『Back to the Centre』これも、もう狂ったように聞いた。何で聞いたかというと、音楽ライターのS石さんがくれたカセットテープ(笑)「Both Side of Paul Brady」(タイトルがさすがS石さん! スコットランドのトラッドBoth Sides of Tweedから取ったのだ)と題されたカセットの、そのトラッドサイドには『Welcome Here Kind Stranger』が、そしてコンテンポラリーサイドにはこのアルバムが入っていて、私はずーーーーっとコンテンポラリーサイドの方ばかり聞いていた。89年とか90年とか、そのくらいの話である。この作品はちなみに85年発表。
当時は日本でも洋楽全盛期といった感じじゃないだろうか。それにしても大傑作だと思う。1曲目の“Walk The White Line”なんてライヴみたいだ。ものすごいヴォーカル。圧倒的。レコーディングにもお金がかかっていそう…
2曲目の“Wheel of Heartbreak”は、デュランデュラン意識して書いたんだよとポールは最近言ってたなぁ。つまりそういう時代だったわけだ。その次の“Deep In Your Heart”とかも、もう大好き。そして“Follow On”はポール・ヤングがカバーした名曲。圧巻は最後の2曲。“The Island”と“Homes of Donegal”。どちらもポールの代表曲で、今でもライブでよく歌われる。
再びリイシュー時のポールのコメントより(五十嵐正:訳)「僕は1、2年ほどライブ活動を休み、曲作りに専念していたので、これらはすべて新曲で、録音された時にはまだ人前で演奏されたことがなかった。録音場所はバッキンガムシャーで、大半はヒュー・マーフィーの家で行われた。また彼と一緒にやれてよかった… たぶん僕は『Hard Station』に近いものに戻りたかったのだろう。それからアルバムを半分ほど録音した時点で、僕は方向を変えたくなり、ロンドンに持っていってイアン・メイドマンと僕で完成させた」
エリック・クラプトンが“Deep In Your Heart”でギターを弾いている他(いかにもそれっぽい演奏!)、U2のラリー・ミューレン、ラウドン・ウェインライトなどが参加。
“The Island”は、ポール版「傘がない」といってもいいかな…「レバノンの空は燃えている。子供が路上で死んで行く。でもこの歌を悲しい歌にしたくないんだ。今は君といるんだし、島へ行って砂の上の足跡をたどって歩こう。夜明けまで愛し合おう」みたいなそんな内容だ。この曲をポールは何年もかけて書いて、スタジオのマイクの前に立っても、まだ書き終わってなかったのだという。最後の行を歌うのを余儀なくされたようで、そういう形で、やっと長年書きおえた。
当時はアイルランドの南北の紛争が激化していて、とてもシリアスな時代だった。ちなみにクリスティ・ムーアが“The Island”に対抗して書いたアンサーソングが“The Other Side”ということらしい。
当時を振り返ってポールは(HOT PRESSのインタビューより)「当時は難しい時代で、友人もたくさんなくした」と答えています。
「でも最近、音楽関係者の人で僕のところに来て“あの曲については僕が間違っていた。あの歌を歌ってくれて良かった”と言ってくれた人がいたよ」
「実際あの当時、僕は非常に孤独だった。アリルランドの伝統音楽シーンは、もう“大変だ。ハンガーストライキだ! サッチャーは最低だ。一緒に彼等を救い出そう”っていう空気でいっぱいだった。電話が鳴ると“ポール、来週リバティホールで集会がある。来て歌ってくれるだろう?”って。“いや行かないよ”と僕が返事をすると、電話の向こうは沈黙。そういう事ばかりだった。もう完全に孤立状態さ」
「僕はストラバーンで宗教も男女もミックスされた学校に行ったから分かるんだ。良くも悪くもこの世には黒白つけられる事なんて一つもないってね。僕はだいたい物事をグレイで見る。だからポリティカルな歌を書くのは好きじゃないんだ」
「僕の忠誠は、すべて音楽、歌、音楽の神へ捧げられている。偉そうに聞こえるかもしれないけど、そうあるべきだと思う。僕の古い歌たちが、古くてもまだ現在の人の心を動かすことが出来るのは、それらが問題ごとにかかわっていないからさ。言うなれば時事的な問題よりも、人びとの心にかかわっていると言った方が適切かな」
