってアイルランド人であるということは、ユーモアがあること、言葉と音楽が大好きだということ、そしてなんでも気楽にやりすごすこと。それがアイリッシュです。

(これ、私も大賛成! だから私もアイリッシュ・笑 by のざき)

また、アイリッシュネスとは、特定の風景に対する感覚を示すこともあります。

それは、例えば愛した風景や、何かから逃げてたどり着いた安心する場所。または2世や3世のア イリッシュにとって、夏休みの短い滞在で体験した風景かもしれません。(確かにこのパターン、多いよね by のざき)

それが、ザ・ポーグズのシェーンが歌った「the streams, the rolling hills where his brown eyes were waiting 川の流れ、起伏のある丘陵。彼の茶色の目が焦がれた場所」の世界です。 


しかし「文化的アイルランド人」の定義は、アイルランド人、あるいはアイルランド人になりたいと思う人の数と同じくらい多く、いろいろ存在していることも確かです。

そのスタイル、影響、意見、ジャンルは多岐にわたっています。 

オアシス(マンチェスターでアイルランド人の両親の間に生まれた)、ラッパーのニーキャップ、小説家のサリー・ルーニー 、ナイジェリア系のアイリッシュ女優のデミ・アイザック・オヴィア、ロンドン生まれの劇作家、マーティン・マクドナー (映画『イニシェリン島の精霊』で有名)などなど。

ノエルとリアム・ギャラガーは、アイルランド人の両親のもとマンチェスターで生まれた。

ザ・ビートルズの主要メンバーは全員、アイルランド系の祖父母または曾祖父母を持っており、ジョン・レノンはダブリンでのコンサートで「私たちは皆アイルランド人だ」と語った。


それは1963年のことでした。エド・シーランの発言からはるか62年前です。 

アイルランドにおいてプロテスタントの伝統を持つ北アイルランドからも多くの声が上がっています。

エドくん自身は、異なる伝統の融合から生まれた人物です。彼の祖父は、宗派間の対立が激しかった時代に、北アイルランドのベルファスト出身のプロテスタントと、アイルランド共和国出身のカトリック教徒と結婚しました。 

現在、大物メインストリームのスターが英国でアイルランドの文化的アイデンティティを掲げることは、 数十年前と比べて明らかに容易になっています。 

それは昔は大変なことでした。例えば、ポール・ブレイディの力強い曲『Nothing But the Same Old Story』を思い出します。この曲は、1970年代のイギリスでIRAの活動が 激化する中、アイルランド人男性を描いたものです。


歌詞の一節に「彼らにとって、俺たちはただの殺人者集団に過ぎない "In their eyes, we're nothing but a bunch of murderers." 」 というフレーズがあります。 

でも今は大きく変わりました。

U2、シン・リジー 、シネイド・オコナー 、ザ・ポーグズ、そして今はエド・シーランといったアイルランド系の文化人たちが、これらの雰囲気の変化に大きく貢献しました。

(そういやU2のエッジがアイリッシュになったニュースが最近取り上げられましたね。by のざき)

しかし、これらの、いわゆるアイリッシュ・アイコンたちは皆、何世紀にもわたって英国に移住してきた、その存在が認識されていない何百万人 もの人々によって築かれた基盤の上に存在していることを忘れてはいけません。(ほんとだよ。ポールもThousands and thousands who came before...歌っている by のざき) 

エド・シーランの親の世代と祖父母の世代は、イギリスの道路や住宅地、地上と地下の鉄道を建設した(アイルランドからの出稼ぎの)人々だったのです。

有名なバラード『McAlpine's Fusiliers』は、彼らが「血を流して働き、泥をビールで洗い流した」と歌っています。 


またアイルランド人の看護師たちはは、国民保健サービス(NHS)の人員配置に不可欠な役割を果たしました。 

当時、多くのアイルランド系移民は、ロンドン北西部のキルバーンやマンチェスターのアストリア、特定の県出身者向けの顧客層をターゲットにしたアイルランド系パブなど、文化の表現の場としてこれらの場所に集まりました。

