メジャーを離れたポールは99年にライコと契約し、『Nobody Knows』というベスト盤をリリースする。このベスト盤リリース時のHOT PRESSのインタビューより。「『Spirits Colliding」は、僕の一番大事な作品だったのに、ファーストシングルが出たその日に彼等は僕との契約をカットした。実はそれまでマネージャーをつとめてくれていたPaul Cumminsがキッパリ音楽ビジネスを辞めてしまったんだ。95年11月のある日電話がかかってきていきなり<もうこの仕事はやめるよ>と言って、それっきりさ。彼はその後ダイアーストレイツのマネジメントも同じように突然降りた。もうレコードビジネスに嫌気がさしたんだろうか。とにかく彼はこれ以上、他の人間の人生に責任をもつことはいやだと思ったようだ。
そしてそれと同時にレコード会社も完全に僕との契約を切ったんだ。そしてその後、僕は自分のバックカタログを取り返すのに必死だった。マーキュリーとの戦争は本当にひどかった」
しかしポールは不安だっただろう。実際例えばクラナドみたいにメジャーとの切れ目がすべての切れ目みたいになっちゃっているグループは居る(もっともクラナドは美味しいフェスティバルやイベントの公演などは続けているようだけど)。
「2年半、神経にさわる無駄な戦いを経て、最後の最後に元マネージャーのビジネスパートナーだったEd Bricknellに僕が相談したところ、自分のビジネスパートナーがひどい辞め方をしたからだろうか、Edはたぶん良心にとがめている部分があったのだろう…<もしかしたら何か手伝えるかも>と言ってマーキュリーとの間を調整してくれたんだ。実際彼が持っていた某アルバムをマーキュリーに渡す代償に僕のカタログを僕に戻してもらったにすぎない。本当にひどい話さ」
ポールはバックカタログを取り戻し、Ryko Discから新しいレコーディングも数曲加えたベスト盤『Nobody Knows - The best of Paul Brady』をリリースする。メジャー時代のトラックは無事収録されたものの、トラッド時代のMulliganのトラックはここには収録されておらず、ポールがまったく同じようにレコーディングしたものが収録されている(このヘン、まるでグレンのスクイーズのトラックみたいだ)。
再びHOT PRESSのインタビューから「Mulliganとはかかわったアーティストみんながトラブルをかかえている。僕はもうこういう人たちと関わることすらイヤだったんだ。だいたい彼等は『Welcome Here Kind Stranger』のマスターテープすら紛失しまったようだし。それに自分が20年前と同じように歌えることはわかっていた。ちょっとしたチャレンジだったが上手く行ったと思う」
しかしレコード会社ってどうしてそうなんでしょうね…権利ビジネスだからそういう風になりがちなんだろうけど…
「でも今は自分でレコーディングもできるし良い時代になったと思う。まさにStarting Overな気持ちだよ」
そしてポールは少しずつこの新作『Oh What a World』の制作へと入って行く。
「僕は『Spirits Colliding』発表後、すぐにフランスのソング・ライティングのセッションに呼ばれたんだ。そこにはソングライターがたくさんあつめられてたくさん共作するというものだった。それがものすごく楽しかったんだよね。そこから曲を書き始め、曲がたくさん出来て、少しずつレコーディングをしていった。もっともアルバムをつくっているという感覚は作業がだいぶ進むまでなかったな」
このソングライティングのセッションはポールはとても気に入ったようだ。何度もこのセッションに参加したり、ナッシュビルに行ったりして共作を重ねた。
それにしてもこのアルバムはホントウに素晴らしい。私も大好きな1枚だ。今、これを聞きながらこの文章を書いているが、なんだかこのアルバムが一番好きなような気がしてきた。
特に好きなのはシングルにもなったこの曲『The Long Good Bye』
はぁ〜良すぎる。良すぎるよ… ポールが書いた曲の中で一番好きかも。
そしてこの曲も。ライヴ・ヴァージョンですが、すごくいいでしょう? このブログにも何度もあげている映像。ポール+バンドというのは実はあまり好きではないのだけど、これはものすごくいいよね。ポールも楽しそうにしているし。こういうの、実はあんまり多くない。
他にも“Sea of Love”(かっこいい!)とか、“Minute Away Miles Apart”(感動)とか、“Good Love”(涙)とか、名曲がたくさん収録されている。共作のパートナーにはキャロル・キングや、マーク・ハドソン、ローナン・キーティングなどもいる。
ここで、やっとポールの歴史に私の仕事歴も追いついた。このアルバムは一応ウチから地味ながらも日本発売になった。現地でリリースされたのは2000年だったが、そこから遅れること1年ちょっとだったか… アルタン祭りでやっと正式に初来日するポールの来日を受けてのことだ。
