ポール・ブレイディ来日までの道のり30:Spirits Colliding

やっと『Spirits Colliding』だ。93年にベスト盤の『Songs and crazy dreams』が出て、95年の作品になる。ポールのメジャーにおける最後の作品。このアルバム、ホントーーーーに大好き。もう死ぬほど聞いたかも。捨て曲なんて1曲もなしの最高の作品だ。もしかするとこのアルバムが私がポールの作品の中で一番好きかも…いや違うな。やっぱ『Hard Station』かな。でもあれはものすごいテンションの作品だし、新作『Hooba Dooba』も最高だ… でもこのアルバムは、すごくリラックスしてんだよね。すべてがね。演奏もすごくいい。こういうポール独特の空気感がちゃんとレコーディングという形の中に収められているように思う。

このアルバムの頃になると自宅録音も可能になってきて(ポールのお家はお庭にすごく素敵なレコーディングスタジオがある)、その他にはボウレーンとかダブリンの小さいスタジオで録音された。シャロン・シャノンとかとも付き合いがはじまったのか、シャロンがゲストで1曲出ている。シャロンはいつもの感じじゃなくって(笑)静かな曲でちんまりとした演奏だけど、すごく良い味を出している。そしてヨーロッパツアー中だったベラ・フレックとフレクトーンズの一行がかなり参加している。あとコアーズがバックコーラスで参加していて、加えて、ポールのお嬢さんのセーラも一緒に歌っている…等々。

曲がなんといってもいい。もう私が大好きな“I want you to want me”…なんでこんなにかっこいいだろ(うっとり)。イントロだけで、もう本当に最高。全部最高。

そして最近ボニー・レイットが新作でカバーした“Marriage Made in Hollywood”のベラ・フレックのバンジョーが、もう最高なんだ!! ポールの独特のこのフィーリングの後ろででベラらしく疾走していくバンジョー。かーーーっ。どうしたらこんなのが可能かなぁ! まったく。そして“The Island”の続編といった感の“You're the One”。

Cities are dying
Leaders are lying
Demons dancing in the air

まるで今の日本を歌ったみたいだ…

マーク・E・ネヴィンとの共作“Love made a promise”も最高。

それから“I will be there” これはウチの女王様とのデュエットのヴァージョンが秀逸。しかしポールの声、すごいな…音はメアリー・ブラックのアメリカでラリー・クラインと作ったアルバム「シャイン」からのヴァージョン。


朝が来て
でも何も変わらない
外の世界は
馬鹿な古いゲームを続けている

はぁ〜なんていい歌なんだろ!! 

この曲に思い出がある。すみません、またパーソナルな思い出ですが…。ポールのオーストラリアのツアーについていった時だった。コンサートが終わってお客さんも帰ったのだけど、私たちは前座を勤めていた若い女の子と一緒にホールのバーでデレデレと飲んでいた。ポールはこの前座の若い子に(愛情ある)説教をしていた。彼女もシンガーソングライターだった。もう名前も忘れたけどいい子だった。「自分の歌を書いたってダメなんだよ。聞いている方に“あ、これは自分の歌だ”って思わせないと」とポールは言っていた。

そこで私はすかさず言った。「When morning comes Nothing's changedって、私の歌だと思った! 聞いてすぐ分かった」と。そしたらポールはすごく嬉しそうな顔をしていた。あの夜は幸せだったな。

確かアデレードとか、そんな場所だった。911から時間もあまりたってない頃で、翌朝イラクへの攻撃にオーストラリアも参加する、そういう夜だったと記憶している。その夜、シドニーのオペラハウスに「NO WAR」と誰かがペイントしたのだ。これは2つの意味がある。「NO WAR」というそのものの意味と「こんなに緊張感が高まっている時期だというのに、俺たちだってオペラハウスのセキュリティを突破できた。テロリストのアタックは止められないんだよ」と。

私たちは楽屋で新聞記事を読んで、えらい!良くやった!とみんなで喜んだ。この世界、どんなに国際関係が緊張している時も、フォーク周りの連中は、良い。みんなリベラルで、どこにいても一体感を感じる。アメリカ国内でさえも。日本で意見や生き方が違う人たちよりも、ずっといい。

あの時はどんな事情があったのか覚えていないけど、通常ポールと一緒のホテルに泊まるのに、私は別のホテルに泊まっていた。(たぶん会員制のホテルかなんかで、取れなかったんだろう。それかあまりに高くて泊まれなかったとか?)月がものすごく大きい夜で、「あの月の写真を撮っておけ」とかポールは言ったりして、すごくご機嫌だった。ポールはお付きのドライバーに「ヨウコを先に送っていけ」と言って、私のホテルの方に先に車を回してくれて、そして私のホテルの前でバイバイしたのだった。「来てくれて本当にありがとう」とポールは言っていた。

あの時はバジェットの都合で、いつものロードマネージャーのジョンが一緒じゃなかった。ポールはマネージャーを地元オーストラリアで雇っていて、その彼はポールは始めてだったみたいだから、結構辛いものがあったのかもしれない。すごく気丈によく頑張っていたのだけど、ポールはあまりお気に召さないみたいだった。だから古株の私が顔を見せた事で多少でも役にたてていたのだとしたら良かったなと思う。翌朝、私は一人で東京に戻った。世界中がピリピリしてアメリカのはじめた戦争にまきこまれ、いったいどうなるかと思っていた日の朝、前日のコンサートを思い出したり、ポールの手を握って分かれたあの感じを思い出しながら私は最高に幸せだった。