ポール・ブレイディ来日までの道のり23:Welcome Here Kind Stranger

「ウェルカム・ヒア・カインド・ストレンジャー」はおそらくアイルランド音楽の長い歴史の中で、もっとも重要な作品と言って良いだろう。とにかくすごい完成度だ。78年発表。プロデュースはドーナル・ラニーとポール・ブレイディ。アンディ・アーヴァインやトミー・ピープルズ、ノエル・ヒルなどが参加し、これもやはりプランクシティの延長だと言える。

本作は、一時はポール自身もブートレッグと呼ぶ某レーベルがアナログ起こしで、しかもトラックの付け方が正しくないCDが広く出回っていた。最近になって、やっと今はポールの手にマスターが戻り、リマスターされて、ここにある。

実はこのCDをポールが自分のレーベルから出した時、うーん、これはどうしようかと思った。THE MUSIC PLANTでは、最近はもうジョン・スミス以降、新しいものは発売しないようにしようと思っていたのだけど、でもせっかく今回ポールも来てくれることだし、御大に敬意を評して、本作と「フーバドゥーバ」を多少、流通に流しておいた方がよかろう、という結論に至った。

発売しても、まぁレコード店もこれだけ少なくなった今、たいして売れやしないので、あまり意味がないかもしれない。ただ唯一出したことに意義があったとすれば、松山晋也さんの素晴らしいライナーをこの世に送りだす事ができということだろう。とにかく皆さん、ぜひ日本版を買ってほしい。今回のポールのツアーを成功させるためにも! どうぞよろしくお願いいたします。ちゃんとウチのCDは、もちろんポール本人から買ったストックですから。(手配はUKだったけどね/笑)

「ポール・ブレイディがヴァン・モリスンと並び、アイルランド最高のシンガー・ソングライターの一人でありる、と断言することにためらいはない」と始まる松山さんのライナーを読むと、ホントこのアルバムを地味ながらもリリースして良かったなと思う。そしてライナーは「永遠に瑞々しさを保ち、同時代を生き続けるアイリッシュ・トラディショナル・フォークの金字塔。生涯手元に置いておきたい、一撃必殺の名盤である」と終わる。うん、本当にそうだ。松山さん、本当にありがとう!

ポールの家に遊びに行った時、ポールはこのアルバムのカバーになった素晴らしい絵のオリジナルを見せてくれた。ポールは「ほらっ」とこの絵を照れくさそうに投げてよこした。私が夢中になって写真を撮っていたら、それをニコニコ嬉しそうに眺めていたけど、たぶんポールの家を訪ねる音楽関係者、全員がそういう態度を取るのであろうと想像できる。みんなの思い入れを受けて、この作品は本当にアイルランド音楽の宝物みたいな作品だ。

実際見た絵の大きさは作品としてそれほど大きいものではなくLPサイズくらいだった。そしてオリジナルは、私が当時持っていたボロボロのアナログ盤よりうんと色がくっきりと鮮やかだった。ポールの奥さんが「このアーティスト当時はすごく活躍してたのに、今はどこにいっちゃったか分からないのよね」と話してくれた。(そういえばポールのお家に行った時、奥様がお茶をいれてくれたのだけど、はじめてアイリッシュの家庭でティーバック&マグカップでないお茶が出て来てビックリした。さすがロック・シュターの家は違う)

この作品はメロディー・メイカーがこの年のベスト・フォーク・アルバムに選んだ。このアルバムは本当に高く評価された。ドーナル・ラニーいわく「ポールがもしこの伝統音楽の世界に留まっていたら、彼はこの世界で最高の地位についただろう」と評価している。


このアルバムの収録曲でもっとも有名な曲が「The Lakes of Ponchartrain」だ。ポールはこの歌はプランクシティ時代にならったという。ルイジアナの混血の女の子にアイルランドの兵士が恋に落ちるという内容だ。歌詞の内容が分からなくても、聴けばすぐにこの曲のもっている旅のセンチメントみたいなものを感じることが出来るだろう。元々クリスティのレパートリーで、アンディとツアー始めたら、お客から結構リクエストが飛ぶので、ポールが歌っていた、と。そうこうしているうちにポールの、自分自身のレパートリーになっていったそうです。今はポールのヴァージョンが一番有名だし、このあとに続くヴァージョンは、すべてポールの影響を感じさせるわけだけど。