『ロマンティック・ダンディ』(笑)以降、初めての日本盤…正確には輸入盤に帯かけだったから日本流通版だ。たいして売れなかったが、まぁ、そんなことは気にならなかった。これは本当に本当に良いアルバムだ。遠い海の地平線がポールのこのときのさわやかな気持ちをあらわしているみたいだ。
そしてそれと同時にレコード会社も完全に僕との契約を切ったんだ。そしてその後、僕は自分のバックカタログを取り返すのに必死だった。マーキュリーとの戦争は本当にひどかった」
しかしポールは不安だっただろう。実際例えばクラナドみたいにメジャーとの切れ目がすべての切れ目みたいになっちゃっているグループは居る(もっともクラナドは美味しいフェスティバルやイベントの公演などは続けているようだけど)。
「2年半、神経にさわる無駄な戦いを経て、最後の最後に元マネージャーのビジネスパートナーだったEd Bricknellに僕が相談したところ、自分のビジネスパートナーがひどい辞め方をしたからだろうか、Edはたぶん良心にとがめている部分があったのだろう…<もしかしたら何か手伝えるかも>と言ってマーキュリーとの間を調整してくれたんだ。実際彼が持っていた某アルバムをマーキュリーに渡す代償に僕のカタログを僕に戻してもらったにすぎない。本当にひどい話さ」
ポールはバックカタログを取り戻し、Ryko Discから新しいレコーディングも数曲加えたベスト盤『Nobody Knows - The best of Paul Brady』をリリースする。メジャー時代のトラックは無事収録されたものの、トラッド時代のMulliganのトラックはここには収録されておらず、ポールがまったく同じようにレコーディングしたものが収録されている(このヘン、まるでグレンのスクイーズのトラックみたいだ)。
再びHOT PRESSのインタビューから「Mulliganとはかかわったアーティストみんながトラブルをかかえている。僕はもうこういう人たちと関わることすらイヤだったんだ。だいたい彼等は『Welcome Here Kind Stranger』のマスターテープすら紛失しまったようだし。それに自分が20年前と同じように歌えることはわかっていた。ちょっとしたチャレンジだったが上手く行ったと思う」
しかしレコード会社ってどうしてそうなんでしょうね…権利ビジネスだからそういう風になりがちなんだろうけど…
「でも今は自分でレコーディングもできるし良い時代になったと思う。まさにStarting Overな気持ちだよ」
そしてポールは少しずつこの新作『Oh What a World』の制作へと入って行く。
「僕は『Spirits Colliding』発表後、すぐにフランスのソング・ライティングのセッションに呼ばれたんだ。そこにはソングライターがたくさんあつめられてたくさん共作するというものだった。それがものすごく楽しかったんだよね。そこから曲を書き始め、曲がたくさん出来て、少しずつレコーディングをしていった。もっともアルバムをつくっているという感覚は作業がだいぶ進むまでなかったな」
このソングライティングのセッションはポールはとても気に入ったようだ。何度もこのセッションに参加したり、ナッシュビルに行ったりして共作を重ねた。
それにしてもこのアルバムはホントウに素晴らしい。私も大好きな1枚だ。今、これを聞きながらこの文章を書いているが、なんだかこのアルバムが一番好きなような気がしてきた。
特に好きなのはシングルにもなったこの曲『The Long Good Bye』
はぁ〜良すぎる。良すぎるよ… ポールが書いた曲の中で一番好きかも。
そしてこの曲も。ライヴ・ヴァージョンですが、すごくいいでしょう? このブログにも何度もあげている映像。ポール+バンドというのは実はあまり好きではないのだけど、これはものすごくいいよね。ポールも楽しそうにしているし。こういうの、実はあんまり多くない。
他にも“Sea of Love”(かっこいい!)とか、“Minute Away Miles Apart”(感動)とか、“Good Love”(涙)とか、名曲がたくさん収録されている。共作のパートナーにはキャロル・キングや、マーク・ハドソン、ローナン・キーティングなどもいる。
ここで、やっとポールの歴史に私の仕事歴も追いついた。このアルバムは一応ウチから地味ながらも日本発売になった。現地でリリースされたのは2000年だったが、そこから遅れること1年ちょっとだったか… アルタン祭りでやっと正式に初来日するポールの来日を受けてのことだ。
『ロマンティック・ダンディ』(笑)以降、初めての日本盤…正確には輸入盤に帯かけだったから日本流通版だ。たいして売れなかったが、まぁ、そんなことは気にならなかった。これは本当に本当に良いアルバムだ。遠い海の地平線がポールのこのときのさわやかな気持ちをあらわしているみたいだ。