ポールってこういうところ、ものすごく頭がいい。たとえば、食事などをして話をするとき、人の噂ばなしをするでしょう? 人の事を批判する時も、普通の人はだいたいストレートに「あの人のやり方は間違っている」とかストレートに言うんだけど、ポールは絶対にそういう言い方をしない。
だいたいはストレートに悪口を言わないで、例を1つあげる。例えば具体的に例をあげると、実はとあるミュージシャンについての話。まったくあの人はだらしなくて、いやんなっちゃう、みたいな事を話したら、ポールはこんな風に話してくれた。その人はいつもIMRO(まぁ、アイルランドのコピーライトの団体みたいなもんですね)の文句ばかり言っているんですって。で、IMROの議員の席が空いた時に、その人は、まぁ有名ミュージシャンの一人だからミュージシャンたちの選挙で選ばれてボードメンバーになった。で、ずっと前からIMROのボードメンバーだったポールは「良かった。ぜひミーティングに来て僕らが普段やっていることを見てくれ」って張り切っていたんですって。でもその彼はなんとミーティングに一度も顔を出さなかった、って。それが…そのエピソードが、もうその人の性格を適格に説明していて、私はその話自体よりも、ポールの説明の仕方に本当に感動してしまった。
なんか、頭がいいっていうか…で、絶対にストレートに、もしくは単純な言葉での批判はしない。そこがポールって男らしくて、本当にかっこいいと思う。まぁ、ソングライターだからね、こうでなくっちゃ多くの人を感動させる歌を作ることなんて出来ないんだろうけど、それにしても、だ。
かと思うと、今度は某別の国にいる共通取引先。私が「もうひどいのよ、あーで、こーで」と言いながらも英語でうまく言えなくて、言葉につまると「分かるよ」って言ってくれる。その感じ。その感じが、ホントにホントに…(と絶句!)
やっぱりポール、最高にかっこいい!!!!
すみません、興奮しました。なんかもう正常に物事考えられないなー。早く早く早く来ないかなぁ。ポール! 先日五十嵐正先生にお会いしたところ、あのブログを見るとポールのディーバ(っていうかディーボ)ぶりがすごいなぁ」と言われたので、もっと優しいポールのエピソードを書かなくちゃと思っているところ。また友達にも「ポールを大好きなのはよくわかりましたよ」と呆れられますが、ホントにこの来日が終わったら、私は何を心のささえに生きていけばよいのでしょう。本当に困った。
当時は日本でも洋楽全盛期といった感じじゃないだろうか。それにしても大傑作だと思う。1曲目の“Walk The White Line”なんてライヴみたいだ。ものすごいヴォーカル。圧倒的。レコーディングにもお金がかかっていそう…
2曲目の“Wheel of Heartbreak”は、デュランデュラン意識して書いたんだよとポールは最近言ってたなぁ。つまりそういう時代だったわけだ。その次の“Deep In Your Heart”とかも、もう大好き。そして“Follow On”はポール・ヤングがカバーした名曲。圧巻は最後の2曲。“The Island”と“Homes of Donegal”。どちらもポールの代表曲で、今でもライブでよく歌われる。
再びリイシュー時のポールのコメントより(五十嵐正:訳)「僕は1、2年ほどライブ活動を休み、曲作りに専念していたので、これらはすべて新曲で、録音された時にはまだ人前で演奏されたことがなかった。録音場所はバッキンガムシャーで、大半はヒュー・マーフィーの家で行われた。また彼と一緒にやれてよかった… たぶん僕は『Hard Station』に近いものに戻りたかったのだろう。それからアルバムを半分ほど録音した時点で、僕は方向を変えたくなり、ロンドンに持っていってイアン・メイドマンと僕で完成させた」
エリック・クラプトンが“Deep In Your Heart”でギターを弾いている他(いかにもそれっぽい演奏!)、U2のラリー・ミューレン、ラウドン・ウェインライトなどが参加。