のちにこのポールのヴァージョンに影響を受けて、ホットハウス・フラワーズのリアムが歌うようになった。リアムのヴァージョンも素敵です。最初に聞いたのは「Bringing All Back Home」の時だったかな…



このアルバムを最後にポールは伝統音楽との係わりに決別をつげる。再びRTEのラジオのインタビューより。DJのおばちゃんから「でも伝統音楽からの大きな方向転換って、いったいどういう理由なの? いつだったか伝統音楽はもうやらないのか、と聞かれて“それは単なる自分の人生の一時のページであって、自分の音楽ではない”って答えてたのを聞いたけど」と言われ、ポールはこんな風に説明しています。

「いや、それは違う。伝統音楽は間違いなく自分の音楽だよ。ただそれだけがすべてという事ではないんだ。伝統音楽をやっている時は本当に伝統音楽を愛していた。ものすごく若かったし、少しずつ人から知られるようになってきて嬉しかった。プランクシティもアンディとのデュオも本当に楽しかった。世界中をツアーして、ニューヨークの大きなホールを一杯にしたりしてさ。でも70年代の終わりに思ったのは、結局のところアイルランド伝統音楽の巨匠にはなれないって事なんだ。僕はフィドルの名手でもなければ、パイプの名手でもない」

「その頃、それまで自分が好きだった音楽(リズム&ブルーズなど)を封印してきた。結局アイリッシュミュージックで僕ができることはこれまでた。アイリッシュミュージックの方も、僕のことをもう必要とはしてない、そう思ったんだ」



ちなみにこれは珍しいポールのパイプ演奏の写真(笑)from Paul Brady Music Facebook Page








「僕を大きく変えてくれたレコードは、ジェリー・ラファティーの“Baker Street”だ。“City to Ctiy”は本当に名盤だった。ジェリーのことは昔からよく知っていたし、ハンブルバムズとジョンストンズはよく比較されもした」

「ジェリーがすごいアルバムを出した。いったいどうしてこんなことが出来たんだ!と、僕は思ったのさ。それが拍車となった。自分の中にたくさんの音楽が眠っていることを僕は自分で分かっていた。もうほとんど1晩で決断したんだ。もう辞めよう。ソングライターになるんだ、と。自分の中の音楽を開放しようと思った」

ここからは私の想像だが…もちろんこの決意には音楽的なものが大きかったのだと思う。自分の本来好きだったものは何か、ポールは思い出したんだと思う。でも、きっと想像するにポールはアイルランドの伝統音楽シーンのごちゃごちゃにほとほと疲れていたんじゃないか、と。そこから20年たって、やっとアイルランド音楽シーンの隅っこで仕事を始めた私ですらも、どうして彼等はちゃんとマネジメントして、きっちりプロモーションを計画的にかけて活動しないのか、ホントにイライラしたものだ。私もそれで何度キレたことか。この頃の時代だったら、それよりもさらにカオス状態だっと思う。そういうのにポールは嫌気がさしたんじゃないかと思う。「こいつらと付き合ってたら、俺はどこにも行けない」そう思ったのかも。ポールの成功への野心は大きかったと想像する。

再びRTEのラジオインタビューから。「リスナーからメールが来てるわよ」とDJのおばちゃん。「ポールのコンサートに行って、ある時オーディエスンスが“アーサー・マクブライド〜”と叫んだら、ポールはマイクに向かって“Auther McBride is dead”と言って、絶対に歌おうとしなかった」「ポールの目の前でアーサー・マクブライドと言うと殺されるぞ」と。

ポールいわく「ははははは。確かに一時期そういう時もあったかもね。でもそのくらいしないと僕は伝統音楽を断ち切れなかったんだと思う。そこからしばらくして、最近はもっとリラックスして考えられるようになって、今ではステージでよく歌っているよ」

「よくXファクターとか言うのを聞くけど、いらいらするんだよね。よく1つのファクターで、成功に導かれるというけど、実際には成功のためには4つか5つの事柄が必要だ。まず才能。そして野心。たくさんの野心。そしてものすごい努力。それから幸運とタイミング。それからビジネス・マネジメント。これらが必要なんだ。これらが1つの場所に集まって、はじめて成功が訪れる。それは滅多に起こることじゃない」

「幸運とかそういうものって結局ドアをあけてくれるだけにすぎない。そこからそれを人生の仕事としてきちんと続けて行くかは、自分次第だし、まったく別の話だね」