ポール・ブレイディ来日までの道のり18:ジョンストンズ

もっともジョンストンズを「伝統音楽」と言ってしまうには、ちょっと抵抗がある。すでにポールが加入した時点でジョンストンズはNo1ヒットを出していたし、ポールにとっては良いステップになったのは間違いない。でも当時、たとえばアンディ・アーヴァインとかがすでにかなりクリエイティブなものを作っていたのに比べ、ジョンストンズはポップミュージックというか、イージーリスニング的に聞こえる……とか言って、私も実はよく分からないんですわ、ジョンストンズ(笑)。ま、ポールがいたから、CDやアナログ盤は数枚手にいれたし、この前の投稿に貼付けたみたいなかっこいい曲もあるけど、でも結局ろくに聞いてない。だから批判的なことはあまり言う資格もないのだけど、まぁ、いずれにしても、その後ポールがやっていた本当の真の音楽と言えるものではないと私は考えます。

ポールは大学は正式に卒業したんだか中退したんだか、ジョンストンズに加わり、イギリスへ、そしてのちにニューヨークに渡ることになったわけです。

もともとジョンストンズはマイケル、エイドリアン、ルーシー・ジョンストンからなるミース州,スレーン出身の兄妹グループでした。60年代に活動をはじめ、65年にイワン・マッコールの「Traveling People」を録音し、これが大きなヒット曲となり、ミック・モローニーがその後加入し、がっつり成功したグループという地位を獲得したものの、すぐにマイケル・ジョンストンが脱退。マイケルのかわりにミックは自分の階下に住んでいたポールをグループに迎えいれた、というわけ。68年にはロンドンのTransatlantic Recordsと契約しアルバムをリリース。ルーシーが脱退しつつもトリオとなったジョンストンズは活動の拠点をロンドンに移し、英国、ヨーロッパではそれなりに知られたグループとなったようです。まぁ、ヒットしていたとはいえ小さい市場じゃ生活できない、アメリカに行かないとダメだ、という判断だったのでしょう。そして、その後、ニューヨークに渡り、アメリカでもジョニ・ミッチェルの「Both Sides Now」をカバーしたものが、ちょっとしたヒットになったそう。

このジョニ・ミッチェルとのエピソードで面白いのがあって、ちょっとうろ覚えなんだけど、ジョンストンズはジョニ・ミッチェルと、どっかのフェスティバルだかTV番組の収録だかで一緒になり、しかも一緒に歌うという話まで出て、もうポールをはじめとして若いジョン・ストンズはワクワクしていた、と。ところが先に出演したジョニ・ミッチェルは「確かこの曲をカバーした若いアイリッシュグループがいたわね」とか言って、先にとっとと「BOTH SIDES NOW」を歌ってしまい、共演の話は撃沈。おかげでポールたちはホントにがっかりしたそうです。(もっともジョニ・ミッチェルとはその後、楽屋で挨拶ができた、とか言ってました)

でもって71年にはミックが脱退。(ミックは音楽の勉強のためにアイルランドに戻ったのだそうです)エイドリアンとポールの二人だけになったジョンストンズは、それでも活動を続けていたのだけど、最終的に73年についに解散。その後、ポールはプランクシティに誘われ、アイルランドへ帰国。

なおエイドリアンはアメリカに残り一人でソロ活動的なことを続けていたのだけど、結婚し、そして81年に35歳の若さで、ミネアポリスで謎の死をとげています。どこからか落ちて首の骨を折ってということで事故死と判定されたようだが、実はドメスティック・ヴァイオレンスによって殺されたのではないかという説が有効。彼女がなくなる前の6年間、彼女の家族は彼女の両親や親戚が亡くなった時でさえも、彼女に連絡を取ることができなかったそうで、これはもうこれだけで異常な事態だったと想像されます。また彼女の友人たちは10年以上、彼女の死を知らされていなかったらしい。彼女のサンディ・デニー的なルックスもあり、私たちリスナーにとってはミステリアスな存在です。

ちなみにジョンストンズはつい最近、オリジナルメンバーにニーヴ・パーソンズをエイドリアンの代打に迎え、リユニオン公演を行っていて、これにポールもこれに参加しています。You Tubeでいくつかの映像を見ることができます。これとか。そして下記はリユニオンに際して放送されたラジオか何かの音声に誰かが写真を編集したもの? 頭のポールの写真がルーシーとかになっているのが笑えますが。