“The Island”は、ポール版「傘がない」といってもいいかな…「レバノンの空は燃えている。子供が路上で死んで行く。でもこの歌を悲しい歌にしたくないんだ。今は君といるんだし、島へ行って砂の上の足跡をたどって歩こう。夜明けまで愛し合おう」みたいなそんな内容だ。この曲をポールは何年もかけて書いて、スタジオのマイクの前に立っても、まだ書き終わってなかったのだという。最後の行を歌うのを余儀なくされたようで、そういう形で、やっと長年書きおえた。
当時はアイルランドの南北の紛争が激化していて、とてもシリアスな時代だった。ちなみにクリスティ・ムーアが“The Island”に対抗して書いたアンサーソングが“The Other Side”ということらしい。
当時を振り返ってポールは(HOT PRESSのインタビューより)「当時は難しい時代で、友人もたくさんなくした」と答えています。
「でも最近、音楽関係者の人で僕のところに来て“あの曲については僕が間違っていた。あの歌を歌ってくれて良かった”と言ってくれた人がいたよ」
「実際あの当時、僕は非常に孤独だった。アリルランドの伝統音楽シーンは、もう“大変だ。ハンガーストライキだ! サッチャーは最低だ。一緒に彼等を救い出そう”っていう空気でいっぱいだった。電話が鳴ると“ポール、来週リバティホールで集会がある。来て歌ってくれるだろう?”って。“いや行かないよ”と僕が返事をすると、電話の向こうは沈黙。そういう事ばかりだった。もう完全に孤立状態さ」
「僕はストラバーンで宗教も男女もミックスされた学校に行ったから分かるんだ。良くも悪くもこの世には黒白つけられる事なんて一つもないってね。僕はだいたい物事をグレイで見る。だからポリティカルな歌を書くのは好きじゃないんだ」
「僕の忠誠は、すべて音楽、歌、音楽の神へ捧げられている。偉そうに聞こえるかもしれないけど、そうあるべきだと思う。僕の古い歌たちが、古くてもまだ現在の人の心を動かすことが出来るのは、それらが問題ごとにかかわっていないからさ。言うなれば時事的な問題よりも、人びとの心にかかわっていると言った方が適切かな」
ポールってこういうところ、ものすごく頭がいい。たとえば、食事などをして話をするとき、人の噂ばなしをするでしょう? 人の事を批判する時も、普通の人はだいたいストレートに「あの人のやり方は間違っている」とかストレートに言うんだけど、ポールは絶対にそういう言い方をしない。
だいたいはストレートに悪口を言わないで、例を1つあげる。例えば具体的に例をあげると、実はとあるミュージシャンについての話。まったくあの人はだらしなくて、いやんなっちゃう、みたいな事を話したら、ポールはこんな風に話してくれた。その人はいつもIMRO(まぁ、アイルランドのコピーライトの団体みたいなもんですね)の文句ばかり言っているんですって。で、IMROの議員の席が空いた時に、その人は、まぁ有名ミュージシャンの一人だからミュージシャンたちの選挙で選ばれてボードメンバーになった。で、ずっと前からIMROのボードメンバーだったポールは「良かった。ぜひミーティングに来て僕らが普段やっていることを見てくれ」って張り切っていたんですって。でもその彼はなんとミーティングに一度も顔を出さなかった、って。それが…そのエピソードが、もうその人の性格を適格に説明していて、私はその話自体よりも、ポールの説明の仕方に本当に感動してしまった。
なんか、頭がいいっていうか…で、絶対にストレートに、もしくは単純な言葉での批判はしない。そこがポールって男らしくて、本当にかっこいいと思う。まぁ、ソングライターだからね、こうでなくっちゃ多くの人を感動させる歌を作ることなんて出来ないんだろうけど、それにしても、だ。
かと思うと、今度は某別の国にいる共通取引先。私が「もうひどいのよ、あーで、こーで」と言いながらも英語でうまく言えなくて、言葉につまると「分かるよ」って言ってくれる。その感じ。その感じが、ホントにホントに…(と絶句!)
やっぱりポール、最高にかっこいい!!!!
すみません、興奮しました。なんかもう正常に物事考えられないなー。早く早く早く来ないかなぁ。ポール! 先日五十嵐正先生にお会いしたところ、あのブログを見るとポールのディーバ(っていうかディーボ)ぶりがすごいなぁ」と言われたので、もっと優しいポールのエピソードを書かなくちゃと思っているところ。また友達にも「ポールを大好きなのはよくわかりましたよ」と呆れられますが、ホントにこの来日が終わったら、私は何を心のささえに生きていけばよいのでしょう。本当に困った。