しかし、両文化の驚くべき相互影響は、はるかに古い時代まで遡ります。植民地時代の歴史と両島がとても地理的に近いことを考えれば、当然のことですよね。

2000年にわたり、アイルランド人がイギリスで交易、定住、そして結婚を繰り返し行った記録が残っています。

彼らは西スコッ トランドとマン島では共通の言語を共有し、英国その他の地域とはドルイド文化を共有していました。 

アイルランドの修道士たちは、いわゆる暗黒時代においてキリスト教の普及と再興に尽力しました。時には逆のケースもありま した。

アイルランドの守護聖人である聖パトリックは、実は英国人でした。(確かウェールズ人だったよね。セント・パトリック様は… by のざき)

19 世紀初頭の英国でベストセラーとなった作曲家(当時は楽譜ですから)の一人は、アイルランド人のトーマス・ムーアでした。

彼の物語は、文化関係の複雑な性質をよく表しています。彼はアイルランドの自由の擁護者でしたが、英国と戦った反乱軍のために作曲した名曲「ミンストレル・ボーイ」は、記念日にアイルランド警備隊のバンドによって演奏されています。

(野崎勝手に偏見解説:トーマス・ムーアはこんなふうにちょっとキッチュなイメージあり。同時代のバーンズがスコットランド人に敬愛されているのに比べて、評価がとても低い) 

今日、2世や3世の人たちにとって、祖先の国はかつてないほど身近なものとなっています。シェフィールド大学のアイルランド史教授、Caoimhe Nic Dháibhéid 氏は、格安航空運賃が、英国におけるアイルランド文化の進化の性質を変えたと指摘しています。

ライアンエアー(これ、有名なアイルランドのLCCのことね by のざき)の時代において、アイルランドとイギリスの物理的な距離は縮まりました。私見では、アイルランドからイギリスへの移住は現在、 一時的なものになりつつあります。

以前は一度行ったら、もう永久的に移住、というのが主流でした。今は違います。

私はアイルランド人であり、ロンドン在住者でもあり、そしてそれ以外にも多くの顔を持っています。

 いまやアイルランド国外で過ごした時間は、アイルランド国内で過ごした時間よりも長いです。 では、そういった事実は、私をいったい何者にするんしょうか?

私のアイデンティティは多くの要素から成り立っています。私はアイルランド人であり、ロンドン人です。また、コーク、ケリー、ウォーターフォードの人間でもあります。

アイルランド語と音楽は、私の文化的背景の不可欠な一部です。しかし、その音楽がスコットランドや北アメリカの音楽とつながっていることも、とても大切に思っています。

アイルランドの流浪の歌の中でも最も素晴らしい曲の一つは、イギリス人であるラルフ・マクテルが書いた「And the only time I feel alright is when I'm into drinking  It sort of eases the pain of it and levels out my thinking… It's a long way from Clare to here もう飲んでないとやってられない。クレアからここまではあまりにも遠い」…この曲です。

 

南アフリカへの私の絆も、私を耐え難くも消えない形で形作りました。そんなふうにアイデンティティは、アイルランド、ロンドン、アフリカ大陸、フランスなど、私にとっては重要な3つの場所での、深い愛に満ちた関係性の物語でもあります。 

私のアイデンティティに対する思いは、職業としての戦争記者としての経験とも不可分です。私は、異なるアイデンティティへの憎悪から行われる民族浄化、ジェノサイド、人類に対する犯罪を、あまりにも多くの年月にわたり目撃してきました。 

