ポール・ブレイディ来日までの道のり26:True for You

「Difficult Second Album むずかしい2作目のアルバム」とポールが呼ぶ『True For You』。実は私が最初に買ったポールの最初のアルバムはこれだった。なぜかアナログで買って、穴があくほど聞いた。でも買ったのはたぶん89年くらいだと思う。なぜか都内のレコード屋で見つけたのがこれだったんだよね。83年の作品。

アイルランドから飛び出したポールは、ポールはイギリスに引っ越し、イギリスのマネジメントのもとで仕事を仕事をするようになった。バンドもイギリス人。でもこの時のメンバーが、今でもポールのバンドツアーを支えているところを見ると、もしかするとこれがポールに取ってベストな出会いだったのかもしれない。“Say What You Feel”の頃かな、一時、アイリッシュだけのバックバンドもやっていたけどね。

ポールのリイシュー時のライナーノーツより(五十嵐正さん訳):僕らはロンドン周辺での幾つかのギグとたぶんアイルランドツアーもこなしてから、82年冬にサレーのリッジ農場でこのアルバムの制作を始めた。そこは膝まで浸かる雪に覆われていた。確かに最初のレコードほど制作は簡単ではなかった。あれは考えることもなく出来上がったが、これは既にやってしまったことをいかに拡大していくかを計画し、その方法を考えだしていかねばならなかった。そのために、新しいミュージシャンたちと理解を深め、異なった共同プロデューサーと働いた。共同プロデューサーのニール・ドーフスマンはダイア・ストレイツの『ラヴ・オーヴァー・ゴールド』とスプリングスティーンの『ザ・リヴァー』の仕事を終えてきたばかりだった。これは僕がアイルランドの外へ自分の翼を伸ばし、前作で得たものを強固にする試みだったと思う」

まぁ、でもこのアルバムで一番といえば、やっぱり奥さんのために書かれたという名曲「Helpless Heart」だ。この曲は、モーラ・オコンネルジョニー・ローガンフィル・コリンズ、デイヴィット・クロスビーなどがカバーした。こちらはつい最近のRTEのインタビュー番組から。



でもポールは歌詞について自分のことを歌っているかどうかは、あまり関係ないだろ、と言う。「特に“Nothing but the same old story”なんかは僕がロンドンにいたころのことを歌っているんじゃないかとよく言われる。実際題材もそこからひろった部分はある。だけど、結局自分のことではない」

HOT PRESSのインタビューより。インタビュワーの「聴衆は歌の歌詞をあなたの個人的なものだと受け取るべきではないのか?」という質問に答えて。

「そうは言わないさ。ただ、それにいったいなんの意味があるんだ? この主人公が僕か、僕じゃないかって? そんなことは関係ない。音楽は僕より長く生き残る。僕の歌は他の人たちにも歌われる。そして聴衆は、もしかしたらその歌詞が、歌っている人たちの事だと理解するかもしれないだろ?」

また奥さんとのことについても「残念ながら僕とワイフはよく会話をしているんでね。僕がわざわざ歌の中にいろんな事を隠さなくても理解が出来ているんだよ」と。

HOT PRESSのインタビューは、まぁ、よくもこんなに失礼な質問をポールに出来るわいというつっこんだ質問をしているので、またここで紹介していきたいと思います。

「Helpless heart」以外には「Steel Claw」はティナ・ターナーやデイヴ・エドモンズが、「Not The Only One」は、ボニー・レイットがカバーした。特にティナ・ターナーのカバーは彼女の大ヒット作「プライベート・ダンサー」に収録されたから、たいへんな印税だったに違いない(笑)。

ポールの家にはゴールドディスクがゴロゴロしている。うーん、さすがロック・シュター(笑)