偉大な作家、ジェイムズ・ジョイスは、「国籍、言語、宗教」に根ざしたアイデンティティを拒否し、断固として「それらの網を飛び越えていこう」と誓った。 

彼は20世紀初頭の、はるかに狭い範囲のアイルランドについて書いていました。しかし、アイデンティティの監視<いったいあなたは何者であることが許されるんだろう>は、現在、いろんな形で、それぞれ不気味な存在感を示しています。

だから、誰かが私に自分のアイデンティティを、ひとつに限定するように求めれば、私はそれを断固拒否します。なぜなら、それらがなんであったとしても、それは私自身の問題であり、他人への説明や他人からの正当化の対象ではないからです。

そして、それが明日変わったとしても、それは私自身の問題であることにかわりはありません。

アイデンティティをめぐる古い戦いはまだまだ終わっていない。アイデンティティの性質は進化しています。

アイルランドでは、他の文化の影響を吸収しつつ、同時にその文化にも影響を与えています。 

Nic Dhábhéid授いわく「イギリスにおけるアイルランドの文化的アイデンティティの注目が高まることで、特に(北でのトラブルを知らない)25歳未満の若者たちの間で、北アイルランドの紛争の歴史への関心が高まるきっかけになるのではないかと期待しています」 

例えば『ニーキャップ』の観客層は、若者が民族主義的な西ベルファストの生活問題に突然目覚めたという話ではありません。

『ニーキャップ』はより広範な若者の失望感と共鳴しました。彼らはアイルランド語でラップしていますが、それは彼らによる体制への挑戦という姿勢が、一部の若者の心にとても響くからに他なりません。

ニーキャップの公の声明と政治的立場は人々を分断しました。 バンドのメンバーであるリアムは、ロンドンでのライブで禁止された組織ヒズボラを支援する旗を掲げたとして、テロ関連罪で起訴された 。

「ニーキャップ現象は現実のものだ。デリー・ガールズ現象も同じだ」と、Nic Dhábhéid教授は述べ、1990年代に同市で育った脚本家リサ・マクギーの経験にインスパイアされた同番組にも言及しています。 

Nic Dhábhéid教授は、英国政府が「トラブル」の「公的」歴史の執筆を監督する歴史家として選ばれた学者の一人です。(だから、言っていることは割と一般的でフェアな見解と言っていいでしょう)

彼女は、進歩はあったものの、アイデンティティを巡る古い対立は、まだまだ未解決であり、ブレグジットが引き起こした緊張を例に挙げて、世の中に警告しています。

 「10年前は和解の物語でした…しかし、現在、それが和解の段階にあるとはとても確信できません」と彼女は主張します。 (ほんとだよ、どんどん悪くなっているように感じる by のざき)

だからこそエド・シーランのアイデンティティの正直な表現は、より感動的なんです。 

それは攻撃的な文化ナショナリズムではありません。彼は、私(このライターさんのことね byのざき)のアイデンティティとは何かを指摘しているわけでも、これを読んでいるあなたのアイデンティティとは何かについて語っていたわけではありません。

それは彼が感じていることを、ただただ表明しただけのものです。

私は英国で育った2人の子供の父親です。私は彼らが異なるアイデンティティが重なり合う中で直面する課題と機会を乗り越えていく様子を見守り、ジェイムズ・ジョイスの助言に従い、他人が彼らの前に置く障害を飛び越えていくよう応援しています。 (いいねぇ! by のざき)

私にとって、それがより明るい未来への道なのです。 (ほんとだよ…by のざき)


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6月25日に新作「the Dark Night Rhapsodies」がリリース。こちらが特設ページ(Sony Music Labels)。アナログ盤と、ピアノ小品集の楽譜は日向さんのサイトで通販中

2年前にレコーディングした無印良品BGM29 スコットランド編がやっと公開になりました。良かったら、聞いてください。プロデュースはLAUのエイダン・オルークにやってもらいました。現在無印良品の店頭で聞くことができますし、配信でも聴けます

◎9月には民音さん主催でゴサードシスターズの来日ツアーもあります。詳細は特設ページへ。


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